構ってほしくて、被害者意識を持っていました。
これら2つとも同情されて、慰められたくて発言していたことに気づきました。しかも無意識に。
タイトルの被害者意識とは、「意図に反したことを言われた」「私、こんなに大変なんだよ」とアピールするもの。
そんなつもりはなかったのに、他者から共感されたり、労われたりされたい人間になっていました。
いつの間に、悲劇のヒロインを演じるようになったのでしょうか?
振り返ると、公務員への入庁2年目に行き着きました。
当時の直属の上司は異動してきたばかりで、私は入庁して2年目の24歳でした。
なぜかその上司に目をつけられて、
文書の書き方
起案文章の綴じ方
声をかけるタイミング
全てにおいて叱られる日々でした。
なぜか私ばかり怒られていました。
毎日ように、
と、大声で呼ばれてそこから叱責タイム。
いわゆるパワハラでした。
毎日、怒鳴られる日々。
上司から解放されたら、すぐさま倉庫に行って号泣。涙が止まるまでそこにこもっていました。
回数を重ねると、同じ所属の先輩が慰めに来てくれるのが恒例に。
時に、上司を批判することで、私を肯定してくれるようになったのです。
すると、
と、自分を下に落とすことで、現状を受け止めるようになったのです。
それで、無意識に味をしめてしまったのでしょう。
誰かに怒られたり、嫌なことを言われたり、大変なことがあったりしたことを他者に伝えると、寄り添ってくれることに。
そこから、無意識の被害者意識が育ち、自分の大変さをアピールするようになってしまいました。
それを、とある方から指摘されました。
天地がひっくり返るようでした。
そんなことはない!
と思うものの、全力で否定できない自分がいました。なんかチクンと心が痛むというか…
これって……
図星。
そんな言葉が浮かびました。
優しい言葉をかけてほしくて、言ってなかったかだろうか?
その想いが払拭できず、全否定できない自分がいました。
頭をヨシヨシされて慰められる子どものように、頑張っている自分を認めてほしかった。。。
無意識に設定していた被害者意識だけど、私は今日気づけました。
本心とは異なる言葉を夫から言われたら、受け取らなければいい。なんでも受け取って勝手に傷ついていたのは自分でした。
これらを解決するには、他者の慰めを必要としないこと。
自分が自分を認めればいい。
他者の評価で一喜一憂しない。
ただ、40年の思い込みは大きいものです。
そう決めても思いグセで戻されます。
そんなときは、気づけばOK。
そのたびに、必要ない思考は手放します。
そう思って、受け取り方を変えてみます。
長年にわたり活用していた被害者意識。
今日をもちまして、閉店します。
これからは自分で自分を認めることとします。人の言葉には惑わされません。
今日からまたスタートすればいい。
いつからだって変われるんだから。