【ASD】心療内科を受診してきました
トラウマになりかけた心療内科・精神科にいざ再び
こんにちはアスペルガーの大岡です。
本日、心療内科を受診してきました。以前かかったことのある場所とは別のところです。
特に紹介状などは用意せず、問診票に過去のクリニックでASDと診断されていること、そして向精神薬でアカシジアの副作用を経験していることを記載しました。
心療内科・精神科にはあまり良い思い出がない私が(多錠投与されえらい目にあった)、今回なぜ再び心療内科にかかろうと思ったのか。理由を挙げると下記の通りです。
幻聴でしんどくなった(主に仕事中)
最近ひとり家族を亡くし、動揺している
何かあったときに相談できる場所がほしいと思った
特に、仕事については、生活に直接関わるので、なんとかうまくやっていく方法を見つけていくしかありません。
でも一人で悩んでいると、どうしても悪い方向に考えすぎてしまいます。
ですので、定期的に心療内科に通うことで、何かあった時に我に返って落ち着けるようにしたいと思いました。
必要があるときに、カウンセリングを受けることもできる場所を選びました。
もちろん、薬をいただき、ASDの特性によってつらい部分を、薬を利用することで多少過ごしやすくならないかと相談したい意味もありました。
ただ、もうアカシジアは懲り懲りです。ですので漢方薬でつらさを緩和できないか、相談してみたのでした。
結果的に、行ってよかった
再度精神系のクリニックにかかることに、怖さもありました。けれど、以前の経験から、もし大量に薬を処方されても、馬鹿正直にすべてを服用する必要はないとわかっていたので、「試しに行ってみるだけ」くらいの気軽な気持ちで行きました。
そうしましたら、今回のクリニックは、以前たくさん薬を出されたクリニックと雰囲気がまったく違っていて、驚きました。
具体的に書いてもいいのですが、身バレが嫌なのと(笑)、クリニックや先生の雰囲気の合う・合わないはそれぞれ人によって違うと思いますので、ここでは書かないようにします。
私はどうしても、以前のクリニックに悪いイメージがついてしまって、偏ったことを言いそうですので。
ただ一つ確かなことは、同じ心療内科・精神科といっても、たくさんのクリニックや病院があるので、「なんだか苦手だ」と感じたら別のところに変えてみるのは大いに「あり」だということです。
その場合はちょいと面倒ですが紹介状を書いてもらったほうが本当はいいです、多分。私のようにある程度年数が空いたあとで、しばらく薬を飲んでいなければ、なくても平気かも。
私は、予約がとりやすく、通いやすい場所のクリニックを選びましたが、たまたま雰囲気も合っていてホッとしました。
以前の先生と違って、私が「嫌だ」という薬を無理に処方する先生ではなく、きちんとこちらの気持ちを分かってくださる先生で安心しました。
これからもし今以上にしんどい状態になった場合、相談できる場所を確保できたことは、それだけで精神的にも大きな支えになったと感じます。
迷いましたが、受診してみてよかったです。
ASDの感覚過敏性によるストレス
私には、空調や機械音、布のこすれる音や自分の鼻息など、何かの音にまじって人の話し声が聞こえる、という「幻聴」の症状があります。
そして以前、「オランザピン」を処方されていたことがあるため、自分は統合失調症ではないか、という疑いをもっていました。
幻聴の症状によりパニックになると、イライラ感が出たり眠れなくなったりすることも、統合失調症のように思えました。
しかし、今回診ていただいた先生のお話では、私のもろもろの困りごとはASDの感覚過敏性からきているだろうということでした。
人の話し声が苦手で仕事以外では耳栓を使っていることや、人が話している内容がひっかかると延々と思い出してしまってイライラしたり眠れなくなることを伝えました。
アスペルガーの方は、聴覚や視覚の過敏性がある人が多く、それでどうしてもストレスを受けてしまうんです、ということでした。
そして、相談した上、漢方薬の「抑肝散」を服用することになりました。
ASD(アスペルガー)の特性は、治すことはできないけれど……
ちなみに、ASDが苦手とする“コミュニケーション”の部分ですが、私はそこまで目立たない、大丈夫と言っていただき、嬉しかったです。
まぁそりゃ三十代だもの、診察時間の短時間くらい、普通に受け答えできるくらいには学習していますって。それがあら不思議、長期間人と関わるとボロが出てくるのよね。
ただ、感覚過敏の部分はどうしても「治療」ができるものではないけれど、必要時に漢方を利用することで生活面をフォローできれば、と。
治せるものではないから、よく寝るとか、疲れをためすぎないとか、しっかり食べるとか、できる範囲の工夫をして過ごしていきたいと思います。
アスペルガーとして生まれたのだから。それについてどうこう言ったってしょうがない。もう「そのように」生まれてしまったのだから。
最近亡くなった私の家族も、ASD傾向がありました
最後に。
最近私は、身近な家族を一人亡くしました。
その人は、私と性格などがとてもよく似ていて、診断こそないもののASDだったと思います。
傍から見たら一見大人しく誠実、寡黙な雰囲気で、でもちょっと関わると、とんでもない変わり者でひょうきんな性格なのが分かるような人でした。
また、多趣味で、人に褒めてもらうことが好きな人でした(お世辞が通じないため、毎回有頂天になるw)。
心の内面は他人が知ることができませんが、きっと私と同じく独特な世界観、倫理観のなかで生きていたのだと思います。
そして、よく「生きるのがしんどい」「早く死にたい」とこぼしていました。
私はその家族にかわり、この世界でASDとして生まれて本当によかったと思えるような人生を歩んでいきたいです。日々当たり前に思いがちなことにも感謝を忘れず、「生きているからこそ」できるあらゆることを、見て触れて楽しんでいこうと思います。
感覚過敏があるからこそ、より楽しめることも多いはず。より世界を清明に、知覚できるということだから。
今度の休みに、大きな公園に出かけて散歩でもしようかしら。
それでは、今回はこのへんで、また。