ナビゲーションシステム
車で3時間ぐらいの場所へ定期的に行くことがある。
まずカーナビを目的地にセットして、その通りに行ってみる。
時間通りに目的地に着いた。よし。
何回か同じ道を往復し、慣れてくると、
「ああ、ここは右。」とか、「ローソン見えてきたら、一つ先の十字路を左。」などと覚えているので、カーナビが指示する方向を無視して自分が行きたい方角に行ったりするようになる。
「いや~今日は違う道を発見したよ」と新たな発見を武勇伝のように偉そうに人に話すのだが、順風満帆とはいかない。
「あれ?こんな風景あったっけ?」とか、角に見えた店の看板が「なんか間違えた気がする。」などと不安になって、Uターンしてみたりする。
結局そんなに到着時刻は変わらない気はするのだが、大幅に迷ったという感覚はぬぐえない。こっそり誰にも言わずに「無事に着いてよかった」とほっと胸をなでおろす。
なんで、カーナビさんの言うことを聞かなったんだろう?
目的地をわかっていて、ルートをたくさん知っていて目先の感覚に惑わされなければ、俯瞰して選択しているカーナビの方がよほど無駄なく効率的なのは間違いないだろうのに、どうして、私は対抗して自分の道を選択したいと思ってしまうのだろう?
私は、カーナビのない車、もしくはバイクを運転すると、
標識を見ながら進んでいる。
標識は道しるべ。右に行けば神戸で、左に行けば大阪で、とかね。
頭の中に地図が入ってなければ、どっち向いて進んでいるのか方向がわかってなければ、とんでもない場所に行ってしまう、のを、標識を見ていれば、「あら~こっちに来てしまっているのか」「おや、まだまだ先だ」と自分の
位置を改めて確認しながら進む。
カーナビも地図もそこになければ、最悪の場合、標識を見ながら進むか、いっそ出会った人に聞いていくか。行き当たりばったり進むしかない。
目標達成したかったり、痩せたかったり、など、行きたい場所があるときに、最短なのは、カーナビ。というか、ナビゲーションシステム。
優れたコーチに着く とか
段階を踏んでダイエットプログラムを進める とか
ロードマップを飛ばさずにこなす とか
そのまんま、やればいいのに、
よそ見して、中断しまったり、
あえて別のアレンジを加えてわけわからなくなってみたり。
カーナビだったら、違う道を進んだら「ルート変更します」をして
何が何でも目的地に着けてやろう、と頑張っちゃってるみたいなのに
人間の方は、もういいかと思って道半ばで
「案内を終了します」したりする。
案内終了しちゃったら、目的地に着かないんじゃないの・・・?
そうしてまた一つ目標の挫折記録を更新するの?
(いや~温泉につかりたくなってさ~
…浸かってもいいけどその後目的地にいかないのかい?)
小さい目標は、今見えているところからの目印の建物を目指すだけでいいかもしれないけれど、
地平線を超える少し遠い目標については、ナビゲーションシステムの言うことを信じたほうが、道をどれにしようか、ということに自分の思考のエネルギーを使うことなく、過ぎる風景を楽しんだり、外の空気を感じたりする余裕があって豊かになるんじゃないかとも感じた。
できれば、近くても、遠くても、一旦、目的地には行けたほうがいいかな。
長くとどまらないでも良いから。