高校生の頃、人を傷つけた話
大人になってたま〜にズキッと胸を痛めながら思い出す事がある。顰蹙を買う内容なので心に秘めていたのだが、それでも時折思い出してしまうので、ひっそりと打ち明けてみたいと思う。
中学〜高校の時は人見知りが一番酷い頃で、特に女の人とはまともに話せず目も見れなかった。「アッアッアッ…」「あの…」「えっと…」と詰まってしまい話が一向に始まらない。手足をぶらぶらさせながら視線も定まらない。その頃付いたあだ名"挙動不審"だ。
"挙動不審"。言われた頃は大そう屈辱的だったが、今思えば当時の自分を分かりやすく表した見事なあだ名だった。まだ有吉弘行氏も再ブレイクしてない頃に、名付けたクラスメイトはすごい。
そんな挙動不審が、高校入学したての時に何故だか一人の同級生から熱烈な支持を得た。当時野球部だった僕は、同じ学年の女子マネージャーと隣のクラスだった。廊下ですれ違うと普通に挨拶するのだが、そのマネージャーといつも一緒にいる女の子、Yさんがいた。隣のクラスなのでしょっちゅうすれ違うんだけど、いつもマネージャーの横でYさんはニコニコしていた。最初はニコニコしているだけだったが、日に日にリアクションが激しくなっていった。
「太田くんだ!(僕の本名)」「太田くん!!!」「キャー太田くん!!!!!」
何故か挙動不審の僕に対し、「キャー」と叫び、苗字を大きな声で呼ぶのであった。いわゆる黄色い声というのを生まれて初めて浴びた。特に悪い気もしてなかったが、少し困惑はしていた。イメージでは爽やかな笑顔で返していたつもりだが、多分爽やかに笑えていなかった。「フ、フヒュ、、、」みたいな感じだっただろう。それでもYさんの「キャー」はしばらくずっと続いていた。
それからあっという間に「キャー」のYさんの噂(というか目撃証言)は野球部内に広まっていった。最初はそこまで気にしてなかったのだが、部内の同級生にからかわれ始め、黄色い声に慣れてなかった僕は段々と嫌気が差してきた。最初はからかってくる部員に対してのストレスだったのだが、次第に矛先がYさんに変わっていった。
そしてとうとう、高校一年の夏休みが終わり二学期、部活終わりの帰り道で決定的な出来事があった。
「なに太田、Yさんと付き合ってんの?」
「いや…付き合ってないから…」
「顔赤くなってんじゃん〜!!!」
Yさんのことを部員に指摘され続け、恥ずかしさのあまりに顔が赤くなってしまったのだ。そしてそれを即座に見抜かれた。もう、やめてくれ…やめてくれ…
未熟で素朴な高校生には、日々起こる出来事を脳内で処理する事ができなくなってしまったのだった。熱烈な支持、それを見た周りの反応、湧き上がる恥ずかしさ…そしてこの屈辱の矛先は、Yさんに向かってしまった。
明くる日の朝、校舎の庭でYさんとすれ違い、いつものように「キャーー太田くんーーー!!」と叫ばれた時に私は「…あん??」と睨みつけてしまったのだった。
・・・。静寂。
そして何事も無かったかのように僕は去っていった。
それからというものの、Yさんの「キャーーー」はすっかり無くなった。すれ違って挨拶する事はあるが、落ち込んだ表情をしていた。深く傷つけてしまった、という実感がある。その時のことは野球部員には話してはいないが、おそらくマネージャーには伝わっているだろう。ただ、マネージャーは何も言ってこなかった。
それから高校を卒業し十数年、もちろんその間会ったこともないし何をされているかも分からない。その当時のYさんの悲しそうな眼は今だに脳裏に焼き付いている。
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