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診察室に入ると涙が止まらなくなる話

待合室でくつろいでいると名前を呼ばれる。

診察室へ向かって歩く。

診察室の前に立つ。

扉を開ける。

涙が出る。

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どういうメカニズムなのかはわからない。
小さいときからそうだから、そういうもんだと半分諦めていた。けれど、これから何年、何十年経ってもこのままじゃ流石に恥ずかしすぎると不安になってこの記事を書いている。

診察室の妙な閉塞的な雰囲気は中高時代の生徒指導室とよく似ている。
中高時代は生徒会役員として表に出ていたものだから先生らからの視線もあり、ちょっとした呼び出しが精神的にしんどかった。

ある夏の体育の時間でツーブロを咎められ生徒指導室行きになったことがある。
幸いにも担当教員はハゲていた人だったから、「切れる髪があるだけ羨ましいぜ」と嫉妬を吐かれて終わったけれども。それでも生徒指導室の空気感は冷たくて重くて、気遣いのジョークにも口角を上げることができなかった。

私はZ世代で、90年以降の「叱らない教育」に馴染みすぎているのかもしれないと思うことがある。
それは、授業中にやんちゃなクラスメートが怒られていると自分のことのように思えるほど。叱られることが非日常なあまり、その緊張感と空気感に呼吸が苦しくなる。

けれど、病院の診察室はそれほど暗くない。
むしろ明るい。それでも壁の厚みだったり、医師と対峙する構成だったり、後ろに立つ看護師だったりが緊張と例の苦手な空気を感じさせる。

そして医師は「どうぞ~椅子に腰かけてくださ……どうしました!?」と驚く。
この場合の「どうしました!?」は診察内容ではなく、現在進行形で溢れている涙への心配だろう。いまだに答え方が分からなくて困っている。

今回は整形外科だったけれど、皮膚科も内科も産婦人科も全部一緒。
唯一、歯科は大丈夫。それはきっと半個室で構成されている場合が多いのと、医師と患者の向く方向が同じだからなのかもしれない。自ら語らずとも、勝手に判断してくれるのもありがたい。

書き始めてみると、非日常の閉塞的空間に閉じ込められることに一種のトラウマがあるように思えてきた。
トラウマは他にもいくつかあって、想像するだけでも心拍数が上がるような恐怖を感じる。そんなに毒されているにも関わらず、その根元となった原因(出来事)は思い当たらないのが不思議である。

今回の診断は足の捻挫で終わった。
見た目の割に大丈夫だったし、痛みがピークだったときに拾った竹を杖にしていたことを話したら「見た目の割にサバイバル能力高いね」って言われた。私もそう思う。

身体への傷には無頓着で痛みに強く、大抵のことはテキトーなのに、診察室の扉を開けると涙が溢れる現象が自分の意思とは真反対すぎて不思議だなと。

涙のわけを聞かれたとき、簡略的に「病院が苦手で……」と言い訳をして済ませるけれど、本当は苦手でも嫌でもない。
どんなに昼夜逆転生活を送っていても、午前に予約を入れたらちゃんと起きられる。先生も看護師さんも優しい。待合室で本を読む時間もくつろげる。

診察室の扉だけが受け付けないのである。

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