第4期 絵本ゼミ①
第1期〜第3期の間の受講目標は、絵本をたくさん知ることだった。
絵本ゼミに入らなければ出会わなかった絵本をたくさん知ることができ、少なかった私の絵本のレパートリーを広げることができた。
第4期の受講目標は、リフレクションを書くこと。
修論で赤羽末吉についてをしっかりと集大成として完成させることができたら、絵本ゼミの集大成として、第5回のリフレクションでは、自分が絵本ゼミで出会った作品でプチレポートを書いてみたいという挑戦もある。そんなことも踏まえながら、思ったことを書く練習も必要だと感じたので、短くてもリフレクションを書くことを目標にしたいと思う。
第1回目の授業は、翻訳について。
ふと考えてみると、今までに絵本×翻訳でレポートを書いたことがないと感じた。
翻訳の難しさと奥深さを知ってしまい、通ってこなかった道なのかもしれない。その理由は2つある。
学部生の時にミッキー先生の「翻訳練習」を1年間学んだ記憶が蘇ってきた。「翻訳練習」の授業は、学部の授業の中でもトップ3に入るくらい必死に頑張った授業だった。英語が全然できなかったので、単語がわからなく訳す時に一つ一つ辞書で調べて、自然な訳を考えて・・・ととても時間がかかっていたのである。
しかし、春学期の最初は毎回の課題に5~6時間ほどかかっていたのに、秋学期の最後の方になると3時間くらいで課題ができるようになっていた。毎回必ず期限内に課題を提出した達成感も大きかった。とても難しかったけれど、一番勉強になった授業だった。
「翻訳練習」の授業は、ミッキー先生が翻訳をしたテリ・テリー『スレーテッド』(祥伝社文庫, 2017)の後?のお話だったので、『スレーテッド』3巻分も拝読してから、「翻訳練習」の課題に取り組んだ。しかし、先生のような流暢な翻訳に訳すことができなくて、毎回苦戦状態だった。本当に先生の訳は、臨場感や迫力、緊張感、鮮明に浮かぶ情景など、素晴らしい翻訳で、3巻を3日で読破したなぁ。(密かに次の刊行を楽しみにしております。)
もう一つは、マリア・ニコラエヴァ&キャロル・スコット『絵本の力学』(玉川大学出版部, 2011)の第1章『この本は誰のものなのか』での翻訳の場面の印象がとても大きかったことが挙げられる。
第1章の別の言語に翻訳された絵本の具体例として、ピヤ・リンデンバウム『名犬ボーディル』(原題 Roken om Bodil, 1991 英訳1992)が挙げられていた。(p20~23)
原作のスウェーデン語の直訳とアメリカで出版された翻訳版の一部を読み比べると、絵は同じなのに文章が全く異なり絵と言葉の関係が正反対であると学んだ。日本で出版されている版も読んでみると、スウェーデン語でもなく、アメリカの翻訳版でもなく新たな翻訳になっている部分もあった。そのため、翻訳とは奥が深くて思っていたよりも複雑なのかもしれないと思ってしまったのである。
以上の理由で翻訳以外のことに興味を持ってしまったが、今回の講義を受講して翻訳に興味を持つようになった。
そこで、私は灰島かり『新装版 絵本翻訳教室へようこそ』(研究社, 2021)を読んだ。この本を読んだ途端、今までの腰の重たさがなくなったように、もっと早く知りたかった!と感じた。
そのため今回は、誰もが知っているエリック・カール『はらぺこあおむし』(偕成社, 1976)を例に、なぜ『はらぺこあおむし』は日本でも人気がある作品となったのかを探るために、翻訳の視点から感じたことを述べていきたいと思う。
①『はらぺこあおむし』は文頭から、英語と日本語が異なる。
以下は、『はらぺこあおむし』の冒頭の文章である。
英語版:In the light of the moon a little egg lay on a leaf.
(直訳: 月明かりの中、葉っぱに小さなたまごがあります)
日本語版:「おや、はっぱの うえに ちっちゃな たまご」おつきさまが、そらからみて いいました。
英語版は客観的に状況を説明している。英語版に対して、日本語版は「おや、」という感動詞から始まり、お月様が喋ることにより、一気にファンタジーの世界に引き込まれていくことが読み取れる。月、たまご、葉っぱという単語は同じであるのに、訳を変えるだけで日本語版はお月さま目線になるのである。
灰島は語りかけることについて『新装版 絵本翻訳教室へようこそ』(研究社, 2021)の中で、口語的な文章は、読者に語りかけることであり、読者に語りかける調子は絵本の中で必要な要素であると述べている。(17)
客観的な文章では、読者も絵本の中に入り込むことができなくなり、絵本と読者の間に見えない壁が生じてしまう。しかし、語りかけることにより、一気に絵本と読者が親近感を感じ、絵本の中に入り込むことができるようになるとわかった。
さらに、絵を見ていくと、左側に葉っぱ、右側におつきさまが書いてある。英語版の読み方だと、月を見た後に葉っぱに視点が動く。つまり、絵本は左から右に動いていくのに対して、文章は右から左に視点が動くのである。一方、日本語版の翻訳の場合、葉っぱを見た後に月に視点が動く。つまり、絵本の動きも文章の動きも右から左に視点が動く。読者は違和感を覚えることなく、次のページにどんな世界が待っているのだろうとより引き込まれていくのではないかと考える。
②オノマトペ「ぺっこぺこ」
『はらぺこあおむし』には「おなかは ぺっこぺこ」というフレーズが繰り返し登場する。英語版の場合、But he is still hungry.(でもあおむしはまだお腹が空いています)。読み聞かせの時には、リズムも大切になるため、「ペコペコ」よりも「ぺっこぺこ」の方がよりお腹が空いている様子が伝わってくる。
灰島はオノマトペについて『新装版 絵本翻訳教室へようこそ』(研究社, 2021)の中で「英語では約3000語、日本語には約12000語のオノマトペがあると言われています」と述べている。(68)日本語は英語の4倍のオノマトペがあることが読み取れる。
さらに、「おなかは ぺっこぺこ」の前のフレーズの多様性も日本語の豊かさであると思う。
①まだ おなかは ぺっこぺこ
②やっぱり おなかは ぺっこぺこ
③それでも おなかは ぺっこぺこ
④まだまだ おなかは ぺっこぺこ
「まだ、やっぱり、それでも、まだまだ」これらのフレーズは、「もっと」を表現する言い方である。英語は「still」の一語でこれらの言葉を全て含んでいるが、日本語には同じ表現の言葉でも言い換える言葉が豊富であることに気がつくことができる。
一方、英語版は先にも述べたようにBut he is still hungry.の繰り返しである。そこで、偕成社が投稿していたYoutubeの「エリック・カールさんによる『はらぺこあおむし』の読み聞かせ動画(英語)」を見てみると、But he is still hungry.の「still」で全て一呼吸置いていることがわかる。英語の場合、「still」を強調することで、まだまだお腹が空いていることを表現しているのだ。
日本語では、「もっと」の表現を多様な言い換えで表現している美しさがあり、英語ではstillを強調することにより「もっと」を表現しているのではないかと感じた。
③お腹が痛くなった時に食べたもののリズム
土曜日にまだまだお腹が空いているはらぺこあおむしは、いろいろな食べ物を食べる。日本語の場合は、「チョコレートケーキと アイスクリームと・・・」と食べたものに焦点を当てている文章である。
一方、英語の場合は、「one piece of chocolate cake, one ice cream cone, one pickle・・・」のように必ず「one」を置いて食べたものよりも「1つ」に焦点を当てて強調している。
灰島は読みやすい文章とは、メリハリのある文章であり同じような文を続けないことが重要であると述べている。(28)
英語から日本語に直す時には、言い方が異なるためリズムを揃えることが難しいが、絵本においてリズムの重要性がより感じられた。
以上より、エリック・カール『はらぺこあおむし』(偕成社, 1976)を具体例に翻訳の視点からもう一度読み直した。英語の文章の素晴らしさも日本語の翻訳の素晴らしさも再確認することができ、3つのポイントを見つけることができた。
「翻訳」と聞くと難しそうだったが、参考文献を読みながらもう一度読み直してみると翻訳って面白いかもと興味が湧いてきた。と同時に、翻訳をする際には、英語の知識も必要であるが、それよりも大切なことは日本語のレパートリーの豊富さであることを身に染みて感じた。
今回は英語から日本語の翻訳についてを学んだ。日本語から英語への翻訳の場合には、また違う観点や視点が必要になるのかもしれない。そんなことも考えながら、今後も学んだことを実際の絵本とともに見ていきながら、翻訳についてももっと勉強してみたいと思う。