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Detour

メルボルンを離れてみたくなった。半年以上済んだ街。日本人もたくさんいる街。仕事にも慣れて来たし、どんどん寒くなってきたし、友達もできた。
いわゆるComfort Zoneになってしまった気がした。せっかく1年しかオーストラリアにいないなら、他の場所も経験してみようと思った。どうせなら、日本人が少なくて、あんまり人が行かない、パースへ。

パースから電車で30分の小さな街Fremantleに移った。日本で私が知っている都市でいえば、山形の長井か銭函みたいな感じ。歴史的な建物が有名で、レンガの建物で街が埋め尽くされたとっても美しい街だ。日本人はおろかアジア人が本当に見当たらなくて最初はかなり不安になった。自分がマイノリティだと実感した。話しかけてみれば普通なのだが。ここの人は、信じられないほどスローライフ。高齢の人も多く、若者はここで生まれ育ったという人がほとんどだった。メルボルンのように、激しく世界中から来たいろんな国の人が入り乱れるという環境とは真逆だ。運よく仕事も家もすぐに見つかった。ローカルのカフェ、家はFremantleからバスで30分の住宅街。

働き始めたカフェはテラスがメインのローカルカフェ。テーブルサービスではなく、カウンターで注文を取って番号札を渡し、コーヒーをテーブルに運ぶというスタイル。ここら辺のカフェはどこもそうだった。すぐにコーヒーづくりを一人で任せてもらえるようになった。2時半クローズと公式では書いてあるが、お客さんが引くと1時にはお店を閉める。びっくりだった。

そんなこんなでとっても素敵なハウスメイトとスローライフを送りながら、Fremantleで過ごして2週間たった。

私は、メルボルンに戻ることにした。

タイトルのDetourとは、「迂回」という意味である。オーストラリアの反対側まで来て、メルボルンのたくさんの人に別れを告げてきて、たった2週間でメルボルンに戻る。Fremantleにくるのは私の挑戦だった。誰も知らない所で1からまたやってみようと思った。でもやっぱりメルボルンにいたいと思ったのだ。

戻るための航空券を買うまでも、買ってからですら悩んだ。いやまだ悩んでいる自分がいる。
この決断が正しいのだろうか。
Fremantleが嫌いなわけじゃない。素敵な街だ。とっても落ち着く。ただし、このスローライフは21歳の私にはまだ早かった。刺激が足りない。夜の街に友達と繰り出すのはこの街では難しい。終バスは午後9時半。土日はあまりお店が開いていない。夕日は綺麗で、空気はゆったりしていて、星は綺麗に見えるだろうけど、私がやりたいことを叶えられるのはメルボルンだと思った。
至るところにいるストリートミュージシャン、世界中の人が入り乱れる街、忙しくて、時間が速くて、夜も明るい街。それは、私には何かのために一生懸命頑張っている人達であふれているように見える。私はメルボルンのそこが好きなんだと離れて気づいた。ただ私がまだ街を良く知らないだけかもしれない。メルボルンの友達が、知っている場所が恋しいだけかもしれない。でもメルボルンにいたい。もっとたくさんの人と出会ってたくさん話をして、たくさんコーヒーの勉強をして、こだわりの強いメルボルンの人達と対話を重ねていきたい。もっといろんなカフェに行ってみたい。もっとお互いを刺激し合いながら一生懸命に生きたい。残り少ししかないこの貴重な時間を1秒も無駄にしたくない。この決断が前進なのか後退なのかまったく分からないが、私には珍しく自分の直観を信じてみようと思う。

自分の「好き」を知るための、高価な迂回だ。


Fremantle


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