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その42 感情労働
その42 感情労働
2025年ということで、ミレニアムが話題をさらっていたころから既に四半世紀を経過してしまっているということに驚くばかりです。その頃の研究(末盛慶.1999.夫の家事遂行及び情緒的サポートと妻の夫婦関係満足感)が家族社会学という領域で発表されています。
概要は夫と同居する配偶者のいる女性を対象とする調査で、夫が家事を行うより夫からの情緒的サポートの方が、妻の夫婦関係の満足感が高い。また、伝統的な性役割感を持つ妻の方が情緒的サポートと結婚の満足度との関係が顕著というものです。
家庭内の仕事の多くが、客室乗務員や介護・看護職、カスタマーサービス、接客業などに従事する皆さんの感情労働と酷似し、当事者の感情負荷が高いとされています。感情労働とは「相手に適切な心の状態を喚起させるように、自身の感情を引き起こしたり抑制したりすることを要求する労働」(Hochschild.1979)のことです。
「情緒的サポート」は現代では普通の知識になっているように思います。それも先達の調査や研究、それと社会的関心が向けられメディアに流れてこないと一般的になってなかったろうと考えると研究やメディアの意味もさることながら、社会的関心の変化も重要なファクターとして作用しているのではないでしょうか。四半世紀を経た今では既に聞き知っていると思うと同時に「伝統的な性役割感」という言い回しもちょっとあれだなあと歴史を感じてしまいます。
松本清張の小説や白戸三平の漫画が映像化されるときに出てくる「作家の意図を尊重し」という文言を目にし、耳にするときに感じる世情感のようなものです。
わずかな感傷と大きな希望をもって後半戦に臨もうとしている私ですが、なかなか厳しい戦いとなっていることは否めません。フィジカルの変化は受容するところです。アンチエイジングなど、たまに見るBSだかCSのコマーシャルで山盛り放送されていますし、それを見ると年齢?衰え?を気にしてこれに対抗しようとする勢力(市場)の大きさは想像に難くないでしょう。
エイジズムという言葉があります。これは世代を問わず使われる言葉で若いが故に重要な役割に抜擢されない、年功序列的に賃金が上がってしまうというのも年齢を評価軸にした逆説的な差別かもしれません。今の私の立ち位置からもエイジズムはあまり歓迎したくない認知バイアスではあります。
私たちは組織に労働力を提供して対価を得ている以上、その評価は公平で適正である必要があると思うのですが、皆さんはいかがお考えになりますか。それが制度的課題によって前提条件が崩れるなら、やはり制度(システム)を見直す必要があるのではないかと私は思います。
私は今、ある制度の運用検証の作業をしています。およそ9割以上の判断はその記述内容から妥当性が確保されている(国語的な問題は検証作業から除外しています。)印象です。読み進めていると妥当性の源泉がどうも二人のステークホルダーの間の暗黙知の活用にもありそうで、妥当性・トレーサビリティという意味では少々心もとない感覚になります。
残りの1割に対する考え方と対処、さらに、客観規準の設定について論議の余地があると理解しています。
少々遅まきながら、エイジズムというバイアスを「悪用」しつつ、公平性・妥当性を最大化する視点で制度的課題の解決が出来ればと考えています。
参照・引用文献
森津太子.2023.「社会;集団・家族心理学」第13章. 一財)放送大学教育振興会
末盛慶.1999.「夫の家事遂行及び情緒的サポートと妻の夫婦関係満足感.」『家族社会学研究』 No.11/1999 71-82
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