その23 シアトル縦断研究
しばらく、キャリアコンサルタント視点のブログが続きましたので、今回は少し視点を変えて心理学の世界のお話をします。
私たち人間が生まれてからどのように成長し、社会に適応し、精神的に発達していくかを研究する学問があり、それを発達心理学と呼びます。どのような学問もそうなのだと思いますが、特に心理学はこの200年くらいで哲学や自然科学からの学際的なかかわりを持ちながら分化していった学問といえるだろうと思います。
発達心理学は心理学の一部門であり、現在も活発に研究が行われている分野です。人(疑似的に動物を使った実験も)を対象とする研究ですので多くの標本(サンプル)調査を行ったり長期間にわたる調査を行ったり非常に根気のいる作業を行なっています。
シアトル縦断研究(シェイエ、2005年、米国)
そのような調査の中で興味深かったのは「シアトル縦断研究」です。その研究は特定のグルーピング(実験)定義を行った上で、知能検査を行うというものでした。
横断調査では25歳から81歳の9つの世代(コホート)にわけそれぞれ50人の協力者に知能検査を受けてもらいます。このデータを分析すると私たちが予測する通り年齢が高くなれば獲得できる点数が低くなるという結果になります。そのギャップは最大で20ポイント弱となり一般的に認識される年齢的な限界を裏付けるものとなります。
縦断調査では如何でしょうか。標本に指定された50名は7年毎に知能検査を受けます。25歳だった人が67歳になるまで実に42年間7年毎に計6回のテストを受けました。32歳、39歳だった人も同様にテストを受けますので39歳だった人は81歳になります。それぞれのタイミング(調査年)で25歳、32歳、・・になった人も調査に加わっていきますので、横断調査も並行して行われます。
最初の調査が行われたのが1956年。プラス42年で1998年。なんとも研究者の執念というか誠実さというか、極めて高度な計画性をもって調査が行われ、どれだけ貴重なデータを収集していたかということがわかります。
縦断調査の結果、81歳のコホートのテスト結果は、ピークだった46歳と比較しても数ポイントしか低下していないことが明らかになりました。
ここで二つの疑問が呈されます。一つ目は横断調査で示されるコホートの階層による知能テスト結果の大きな差異要因は何かということです。二つ目は縦断調査でも示された加齢による知能テストの数値の低下は何によるものなのかということです。
一つ目の横断調査の結果のコホートによる得点の差異の要因については、社会環境、教育環境の違いによるものとされています。例えば1998年に81歳だった人が学校で教育を受けていたと思われる60年前は1938年で、ドイツではヒットラーが、イタリアではムッソリーニが経済的困窮から領土的野心をもって近隣国に攻め入ろうとしていた時期で、アメリカは不介入・中立をその外交方針としていました。そのアメリカでの高等教育への進学率は現在の制度が1965年に制定されたため正確な数値としては示すことが難しいのですが、1960年代のアメリカにおける高等教育への進学率が10%未満であったことから高くなかったことが推察されます。
二つ目の縦断調査における知能テストの数値の低下についてです。
結晶性知能と流動性知能
ここからはさらに受け売りになってしまうことをお許しください。
加齢に伴って衰えるモノは何かについて示唆を与えてくれる論説によると、流動性知能というものらしいということが見えてきました。例えば情報を取得して処理する能力は、身体機能に付随するものと考えられ、身体機能の低下とともに衰えてくることが推察されます。一方、語彙、常識を伴う業務処理の知識や仕事のスキルなどの結晶性知能は、学校教育や社会経験によって成人期を通じて増え続けるため、流動性知能と比較すると長く維持されるものとされています。
したがって、シアトル縦断研究で示された加齢による知能テストの得点の低下は流動性知能の衰えを原因としている可能性があるのではないかと推測しています。
ジェネラティビティ
今回は、発達心理学の極一部を紹介しました。ついでといっては叱られそうですが、もう一つ興味深い言葉がありましたので紹介したいと思います。
青年期の発達課題(成長するためのテーマ)がアイデンティティ(自分らしさ)の模索であるとすると、大人の発達課題は何か。
これまでの心理学ではある程度の社会構造の類型化による価値観の想定(卒業→就職→結婚→家庭生活の構築・・・)ができてきました。しかし、中学生の夢がユーチューバーであるように物理的価値の創出方法が多様化する中で価値観の類型化もすそ野を広げていかなければいけない時期に来ているのではないかと思っています。(既に学術は追いつくことができないのかもしれません。)
そういった環境でも人が生得的に持っている、種の保存の方法の一つとして発揮している能力が、次世代を育て導く力ではないかと思っています。これが成人期(大人)の発達課題の一つとされているジェネラティビティです。
管理職とは言わずとも皆さんご自身が職場で後輩に指導をする、家庭で子供を育てる行いは、ジェネラティビティそのものなのではないかと思っています。そういった側面を観察するとそれが生得的であり種の保存の方法の一つといっても言い過ぎではないかなと思う理由です。
私自身がいわゆる定年退職に片足をかけた状態で、一方で知能の低下について考え、一方でジェネラティビティを取り上げ、また一方では「壁」(ブログ、その10)を乗り越える視点をお示ししたのは、ごく自然な流れなのではと思っています。
いかがでしたでしょうか。今回は習いたての心理学を取り上げてみました。次稿のお題は未定ですが、私の気づきを共有させていただければと考えています。
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参考文献 OUJ 心理学概論 森津太子、向田久美子. 2024. 第8講発達心理学