石村

皆様おはようございます。
本日は会津若松はとても天気がどんよりです。
雨が朝降っておりました。
さぁそんな中、本日は大戸の歴史について記事を書こうと思います。

ずっと書きたかった。

大戸の歴史については前々から要望があり、ずっと記事にしたかったんです。
※大戸地区は本当に歴史的にもすごいところなのです。
大戸の歴史講座も大戸公民館でやっておりまして、そんなことを記事にしたことがありました。
※見てない方はこちらから


そうではなくてもっと深いところに

歴史ってのはもっと突き詰めていったらそこが知れないので、
大戸の14地区に限定して(大戸は全部で14地区)今回から記事にしようと
思う。
そうなんだとか、時間が余った時の読み物にしていただければ良いと思う。


石村

まず初めに石村から。
石村は『大戸地区で一番市内に近い』と覚えてもらえれば良い。


どうして石村という地名になった?

会津若松市教育委員会発行の『地名の由来』によると
昔は村中に”石佛(いしぼとけ)”と呼ばれる三尺ばかりの自然石があり、
「石佛村」といったが、寛政の中頃(江戸時代の中期ですね。寛政の改革とか言いますよね)に”佛”の文字を省いて今の名となった。地名の由来となった、自然石は大正12年の火災にあって飛散し、今はない。


見てたら一つ気になることが、、、

これ見てほしい!!

石村という地名なのに、ここだけ隣の『雨屋』という地名なのだ。
おいおい絶対に何かあったとしか思えない。笑
そして、これ

見えるかなぁ、、、雨屋城跡って書いてあるんです。笑
とりあえず、この二つが調べてもわからなかったので、地区の人に聞いて続報を皆様にお伝えしたいと思います。

こんなふうに

こんなふうに地名の由来からそこにある歴史的なものを紹介できればと思います。
皆様よろしくお願いします。



余談です。
この間、闇川地区で芋汁いただきました。
本当に美味しかったです。最高。

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