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おおたさんの話 #02

 きのうでようやく八四、だから仕事は百歳まで──。
 こんなふうにいって、みんなさいっつもわらわせて、毎日まいにちわたしはちゃんと、うそにならないようにしているからと、港のおばあさんから聞いたのは、レンタカーで蕪島に向かっている途中のことでした。旧道に入って、道に迷ってしまった夫とわたしは、 Y字路の手前で車を停めたまま、ここから先は右と左どちらに進んだらいいのか、それとも、来た道をいったん戻ったほうがいいのか、だれかに道をきこうとしていたところでした。
 夫とふたりで東北を訪れたときから、──もう、ずいぶん長い時間が経ってしまいましたが、こうしていま話しはじめてみると、道に迷って喧嘩をしながら蕪島にいったことも、偶然お会いできたおばあさんとのことも、それらがなぜか、つい最近あったことだったようにもおもいだされてきます。──それらが、先月の終わりの連休中にあったことだったか、このまえの土曜日、日曜日にあったことだったようにも、おもえてくるのです。
 蕪島神社の再建が、無事おわったこともあるのかもしれません。
 焼失した社殿をいちからすべて建てなおす工事に、五年の時間がかかったと、インターネットのニュースを見ていた夫から聞きました。蕪島は、ウミネコの繁殖地にもなっていて、春から夏の産卵期のあいだは、たとえ神社を再建する工事であっても、ウミネコの産卵を優先して、作業をすることはなかったそうです。
 毎年まいとし、そのあいだは工事をやめ、ウミネコの産卵を守って神社は再建されました。
 十一月の早朝に火災に見舞われ、蕪島神社の社殿は、すべて燃えてしまいました。
 はじめのうち、火災の原因には放火の疑いがあるとされていて、社殿が全焼したことはもちろんショックでしたが、「放火による火災」というのを、わたしはとても信じることができませんでした。それに、「疑いがある」というつよい言葉に、息がつまるようなおもいがして、わたしは気持ちが塞いでしまいました。それからは、経過を見守るばかりで、なにもできないまま、気がつけば蕪島には、やりきれないおもいだけが残ってしまいました。
 神社の再建がはじまったことを知り、そのあとで人伝てに、ウミネコの産卵期には工事をやめ、作業を行わないと聞いたときは、ほんとうに、気持ちが楽になったのを覚えています。
 結局、火災の原因は、電気設備からの出火となりましたが、そのあともわたしのなかでは、「放火の疑い」というのがずっと残っていました。それが、たとえ再建が遅れてしまうことになっても、春から夏のあいだは、人の手でウミネコたちに場所を譲り、産卵を守っていくとしたことで、くすぶっていたあの嫌なおもいは、消えてくれたんじゃないかとおもいます。
 そうして、そのときもおばあさんに、一言でいいから、連絡をとれたらとおもいました。
 火災をニュースで知ったときも、すぐにおばあさんに連絡をとりたいとおもいました。
 けれど、おばあさんとは、レンタカーで道に迷ったさきで偶然お会いし、蕪島にいく道をおききしただけで、お名前も、ご連絡先も、わたしたちは知りませんでした。
 おばあさんが仕事で使っている、作業小屋の向かいに車を停めて、夫とわたしは、車の外に出てあたりを見回していました。おばあさんは、朝の仕事をちょうど一休みするところだったそうですが、表でなにか話しているわたしたちふたりにたまたま気づいたといいます。
 どこかから遊びにやって来て、道に迷ってしまった旅行客のようにも見えたそうですが、ふと、ふたりはなにかべつな用事があって、わざわざここまでやってきたんじゃないかと、そうおもいなおしたといいます。朝からずっと、なにかわからないけどそわそわしていたのは、きっと、このせいなんじゃないかと。
 そうして、仕事の後片付けを途中でやめると、表に出てきて、車の前で口喧嘩をはじめたばかりのわたしと夫に、どちらさんですかと、声をかけてくれたのでした。
 いまおもうと、わたしたちはこんなことで、お誕生日の翌日にお邪魔していたわけですが、
「あそこまでが、白銀」
 と、気にせずにわらいながらいうおばあさんは、
「あの岸壁の、向こうからさきは、鮫」
 それから、そのもうすこしさきに、わたしたちが行こうとしている蕪島があるといって、うす曇りが晴れてきた海のほうを指さしながら、おしえてくれました。

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オオタアキラ
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