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大好きなゲームで文字に残したいことをまとめています
前作のintergradeの続きのrebirthについて描いていきます 前作はミッドガルを舞台でしたが、今作はミッドガルから脱してセフィロス(ジェノバ)を追いかけて外の世界で旅します 今作は セトラ や ジェノバ について知り対峙して各々の目的や意義について迫っていくことになる(新羅も含む、アバランチについては前作に含む) もうひとつ 死ぬことは肉体が滅ぶことが1つだが、真の意味で死ぬのは精神が無くなる時でそれが具体的な体験として表れるのが今作です。そもそもセトラやジェ
ストーリの長い作品でまだ途中だが、文字にして整理していおきたいと思いここに至る(現在12章終わり) 新羅カンパニーとアバランチの2つの組織の衝突が激化し、アバランチ側はプレート落下により仲間も失う大きな被害を受けた。 様々な問題に対して勿論対話ができたらいいが、それは互いに寄り添い受け入れる思想がなければならないので片方だけでは破綻する。 逆に対話する手段を取らなかった(取れなかった)時代に犠牲が多すぎたが故に自然と人々が求めて生まれたので対話であり時代的な変化と言える。
なにか芸術性を持って伝えることとは違って コミュニティの人々と振り返る機会がこの原爆の日なんだと思う これは孤独と向き合う所謂美術という芸術とは違う これが興味を持つキッカケとしては弱いが自分を取り巻くコミュニティと持続的に向き合う美術にはあまりない要素に思う これは個人主義がまだ無かった(又は弱かった)からこのような形式が当時は強かったのだ、ただ今や宗教は死にこの形式は弱いものに堕ちている そういった面で伝わりづらいものなのだと思う 芸術家が死んだときはそれと似たようにな
己の生い立ちに苦しみながらも、 それに抗いながら様々な形で運命と対峙しようとする彼らの物語
悲しみや苦しみのない世界に生きる悦びは無い
映画を観てきた 悍ましいほど胸が揺らぐ作品 長らく停滞していた切り取られた純粋性から脱したもの 暮らしと遠のいていた美術による芸術 この作品は暮らしと繋がる我々が紡いでいきたい芸術 宮崎さんでなく宮﨑さん この一歩は途轍もなく大きい 我々は消費せず汲み取り忘れながら日々を暮らそう
それはどういったものだろう 数多の生命の死と向かい合うものがいい 希望には絶望が伴う その為に墓は重要なもの 自分の小指に離さずある指輪がある それは自分にとって十字架のような墓である それは個人の為で弱いもの 弱いものを伝えるために生きていく その前提に個人的な弱いものでも個人を支えるものがあるといい 支えるものが無いといけなような弱いものでも弱いから支えるのだ それが大事だから
”怪物”観てきました 汎ゆる物事にある絶望に付随する感情と本質を理解する難しさを示しているそしてその絶望に対して”祈る”という根源的な行為と英雄崇拝が生まれるところが見えた作品でした 脚本が面白くて物事の本質を理解する難しさを脚本によって伝えていて勿論作品内の人物も本質を理解できないし、現実でも同じで相当な覚悟があっても難しいことだと示すところが印象的でした 今回の作品と柳宗悦が言っていた現代の個人主義(英雄崇拝)の時代から変えていこうという運動が目指すのはどういう暮ら
先日に友人に”動物と暮らすこと”について聞かれた その時は話すことが出来なかったのもあって今日深く考えようと思う 自分が思う”動物と暮らすこと”は 我々に無い感覚のある彼らの背中を見て過ごすこと それは幼少期から動物と過ごした自分だからという個人的なものでもあり 芸術が欲されるように社会が必要とすると思います それは動物であり植物であり人間であり自然であります その中での”動物”というのは人と身体的に近しく汎ゆることを感じ取りやすい関係にあり、先述した我々が無い感覚を持っ
私は自社ビルに暮らしている 物に溢れていて父が進行形で収集している 手を付けようにも手こずり、厄介な感情が芽生えてしまう この状況を往なすことは出来ないだろうかと悩んでいた 母の実家は築100年の長屋で好きだったが、ものに溢れていた 自社ビルと母の実家の違いは進行形で収集する人が居ること居ないこと 答えはそこにあり、違いはあるがそれ以外は同じようなもの ’’ビル’’であるか’’古民家’’であるかは重要ではなく暮らしが重要 言葉は重要だが、その言葉によって本質を見失うことがあ
いつもの散歩での出来事 ’’その子は北海道犬かね?’’ ひぐまを迎えて7年経つが初手で犬種を当てた人は初めてだったのでびっくりした、慌ててそうですそうですと返事をすると ’’日本犬だから触れないね’’ と少し寂しそうに公衆トイレへ入って行かれた 何も喋っていないのにこれだけ理解度がある人がいるのだな、と感動 深く干渉もせず自分の好きな距離感だ こういった人は土日ではなく平日の方が遭遇しやすい その人は昔北海道犬と暮らしていたのか、そういった仕事をしていたのか ああいう人
墓は生きている者が過去と向かい合う神聖な場所 それってなんだろうと最近考えたので残そうと思う 人の死は燃やされ遺灰が墓に埋葬される様式がある うちの家族は動物が多かった、そして人より早く死ぬ それ故に埋葬や手を合わせる機会が多かった 死が与える絶望から希望を与えてくれる尊いことを大事にしたい 墓は手を合わせる行為がモノとして在るところ 様式が導いてくれたが様式の限界もある もっと優しく寛容に寛大なその人の匂いが残ったような その人を知らない人にも伝わったらなって そんな
先日訪れた際掃除やら粗方冬支度を終えたが、今回煙突掃除を目的として行きました。雪降寸前の山に興味があったのもありけり 煙突掃除は上手くいき早く終わった。 23,4年掃除してなくて不安の側面もあったけど何事もなく終わり。 他にも湧き水の詰まり問題を把握して日が暮れる前にダム湖へ散歩。 これまでに無く自然を感じることが出来たし、この環境が自分にとって居心地が良かった。今まではもっと賑やかに過ごしていたので感じることができなかったのかもしれない。 自分がこの辺境の地にある別宅
今朝の散歩でアーロンくんとラブちゃんとお話できたので幸せだ~ そこでのラブちゃんとの会話について覚え書きを残します。 ラブちゃんは白柴だけど両親が白柴と茶柴の子なので耳から尻尾のあたりまで薄い茶色の毛になっている、かわいい。 飼い主さんは品評会という催しに行ったことがあるらしく、白柴は全身真っ白で黒柴が全身真っ黒に白はんぺんがについたのが’’皆’’から好まれるそう 純血主義はわかりやすいけど混在主義のようなものは歴史的に評価されてこなく文脈をこれから作っていかないと駄目な点
朝一にすずめの戸締まりを観にいきました。 内容は省きますが良い作品でした。 以下は観た方には分かる内容になります。 絶望して 神を創り 神に縋り 神を殺した 神を馬鹿にするな 神を大事にしよう 映画を観ながらそう頭の中をぐるぐるさせていました。 家族において子ども、我が家にとってはひぐま(うちの犬)は要石。家族を保つための要石。自由を奪い要石の役割を負わせる。残酷だが優しくなれるキッカケだとおもう。そして神は’’気まぐれ’’なのも当然の如く。 神が人に縋る描写が興味深く
紅葉もおわりいよいよ冬かと思っていたが、今日はひぐまと少し走っただけで暑くなるくらいの陽気で散歩日和だった まだススキも落ちておらず地元の公園はまだまだ冬では無いそうだ 久々に友達のアーロンくんに会った、ひぐまと同い年で気が強い性格が似ている子だ、相性も良さそう、互いに距離感も良くいい感じ 飼い主さんとは犬のことでよく喋る ''どこどこの公園が良い'' ''夏は早朝6時頃散歩する''などなど でも名前も知らないこの関係が心地良い Steamでオータムセールが催されているの