![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142208066/rectangle_large_type_2_ec98485467112a2c870ca85ba6d95457.jpeg?width=1200)
実はあまりに生々しい「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
▼
モーツァルトの《アヴェ・ヴェルム・コルプス》は「のだめ」で初めて知って(ヨーロッパの教会でのだめが聴くシーンだったっけかな)、その美しさにしびれた。チェロの独奏版を自分でアレンジしてみたりした。
こういう和声を美しくしてなんぼの曲だと音程がちゃんととれていないとみっともないこと限りないのだが(苦笑)
▼
歌い出しが、Ave…だから《アヴェ・マリア》と同じようなイメージでとらえていたので、クリスマス用の曲、イエスが生まれたことを祝うための曲かとてっきり思いこんでいた。お恥ずかしい話だが。実際はそうではなく、6月の聖体祭用の曲。モーツァルトのこの曲も作曲がその頃にされていて、その年の聖体祭で実際に歌われたのではないかという研究者もいる(『モーツァルト 最後の4年』クリストフ・ヴォルフ著など)。
ちなみに2024年の聖体祭の日は5月30日木曜日とのこと。
▼
歌詞は次の通り。
Ave verum corpus natum de Maria Virgine.
処女マリアから生まれたその真実の身体よ、
Vere passum immolatum in cruce pro homine:
人間のために犠牲となり、十字架にかかり死の苦しみを受け、
cujus latus perforatum fluxit aqua et sanguine.
貫かれて傷ついた脇腹からは血が流れ、
Esto nobis praegustatum mortis in examine.
私たちのために死の試練をあらかじめお伝えください
イエスが人間の罪をせおって十字架にかけられて無残に死んでいくことを讃える歌、ということなのだろうが、
「十字架」
「死の苦しみ」
「傷ついた脇腹」「血が流れ」
「死の試練」…
などの歌詞をつぶやいていると、なんというか、イエスの血まみれの亡骸を目の前にしながら歌っているかのような生々しささえ感じる。
wikiなどで見ると、「聖体の祝日とは…聖体をあがめる祝日であって、イエスの人生での特定の出来事を祝うものではない。この木曜の祝日は、最後の晩餐における聖体の秘蹟と結び付けられている」とあるので、十字架、死の場面とだけ結びつけられるものでもないとは思うが、その辺は正直キリスト教の教義やイベントについては信者でもないし、素人なのでよく分からない。
ただいずれにせよ、クリスマスのほんわかしたお祝いムードのなかで歌うような歌ではないということなのだろうな。
▼
この曲についてのモーツァルトのすごさということでよく語られるのが「転調がお見事!」ということだが、自分的にはいちばん感じ入ったのはその歌詞のあてかただった。
最後の一番印象的な部分、1人ソプラノがハイトーンのDで伸ばすところは本当に感動的なところだが、そこの歌詞は、mortis=「死」(動画の2分10秒過ぎ)。
前半でも同じようにハイトーンで伸ばすところがあるが、そこの歌詞は、cruce=「十字架」(同じく0分50秒過ぎ)。
これらの厳しい単語をここまで美しく印象的に歌い上げる曲もないのだろう。美しい、だけではおわらない、厳粛さ、祈りが込められている曲なのだということを痛感した。
そもそもクリスマスにしても、イエスの誕生を祝う機会なわけだが、常に誕生と受難が一体であることへの意識、というのは大事なのだろうとは思うが。バッハの《クリスマス・オラトリオ》なども、締めくくりの終曲があの《マタイ受難曲》で繰り返し出てくる「受難コラール」となっていることからもバッハの狙いは明らかだが。