不定期新連載(3) 高野史緒の人生
自分の行動がわかっていない
樋口恭介という困ったSF作家がいる。
何が困るかというと、樋口が旧Twitterで言い出した「異常論文」という未だに意味のわからない特集を言い出したら、日本で唯一のSF専門誌「SFマガジン」において編集者が即座に採用してしまうと言う前代未聞の事を行ってしまったのだ。これは私が知っている編集者の行うことでは無い。この真剣味の無さは何なんだろう?
さて、高野史緒氏が関わってくるのはここからである。樋口恭介が「読んだことのない作品を噂だけで想像してみる」という特集をすると言い出したのだ。これって他のクリエイターを侮辱する行為を行うと言っているのと同じである。あまりにも酷い。そこで私は皮肉を込めて自分の好きな作品を提案してみたところ、樋口恭介が騙されてしまったのだ。
そして騙されたとわかった樋口恭介は逆ギレして怒鳴り散らかした。そうしたところ、高野史緒は「この人はここ20年感変わらず不誠実だ」と言い出したのだ。
さて、不誠実極まりないのは誰なんだろう?
結局、この件に関しては、樋口恭介とSFマガジン編集部が全面的に謝罪することで収束した。
そして、高野史緒は、「これまでブロックなんてしたことがない」と言いながらブロックをするという見え透いた嘘を平気で公言するに至ったのである。
恥も外聞も関係なく、自分のプライドを守るためならば何でもするのが高野史緒なのである。
日本のSF作家とは選民意識に凝り固まった奇妙な集団である
この発言などは、不謹慎であり、不適切であり、倫理観に欠けているのが明らかである。
なぜか日本のSFでは、世界が抱え込んでいる深刻な問題であっても茶化して良いという意味のわからない行為が常識になっている。
現実から逃げられない人間が、現実と乖離して何のための表現なんだろう? 倫理観・道徳観を疑う。
それでありながら、SFは特別であり、未来を創造できるという根拠のない論理には呆れ返るしかない。そこには批判精神もなく、体制の悪いところを加速させる結果にしかならないといった想像すらできない歪な心理しか読み取れない。
ようするに、日本のSFは、一部の例外的な方を除けば、こういった意識で文学を創造している方で占められているわけである。
そして、高野史緒はこのど真ん中にいる。