「知らんけど」
「知らんけど」の使いかた。
俳優・着付師の結木 愛さんの記事に共感を覚えたので引用させていただく。
「知らんけど」ってね、おおてぼの感覚で言うならば、
● 何でもかんでもつけるわけじゃない。
● 人によって若干ニュアンスが違う気もする。
だから、テレビで芸人さんが使っている用途をなんとなく真似しても、関西人の現地の人たちの用途とズレることがあるかもしれない。
● 「知らんけど」「知らんがな」含め、やや流行り言葉的であるので、全く使わない人はいる。(ちなみに「知らんがな」は、笑って言ってないときは、面倒くさがって怒ってるかもしれないので注意)
おおてぼは、「知らんけど」は大阪の人が良く使う言葉だと思っていたので、実家に帰った際に(兵庫県姫路市というのは、関西でもかなり西の方)父が多用していたので、びっくらこいてしまった。
電車の発車時刻かなにかの話で「姫路で新快速が出るやつ。35分ちゃうか?・・・知らんけど」と使っていた。他にも何度か。
確かに、上記の愛さんの説明の通りのニュアンスでの使い方。
この時は、知らんけど、とぼかしたけど、時刻合ってましたよ、おとーさん。
そもそも、今まで聞いた覚えがないので、ここ数か月でいつの間にか覚えて使うようになったのかもしれない。テレビの影響か?
今までの父だと「そんなもん、知らんわ」という言い方で、話題を仕舞うような、おしまいにする合図のような、言い方だった気がするのだが、「知らんけど」と聞くとなんだかまろやかで納まりが優しい。
これ、関西人だからそう聞こえるのだろうか。
東京の人が、「あの人は「知らんけど」と言ってごまかす」と言っていたのを聞いたことがある。
同じ場面に居合わせたのだが、彼(あの人)が、発言のごまかしに「知らんけど」を使っているようには、おおてぼには聞こえなかったから、どうしてだろうかと心に残っていたのだ。
それが、愛さんのnote記事で納得できた。
なるほど。
大阪人でなくてもこう考えたら使える、と思った。
言いたいことはあるのだけれど、よしんば正しかったからとて、その人間関係の場に必要なトークかどうかは分からない、だから、大目に見てね。という思いやりをそっと置いている感じ。
愛さんの記事には、この心理的な解説もあるのでぜひ読んでほしい。
おおてぼは、アイコンのうさぎのようなツンデレなので、ついうっかり失言が時々発生する。
ふだんみんなと仲良くしたいのに、時々ぴゃっとやらかすものだから、恥ずかしくなって、すぐハウスに逃げ込んで、入り口からびくびくしながら外を覗き見してしまうのだ。
まだまだ失敗が成功より多い成長途中の段階。
変な奴だと思われて友達ができないのは、さみしく思ってしまう。
知ってることを言ってみたいけど、まだ半端にしか理解してないのを自分で知らなくて、うっかり”知ったかぶり”みたいになってしまう。
そういうときにも「知らんけど」は効果的?