新しい時代の「ものづくり」発酵が紡ぎ出した、越後薬草の直感力と創造力。
エスイノベーションの大杉です。エスイノベーションでは、地方企業のDXや事業承継を応援しています!事業承継をきっかけにイノベーションを起こした企業にインタビューする「地域からはじめる事業承継」。 今回は、新潟県上越市の「越後薬草」です。商品開発、事業承継…。限られた時間で決断を迫られた塚田社長。時代の潮流をも引き寄せるその「直感力」と、商品開発秘話について伺いました。
会社員から家業へ
ー 家業(越後薬草)を意識するようになったのはいつですか?
高校生の頃ですね、周りの大人から冗談で「次期社長!」とか言われ始めて。でも、敷かれたレールには絶対乗るもんか!って思ってました。でも、学生時代に起業を目指すも、卒業するまでには方向が定まらす。まずは、マネジメントを学ぶ為「株式会社梅の花 」に就職しました。梅の花では、女性パート従業員50名の人員管理、食材管理(在庫・発注)を任され、新卒でマネジメントに携わることができたのは、運が良かったと思います。
ー 50名の女性パートさんの統括ですか!難しそうです…。
女性50名のパワーは凄かったです!50名集まると、そこで色々な組織も形勢されるわけですよ。コツは「シンプルに馬鹿なふりをする(笑)」可愛がられながらも、きちんと指示を出す!実際、マネジメントを任された3年間、パート従業員さんの雰囲気も良かったですし、売上も上昇を続ける事ができました。
ー 飲食店のマネジメントから、家業「越後薬草」への転機は?
結婚し、自然の多い環境で子育てがしたいと思っていたところ、先代の社長(父)から越後薬草で新事業をゼロからやってみないかと声を掛けられ、生まれ育った上越に戻ることにしました。
ー 先代の社長に、マネジメント力が認められたという事ですね!
どうでしょうか〜。でも、今振り返ってみると、既存事業にジョイントさせるのではなく、スタートアップを仕掛けてきた所が、私の性格をよく知ってる父らしいなと…思いますね。
ー 塚田社長がゼロから立上げた事業とは?
キムチの製造販売です。
ー まいキムチは塚田社長が立上げた事業なのですね!でもなぜキムチ?
近所の韓国出身の方から、手作りキムチを頂いたんです。それが衝撃!ホントに美味しくて。これまで自分が食べてきたキムチって、何だったのだろうと。キムチって、今やスーパーの漬物売り場の半分を占めて、市民権を得ている、本場の味を再現した商品があったら、多少高くても勝てるなと確信しました。
ー キムチ生産に既存のシステムを利用することはできたのですか?
いえ、使えなかったので、専用の工場を作りました。半年、試行錯誤し、増粘剤未使用で、さらに自社製品の野草酵素を加えた理想のキムチが誕生しました。でも、スーパーに売り込みに行くと、1パック500円もするキムチは売れないと門前払いで…。それでも諦めずに、何度も尋ね、ようやく「スーパー原信」で取扱って貰える事になりました。はじめは上越エリアのたった2店舗でしたが。思ったよりも反響があり、高価格でも、本物を取り扱えばお客様のニーズがあるのだと感じましたし、「まいキムチ」は私の中で、物作りの本質を知る重要なステップとなりました。
新規事業「スピリッツ」の誕生
ー まいキムチに続いて着手した事業は?
アルコール!「スピリッツ」作りです。酵素の製造過程には、アルコール発酵が欠かせないのですが、アルコール分を揮発させなければ商品化できません。そこで、製造過程の効率化を図るため、2018年、新たに減圧式蒸留器を導入しました。蒸留器を導入したことで、これまで空気中に放出していたアルコールを液体として回収することができたんです!先代の社長も「焼酎」を作ったら面白いんじゃないかと言ってましたね。
ー 製造工程の副産物を商品化する訳ですね。
早速、酒造免許を取ろうと動き出したのですが、税務署の方が血相を変えて飛んできました…。最終的にアルコールが気化して清涼飲料水になるとしても、製造工程でアルコールを作り出しているならば課税対象になるので、早急に酒造免許を取得して下さいと、さらにそれまでの期間は本業すら停止との厳しい判断でした。そして、時を同じくして父(先代の社長)が急逝しました。
ー お父様をゆっくりお見送りする時間もなかったのですね。
そうですね。その頃、社内はとても不安定でした。でも会社の為にも前に進まなければならず…。まず、蒸留酒の免許には年間6キロ以上の製造が必要です。これをクリアし、全国の酒蔵やメーカーにアルコール原料として販売しようと動き出しました。ですが、野草原料のスピリッツなんて聞いた事もない、扱い方もわからないと…全く相手にして貰えず。3ヶ月程、全国のメーカーを巡り。最後に交渉にこぎつけたのは、生薬にもアルコールにも知見のある企業でした。事業停止のリミットもかかり、私たちにとっては最後の砦です。ですが、ここでも断られてしまって。正直かなり追い詰められましたね。でも、ふと父の声が聞こえた気がしたんです。「もったいねぇから、自分たちで売って利益にしろ」って…。直感で、ジンが閃きました。
ー 直感!ですか。社員の皆さんの反応はいかがでしたか?
翌日、緊急全体朝礼を開き「野草スピリッツは自社で販売します!主力はジンです」と発表しました。シーンとね。静かでしたよ(笑)誰も何も言いませんでしたが「社長が何か言い始めたぞ」って空気は十分伝わって来ました。
ー ジンの分野には強かったのですか?
それがですね!バーにも行った事がなくて、ジントニックも飲んだことがなかったんです(笑)この話をすると大抵驚かれます。名探偵コナンで黒の組織たちが、お酒のコードネームを持ってるじゃないですか、一番強いのが「ジン」!だから「ジン」と言う…。
ー ジン作りをゼロベースから?
これもキムチと同じで、越後薬草の社員だけで手探りで始めました。ジンは、ジュニパーベリーという針葉樹の実を浸漬し、再蒸留して香り付けをするのですが、最初の試作品は不味くて最悪でしたね(笑)そこから300種類はジンを飲んで研究しました。あとは、主観的な商品になることを避けたかったので、新潟県内のバーテンダーの方からも協力頂きました。この頃には、反応の薄かった社員たちとも、自然と歯車が合うようになりましたね。約1年の開発期間を経て、2020年2月、父の命日にスピリッツ・ジン「YASO」を発売する事ができました。
ー 2020年の春。新型コロナウィルスの感染拡大と重なりますが…
実は非常に冷静でした。私にとっては、もうこれ以上、下がることはないと言う気持ちでしたね。コロナ禍の商売の潮流も読み、「YASO」は自社のECサイトと、クラフトジンを理解してくれる特約店さんのみで展開する事にしました。コロナ禍でなければ、「YASO」を展示会で大々的に発表したり、酒販店やバイヤーに積極的に卸すビジネスモデルを選択していたはずです。
ー コロナ禍で強いられた環境が貴重性を高める事にもなったのですね
そうですね。さらにジンは他のお酒と違ってエイジングさせる時間がない分キャッシュフローの観点からも優秀なお酒でした。さらにクラフトジンのブーム。スピリッツは野草を中心に80種類の原料であること、これも極めて世界的に稀で、これまでは対局にあった「お酒」と「健康」をYASOが繋いでくれたと感じます。
事業承継と経営判断
ー 少し話を戻して、事業承継時の事を教えて下さい
そうですね。父が急逝し承継は突然でした。先代の社長(父)は良い意味でワンマンスタイルを貫いていましたから、事業を承継し社内を見渡した時、社内が全く組織化されていないことに気がつきました。責任の所在の曖昧さを招かないよう、部門や役職を与え、会社の組織構造を把握できるように整えました。もちろん先代の社長の人柄で会社がうまく回っていたところは重視し、従業員や取引先は変わらず引き継いでいます。
ー 社内のモチベーションも上がったのではないでしょうか?
役職について頂いた方には、なぜあなたを選んだのか、そして部門のミッションをしっかりと伝えました。会社にとって、大事な仕事であり、存在なのだと感じて貰えたと思います。あとは、福利厚生も充実させました。アルビレックス新潟のサッカー観戦チケットは無料です。また、蒸留過程の熱を利用した社員限定のサウナも作る予定です。
ー これから親族承継をお考えの方にアドバイスはありますか?
周りが色んな事を言い始めますから…。全てを受け止めていたら潰れてしまいます。時には聞き流す勇気も。信念を持って下さい。
ー では最後に今後のビジョンをお聞かせください
越境EC、酵素の直販事業にも力を入れて行きたいです。蒸留過程のアルコールはスピリッツという新しい命を授かりました。これからは野草の残渣を堆肥として畑に戻し、地域の皆さんとハーブ畑作りをしたり、食の循環リサイクルも強化していきます。
また、蒸留所見学とペアリングが楽しめる蒸留所をこの秋にオープンしました。数十年後に、上越にジンを飲む文化が根付いたら本望です。父はよく「越後薬草は時代にあった商品を世の中に送り出す、ものづくりの会社なんだ」と言っていました。地域に面白い会社があれば優秀な人材も集まる。上越地域を越後薬草を通して活性化させて行きたいです。
エスイノベーションでは、地域経営者(これから経営者になる方を含め)と起業家をつなぐ。各地の経営者の課題・ノウハウ・ケーススタディを学びあう実践型経営者コミュニティ【oO COMMUNITY】の運営をスタートしました。現在、コミュニティのメンバーを募集しています!みなさんとコミュニティでお会いできるのを楽しみにしております!
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