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永遠のギターヒーロー ゲイリー・ムーア
2月6日は自分にとっての永遠のギターヒーロー、ゲイリー・ムーアの亡くなった日。2011年2月6日。もう14年になるのか。
動画は《Wild Frontier》から「Johnny Boy」、チェロ独奏用でアレンジしてみたもの。
ロックバンドのシン・リジィのリーダーでゲイリーの親友でもあったフィル・ライノットが1986年に36歳と若くして亡くなったのだが、その直後に彼を悼んで作った名バラード。
以下、ゲイリー・ムーアについての思いを覚書程度に。
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中学生の時、ちょうど名盤『大いなる野望』が出た時で、はまって聴きまくって雑誌も買いまくった。部屋に大判のポスターを張り出してその下でギターを練習した。高校生の時に武道館にコンサートに行ってむちゃくちゃ興奮した。
最近買った伝記本に次のように書かれてあった。
「(ベーシストの)クレイグは武道館での日本最終公演で圧倒的な勝利を収めたことを憶えている。「…最高のラウドなサウンドでみんなを叩き伏せたんだ。雷鳴のようなパフォーマンスにお客さんは反応して、凄く盛り上がって、ライブ中ずっと拍手をしていたよ」」
はい、確かに「叩き伏せ」られたことを覚えています(笑)
その時同じ空気をすっていたんだとなと、なかなかな感慨があった。
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この人は実はかなり政治的なメッセージをストレートに語る人で、若い時から「ヒロシマ」や「ニュークリア・アタック」など反核の歌を何曲も歌い、名盤『ワイルド・フロンティア』では故郷アイルランドへの熱い想いを歌い上げている。
「どうしてイスラエルで演奏しないのか?」とインタビューで問われて、ストレートに「イスラエルによるパレスチナへの弾圧があるから」と堂々と答えたりもしている。
伝記を買ったりしたのも、その反骨精神がどこから来るのか知りたかったからなのだが、うっすら分かったことは、70年代から80年代にかけてのアイルランド紛争の中で彼の親戚も犠牲になったり殺されたり、ということもあったということ、彼にとっては政治や国を語り歌うことは自然なことだったのだろう。
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ギタリストという側面でいうと、伝記で面白かったのは、
・知人の証言で「どんなギタリストのフレーズでもその場ですぐに弾くことができた」(まるでケンシロウのようだ(笑)
・若いころはギタリストと共演するとむきになって競争心丸出しで弾き続けてしまう悪い癖があったこと、
・ポールマッカートニーと共演した時も、あまりに弾きまくるのでポールが腹を立てて、あやうくギターのケーブルをひっこぬくところだった、
・後年のブルースアルバムではブルースの大御所と共演しているが、彼らからも「お前は愛する息子だが、その大音量のプレイだけは何とかしろ」と言われていた、
・ジョージ・ハリソンとは仲良かったみたいだけど、ステージでジョージの「ホワイル・マイ・ギタ・ジェントリー・ウィープス」を共演した時、リハーサルではやっぱり弾きすぎてジョージに注意されて反省して、本番では完璧に弾いた、とかとか。↓
(ちなみにこの時のジョージの嬉しそうな表情がたまらない)
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名演は数限りない。
・メジャーどころでは、スケートの羽生結弦氏が使ったことで急に有名になった名曲「パリの散歩道」は代表的なんだろうなと思う。”泣きのギター”の代表的なパフォーマンス。ボーカルがフィル・ライノットというのも泣ける。
・最近見つけてびっくりしたのは下の動画。2009年のライブらしい。ジェフベックの「Diamond Dust」をカバーしている。そもそもこの曲をカバーしている人なんてはじめて見た。拍子も4分の5、コード進行も複雑で、これでアドリブはすごく難しいんじゃないかと思うのだけど、難なく、やっぱりゲイリー・ムーアの世界で見事すぎて、おもわず笑ってしまう。
・しかしなんといっても、個人的には1990年のモントルーのライブでの「メシアが再び」がちょっとすごすぎて、もう言葉にできない…^^;
まさに不世出のギタリスト。
自分にとっては永遠のギターヒーロー。