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ゴメンナサイ

「お気持ちはよくわかります。しかしながら紙の本の在庫がまだまだありますので弥縫策に依るしかないのでして」

おおよそなにか体系的な知識を記述するテキストに携わる機会のある人間であればそれを、まっとうなものにしたいという気持がある。
ここに橋本文法をベースとした、日本語文法を教えるテキストがあったとしよう。自分が講習の登壇講師としてそれをもって受講生に教えよ、といわれたならば大いに抵抗があるに違いない。
橋本文法を支持する文法屋なんて皆無ですって。山田―時枝文法ベース、と主張しないまでも、ちょっとは前提知識の導入いれてこれと離れられませんかね。内心そういいたくもなる。

しかし、だ。文法屋以外の日本語話者は学校文法として橋本文法ベースで理解を作っているなか、それとは別枠の体系を理解したうえで改めて日本語を学べ、と強いることもできまい。文法研究そのものがターゲットならともかく、手段としての日本語を理解したさきの目的が主なのであればなおさらだ。

自分の識る世界に引きつけてたとえるならばそういったことをセンセイが訴えているのがわかるがゆえにつくづく切ない。ゴメンナサイするしかない。

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