ピーコック
商業的に不毛の地で暮らしている。もよりのピーコックは入口に昭和54年、と銘板がある。そのころから一度も改装をしていないのだろう。骨董品のようなエスカレータ。Pタイルすらもその摩耗で積み重なった年月を伝えている。
こうも暑いと、しかしここがライフラインだ。坂の上にはタワマン1階のピーコックもある。登る元気のある人、あるいはスーパーへの買物の足もクルマな人は坂上へいくのだろう。次の瞬間倒れていてもおかしくないようなご年配のかたがたや、自分のような冴えん人がこの店内には目立つ。
国道沿いの古マンションが建て替えになった。あれ?ピーコック、こっちの国道側からみえてたんかもともと。
昭和54年、わたしが8歳のころにはもとより商業地ではないこの近辺、高い建物なかったんだろう。
首都高沿いに立つ看板のように、国道からの目線を誇らしげに受けてこの看板とガラス張りの階段室がみえていたに違いない。シースルーエレベータが流行るのはもうあと十年後くらいになる。当時の、この規模の商業施設の最先端がこの階段室だったのだと思うとふといとおしくなる。ピーコックが大丸傘下でなくなると、誰も予想だにしなかった時代の話。