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勝手に異国交流

僕は賃貸アパート4階建ての2階に住んでいます。下の階には外国の方が住んでおり、会った時に会釈する程度の仲で、調子を確かめ合ったりお裾分けしたりするわけでもありません。ただ、一方的に感謝をしているコトが1つあるのです。
それはある遅い夜のこと、布団に転がっていた時の話。いつもは気づいたら朝になっているハズの当たり前が、今回は全く夜のままで苦しんでいました。こういう場合には「えっち」か「くだらない」コトを考えると良いと心得ていました。この2択のどちらを考えようか考えていると、何処からか陽気な音楽が聴こえてくるのです。あと2時間ほどで丑三つ時になろうとするこの夜中に、騒がしさと苦しさも相まり苛立ちが生まれ落ちました。よく聴くと、その音楽は1階から聴こえてきており、「これだから、異国人は」と。僕は、玄関を飛び出し階段を3段飛ばしで降り陽気な空間の扉をドンドンドンと叩き日本の雷を喰らわせてやる、勇気もない小心者ですので悶々とただただ身震いしてました。そんな日本人である僕が対抗した術はただ1つ、共にこの音楽を楽しもうという作戦だ。苛々していてもカラダとココロに良くない、ならば音楽と一体になり、運良く眠りにでもついた際にはこの戦争の勝者だと。ましてや、僕は大の音楽好きだと自負しているし、異国の環境音楽は好物でもある。
耳を傾けると、少なくとも6〜10人くらいはいる様に思えた。ギター1本のメロディーと女性声、その周りには賑わう人々。異国の地で久しぶりに集まった仲間達と宴なひとときを過ごしているのだろうと考えると、なんだか、その音楽には寂しさもあり優しさも感じられた。
ふと、「“大橋裕之”さんの漫画読んでる時に近い感覚やな」と思い、「咳をしても一人」というコトも考えた。気づいた時には朝になっており、今でもあの夜を考えている始末。
話は始めに戻るが、僕は感謝しているのです。いい音楽と切ない時間をどうもありがとうと。コレはきっと僕にしかわからない感覚から生まれる感謝だと思っている。彼らにうまく伝える力も勇気も無いため、ここに書かせていただきました。ただ、夜中に騒がしくても怒らない人っているのか気になります。みんな怒るよね?


▲この音楽とこの雰囲気を残したいと思い、ボイスメモしていました。こういうコトは「残さない美しさ」や「記憶の中で」的なことは考えましたが、とりあえず皆さんも聴いてみてください。果たして、どの様に聴こえどの様なコトを考えるのでしょうか。
僕は懐かしさも感じましたね、どことなく母なる優しさみたいな。“the books”というデュオバンドの音も、同じ「デジャブ的なる感覚」が味わえて僕はとても好きです。是非

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