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おおたさんの話 #08

 この数日のあいだ、小田原の街では、真夏日のような暑さがつづいていましたが、わたしの田舎の方ではまだ、今朝のように、厚手の上着をいちまい羽織っていたいくらいの、肌寒い日になることがあります。そして、こまかい雨のまじった風が一日中つよく、それが夜おそくなってからもずっと、吹きやまないでいる日がつづくこともあります。
 このつめたい雨と風で、藁のいたみが早いと、小さいころに兄から聞きました。
 町はずれの古い神社にお祀りしてある、藁を編みあげてつくった龍のことを、兄はいっていたのです。そのころのわたしは、幼い弟といっしょに、まだ子ども用の山車の引き手として、お祭りの当日に母と参加するだけでしたが、歳の離れていた兄は、神社にお祀りする大きな藁の龍と、お囃子にあわせてかつぐ小ぶりの藁の龍をつくりに、昼間の畑仕事のあとも休まず、わたしと弟が寝入るころまで、父と町の集会所に出かけていました。

 田舎のお祭りのことで、はじめにわたしがよく思い出すのは、夜おそくに家にかえってきた父と兄の、隣の部屋から時おり聞こえてくるすこし疲れたような話し声や、黄色い花の咲いたアカシアの樹や、お祭りの日に父からお土産にもらった二本のふきの葉っぱや、お祭りの日のまえの、夕方の神社の階段をのぼっていき、かつらの樹の古い藁の龍をひとりで眺めていたことだったりしますが、弟から聞くのは、姉のわたしと、弟と、弟の友人の三人で、つめたい雨と風に寒いおもいをしながら練習に通ったという、お祭りの鐘の手びらと、笛と、太鼓のお囃子のこと。弟の友人が覚えていたのは、小ぶりの藁の龍を両方の肩にまわして威勢よく踊りあるく、若い踊り手の兄の姿だったといいます。にぎやかなお囃子と、跳ねろや跳ねろというかけごえにあわせて、兄はほんとうに上手に踊っていました。兄が踊り手になったころには、父は踊り手の役から、お囃子の笛の役にかわっていましたが、それまでは立派な踊り手として、兄以上に威勢よくお祭りの先頭で跳ねていたと、母や祖母から聞いていました。「──もう十日くらいまえからさ、夕方になるときこえてくるんだ」と話していたのは、父の同級生で、若いころからずっとお祭りでいっしょに踊っていた、新村さんか、俊和さんの、どちらかだったとおもいます。

 きっと、いまになっても、おそらく週のあけた明日か、明後日の火曜日あたりからだったとおもいます──お囃子の練習をする、太鼓や、笛や、手びらの鐘の音が、夕方になると町にきこえてくるはずです。練習をはじめたばかりのまだ拙い音が、日の暮れはじめたいつもの町のなかで、(なぜかこれだけは毎年まいとし心配になっていましたが)あせるようすもなく、和やかにきこえてきたのをおぼえています。それにあわせて、大きな藁の龍と、小ぶりの藁の龍を男たちがつくりはじめますが、昔はお祭りで履いていたわらじも、藁の龍とおなじで、その年の藁で毎年つくりなおしていたといいます。藁の龍には二本の角があって、どちらの龍の角も、アカシアの枝から削り出してつくったと聞いていました。それから、むかしの話がつづいてしまいますが、父からお土産にもらったふきの葉っぱは、いつのころからか、お祭りの最後になって、太刀の代わりに両手に持つようになったといいます。代わりとはいっても、お祭りで出されるねぎらいのお酒で酔っ払ってしまい、手にしているのが重かったのか、邪魔になったのか、次つぎと川に太刀を捨ててしまったからだと聞きました。そうして、代わりにふきの葉っぱをもいで両手に持ち、酔っ払いながら踊ってかえってきたといいます。夕方の五時とか、六時になって、最後に神社の境内のまえで円くなって踊ると、わたしたちも、両手にふきの葉っぱを持ったり、はちまきに挿したりして、うたい踊りながらかえってきました。

 そして、これも以前、新村さんと、俊和さんのおふたりから聞いた話だったとおもいますが、お祭りまではやませの雨と風で肌寒い日がつづくのに、お祭りの当日にかぎっては、そういわれてみると、ふしぎと天気を心配することはありませんでした。もちろん、前日や、そのまえの日の雨で、道はまだぬかるんでいたり、水たまりがところどころに残っていたりしますが、つめたい風もおさまり、ようやく天気の回復した、晴れた日のにぎやかなお祭りの覚えがあるばかりでした。
 子どもが小学校に上がるまえにと、いそぎ足で夫と決めてしまった、ここ、小田原への移住でしたが、気がつけばまた、そのまえに暮らしていた横浜からさらに西の方へと移っていて、お話ししているわたしの田舎からは、ずいぶん遠く離れてしまいました。けれど、離れれば離れるほど、なぜか三ノ輪さんの言葉がおもいだされるのです。ここは、じぶんに根付いている、と。「ずっと残っていくと思う。いままで途切れたことはないしね」三ノ輪さんはお祭りのことを話していて、そこにはいつも、新村さんと、俊和さんのおふたりも、いっしょにいらっしゃいました。
 他所からはあまりさきをいそがず、のんびりしているようにも見えますが、夜のあいだも町の男たちは、交代で休みをとりながら、藁を編みついでいき、今年お祀りする、藁の龍をつくっています。前の年にお祀りした、古い藁の龍を神社のかつらの樹からおろし、今年のあたらしい藁で編みあげた龍と掛けかえ、五穀豊穣と、町のみなの無病息災をお祈りします。
 石造りの長い階段を登っていったさきの、境内へとつづく細いのぼり坂の途中にある、一間四方ほどのひらけたところから、大きな藁の龍を乗せた先頭の山車につづいて、荒馬が跳ね、太刀振りが跳ね、手びらを打ち鳴らし、笛と、太鼓にあわせて、小ぶりの藁の龍が威勢よく跳ねて踊りあるく、にぎやかなお祭りの列が見えてきます──そうして、藁の龍をお祀りしているかつらの樹の下からでも、小さな町ですが、夜になっても遠く端の方まで、町のあかりをずっと見渡すことができます。


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オオタアキラ
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