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どうしてもチェロで弾いてみたかった3番ソナタのadagio

2024年7月録音。
ヴァイオリン曲なのでチェロでやるには大いに無理があるのは承知で、でも大好きな曲なので頑張ってアレンジして挑戦した。  
冒頭は「ド~レ、ド~レ、ド~レ」という二音の反復だけの本当に単純なテーマ(音型?)ではじまるが、それが2声、3声でおりかさなっているうちに、あれよあれよという間に和声の響きで充たされ、いつの間にかドラマチックな展開となり、起承転結ありの壮大な一つの音世界を作り上げる、という感じ。
これを弦楽器一本で弾かせようというバッハは本当に何を考えておるんじゃ?(笑)

しばらく前まではチェロでは絶対に弾けない曲だと思っていたのだが、やっぱり自分なりにチェロでも弾いてみたいと思い、ところどころアレンジして和音を省いたり、運指をあれこれ工夫してみたり、と試行錯誤をくりかえした。
とりあえずここまで形にしたので、ちょっとは自分をほめてあげたい(笑)

この3番ソナタはバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の全6曲のなかでの位置は第5曲目になり、中でもこの「アダージョ」はあの「シャコンヌ」の直後に来る。
自分の勝手な解釈だが、この「アダージョ」が全6曲の中での転換点、短調の世界から長調の世界へのターニングポイントだと思っている。

バッハは1720年に最初の妻バルバラを病気で失う。バッハが仕事の出張先から帰宅してみたら妻がいない、そこではじめて亡くなってすでに埋葬されたことを知ったと言われている。「シャコンヌ」が作曲されたのは大体その頃だと言われており、また曲調や「シャコンヌ」の全曲に通底するバスの進行が死を悼むコラール(「キリストは死の縄目につながれたり」)の旋律になっていることから、この曲がバルバラを失ったバッハの悲嘆を表現しているのではないか、という”仮説”がある。
もちろん直接的な証拠はないので決して証明できるものではないが、一つの魅力的な”仮説”ではある。

「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の全体を改めて見ると、このシャコンヌまでは基本的に短調の世界である(1番ソナタのシチリアーノと2番ソナタのアンダンテは例外的に長調だが)。そして、この「アダージョ」からはじまる3番ソナタはハ長調ですべて落ち着きのある明るい世界、さらに直後の3番パルティータはホ長調の輝くような明るい世界である。
愛する妻の死への悲嘆としての「暗=短調」の世界から、悲しみを受け止め神の救いを賛美する「明=長調」の世界への転換点にこの「アダージョ」が位置している、という解釈もあり得るのではないか。

そんなことを前提に、以下、自分の勝手な妄想だが、この曲の最初の「ド~レ、ド~レ、ド~レ」というだけの本当に単純なテーマは、愛する妻を突然失い、やけ酒をくらい、悲嘆のまま寝落ちしたバッハの耳に翌朝遠くから聴こえてきた鐘の音色に思える。最初はこちらの教会の鐘、重なるようにあちらの教会の鐘、さらに向こうの教会の鐘が重なり、徐々に音楽の世界が広がる…その中で神の救いに思いを寄せ、再び生きていく力をみなぎらせていくバッハ。そして次のフーガ、「来たれ聖霊、主なる神」というタイトルのコラール旋律をもとにしたフーガで神の栄光を高らかに讃える…
そんな解釈は突飛かも知れないが、いずれにせよ自由にイメージを膨らませて弾きたいもの、バッハといえども。

もっとも、そんな妄想に励んでいる暇があったらもう少しちゃんと練習しろ、とも言われそうだが(笑)


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