ジャッジをしてしまう本当の意味
これらは、私の無意識の思考です。
長年のクセであることを、41歳になって初めて認識しました。お恥ずかしい・・・
意識せずに誰かの行動や言動に対して、心の中でジャッジしていたのです。
ジャッジとはどういう意味でしょうか?
要は、自分の中で勝手に優劣をつけていたんです。
その基準は、あくまで自分のもの。
自分を正当化できるように、基準を設定していました。
そもそも、なんでこんなことを長年していたんだろうと、過去を振り返りました。
それは母から認められたい強烈な想いが、思考にこびりついていたからです。
その思考を強めたのが、姉への負けず嫌い。
その気づきを得て、自分の考えの動きをじっくり観察。
すると、ジャッジするという比較グセを発見したのです。
しかも、その根底には母から満たされない不足感を、人をジャッジすることで満たしていたんですよね。
このように自己肯定感につなげていたんです。
だいぶ歪んでますね……。
でも、それくらい欠乏感が強かったんです。自分を守るために実行していました。
「つらかったね」
そう言って、自分を抱きしめてあげたいです。
先日のnoteを書いて、私はずっと母から愛されていたことに気づきました。
すると、自然に考えが変化。
そう思えたので、このクセを手放すことに決めました。
ただし、40年以上の思考グセは根深く、まだまだ無意識に裁いているときがあります。そんなときは、ジャッジしている自分に気づく!
そう思って、毎回、思考を切り替えています。
すると、駅で見かけた個性的な恰好をしている人を
「自分の好きな服装で表現できて、ステキだな!」
と、素直に思えたり
「あの人は悪態ついているけど、イヤなことでもあったのかな」
「否定的な言葉ばかり使うことを、選んでいるんだな」
そのように感じ方が変わりました。
ずっと愛されていないと思っていた、小さい私はもういません。満たされていた事実を実感したら、世界はなんて優しいのだと思えました。
この世界は感謝することに溢れています。
そんな大きな発見をした1日でした。
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