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大戦中に産まれた一人の女の子
ほぼ同時期に起きた事件である金大中事件は母からいろいろ聞かされたものの、東アジア反日武装戦線のことは名前くらいしか知らされた記憶がない
そこには、家庭環境や生育に関わる微妙な思いがあったのかもしれないと想像するが…
彼女は海外航路の船長だった祖父の家庭で末っ子として産まれ、叔父にあたる長兄も大変優秀な成績で弓削商船学校を卒業したから、蝶よ花よと可愛がられて育てられるはずの人だったが、二人とも兵站を担う輸送船に乗船していた時に米国の魚雷の標的となって海の藻屑となり、大きく運命が変わってしまう
薄っぺらい鋼板の貨物船でしかなかった民間輸送船は、太平洋戦争を遂行する上で欠くべからざる兵站の任務を負ったが、米軍の魚雷の標的としてはこれほどラクなものはないから、次から次へと船員諸とも戦没していった
マドロスさんらしく、港ごとに懇ろにしている女性が居たという祖父の死はともかく、長兄の死は祖母を一生苦しめた
そもそもを言えば、祖母は西廻船航路の主要港を擁した新潟市の出身で瀬戸内の小島とは縁もゆかりもない
(Twitterで叔父がどのような人物か教えてくださった方によると、
「米田正行 本籍愛媛県越智郡弓削村字下弓削甲198 大正13年1月4日生 海軍予備練習生 弓削商船学校機関科8期卒 昭和15年7月1日の官立商船学校創立式で在校生総代を務める 昭和16年12月1日ころ呉海軍工廠で工場実習 海軍予備一等機関兵曹 日産汽船日鈴丸機関士(海軍軍属)昭和19年3月9日香港南方で潜水艦の雷撃を受け沈没戦死 北緯19度44分東経115度52分 遺族父米田行雄」
と残されており、官立商船学校の総代を任されるほど優秀で自慢の息子だったのは違いない
ちなみに母方の祖父は
「米田行雄 明治31年12月18日生 弓削商船学校航海科15期卒 甲種船長海技免状所持 昭和16年12月ころ宮地汽船喜山丸船長 陸軍徴用興国汽船祥山丸船長(陸軍軍属)昭和19年7月17日戦死 ボヘアドール岬西北西93㎞付近にて潜水艦の雷撃を受け3時45分沈没 北緯18度50分東経119度43分 遺族キミコ」
父方の祖父は
「大森爲次 本籍愛媛県越智郡弓削村字下弓削66 明治34年9月2日生 従7位 甲種船長免状所持 大正10年4月7日海軍兵籍編入 12年5月19日弓削商船学校航海科17期卒業 12年7月1日海軍予備一等兵曹 昭和6年6月1日海軍予備兵曹長 13年6月15日海軍予備少尉 昭和16年7月ころ大連汽船洮南丸船長下船 昭和16年9月ころ一進丸船長 昭和16年12月ころ天山丸船長 昭和17年11月16日海軍予備中尉 大連の住所大連市菖蒲町32」
両親とも芸予諸島に浮かぶ弓削島の出身だが、今は商船高専として五つだけ残る官立商船学校の一つが、多くの人は存在すら知らないこの島にはあり、成績優秀な生徒さんは船員になることを選ぶ人が多く、グローバルな旅客や物流の花形でもあった職業に就いたその人たちが築いた裕福な家も多かったように聞く
祖母が大切な息子を失い嘆き悲しんでいると、周囲の人たちからはあんな船に乗せるのが悪いと言われてますます自責の念に駆られていくのだが、成績優秀過ぎて「海軍予備一等機関兵曹」まで取り立てられたなら、逆らうことはまず不可能だったに違いないだろう)
一家の大黒柱を失った米田家の家計はいきなり火の車となり、尾道の高等女学校に通っていた叔母は即座に退学して、縁のある商船学校の寮母となり、生涯結婚せぬまま定年までその仕事を続けた
祖母は、戦死した船員の遺族が軍人恩給を受け取れるようになる1952年まで、やれることはなんでもやって家族を養っていく
一時貸本屋を営んだとも、乳を目当てに山羊を飼っていたとも聞いた
仔山羊の天真爛漫な可愛さは格別だったとも…
そんなにお勉強ができたようでもなかった母は、先生から文学の才能を褒められて大いにその気になったが、米田家には彼女が望む都会の進学先に行かせる経済的な余裕はまだ無く、結局今も島に残る県立弓削高等学校に進学し、多少の曲折を経て文学の道に身を投じるように上京した
志を持って行った先は、岸信介首相を退陣に追い込んだ60年安保という政治の季節に染まった時期の東京だったから、彼女の中で文学と共に政治的な関心が高まっていったのも必然だろう
おそらく当時は少なかった大卒の男性たちに混じって文学や政治を論じる日々だったと思われるが、この辺りのことはほとんど語らないまま逝った
しがない田舎の島の高卒女性が、東京の大卒のエリート男性たちの中でどのような思いをしたか、僕の想像を大きく超えていたことは間違いないだろうが
両親が念願の一戸建ての住宅を購入して本棚にずらっと並んだ本の数は大層多かったように、10歳の小学生には見えていた
フォークナーらのアメリカ文学を好んでいたとはいえ、朝鮮民主化運動に関する本も多かったし、後に死刑囚のまま永山則夫に文学賞を与えた『新日本文学』という雑誌が毎月届いてもいた
問題を抱えた幼少期をテーマにしたノンフィクションも多く、トルーマン・カポーティの『冷血』についてはその内容を何度も語っていた
父は家族を養うには心根がいささか弱かったようで、それはおそらく育ちの良さのせいとも思われるが、母のやりたいことをそのままやらせていたのは、当時の男性としては大したものだったとは今も誇れる
家計を支えるために、フルタイムのパート(おそらく今でいう非正規雇用待遇だったと思われるが)を続けながら、文学や政治での交流を広く続けた
手のつけられない乱暴な悪童だった自分は、この頃から大きく変わって貪るように本を読んでいくようになる
父からは、公安警察から身を隠すようにアジトにひたすら身を隠して生活する極左活動家の如く「政治犯」と揶揄されるほど、やるべきことと定められていた朝晩の犬の散歩の他に外に出ることもなく、しかし子どもの数は現在の日本とは比較にならないほど多かったから、員数合わせで誘いが来る
断る理由もないから、そのまま年少年長関係なくみんなで暗くなるまで遊んで帰るのが、自分の小学生後半の生活だった
勉強しろと言われたことは大学に進学するまで一度もなかったが、浅田彰を世に出した一人でもある森毅さんの先輩筋にあたり、「水道方式」を世に広めるべく活動された遠山啓さんが監修した、子ども向けの算数の解説書シリーズがさりげなく置かれていて、しばしば眺めていたのは覚えている
母にしてみれば、心密かにしてやったりという気持ちだったんだろう
小学生高学年に図形の面積を求めることを教わり始めた頃から、「算数は面白い!」となって以来、「理系」数学の最後に待ち構えている積分の計算まで、ただ単に面白いからという遊び気分が変わることなく、得意科目にしていたのだから
水道方式を自分が理解できていたとは言い難いとは感じるが、それがどんなものかについてはWikipediaにはかような説明があり、
また、チャットGPTにまとめて説明してもらうと下記の回答があった
Copilot が送信しました:
遠山啓の水道方式に関する小論文
はじめに
遠山啓(1909-1979)は、日本の数学教育において革新的なアプローチを提唱した数学者です。彼の「水道方式」は、子どもたちが算数を直感的に理解し、楽しみながら学べるように設計された教育法です。本論文では、水道方式の背景、特徴、およびその教育的意義について考察します。
背景
戦後の日本では、教育改革が急務とされていました。特に、算数教育においては、従来の暗記中心の教育法が限界に達しており、新しいアプローチが求められていました。遠山啓は、このニーズに応える形で水道方式を提唱しました1。
水道方式の特徴
水道方式の最大の特徴は、子どもたちが算数の基本概念を視覚的かつ体験的に理解できるようにする点です。具体的には、以下のような特徴があります23。
具体物の使用:
数字や計算の概念を具体物(例えば、ブロックやカード)を使って説明します。これにより、抽象的な概念を視覚的に理解しやすくなります。
段階的な学習:
学習内容を小さなステップに分け、段階的に進めることで、子どもたちが無理なく理解できるようにします。
反復練習:
基本的な計算や概念を繰り返し練習することで、確実に身につけさせます。ただし、単なる反復ではなく、ゲームやパズルを取り入れることで、楽しみながら学べる工夫がされています。
自己評価:
子どもたちが自分の進捗を自己評価できるようにし、学習の達成感を感じられるようにします。
教育的意義
水道方式は、単なる算数教育の手法にとどまらず、教育全体に対する新しい視点を提供しました。以下にその教育的意義を挙げます4。
主体的な学び:
子どもたちが自ら考え、問題を解決する力を養うことを重視しています。これにより、学習への主体的な姿勢が育まれます。
協働学習:
グループ活動やペアワークを通じて、協働して問題を解決する力を養います。これにより、コミュニケーション能力やチームワークの重要性を学びます。
創造性の育成:
ゲームやパズルを取り入れることで、子どもたちの創造性を刺激し、柔軟な思考力を育てます。
結論
遠山啓の水道方式は、算数教育における革新的なアプローチとして、多くの教育現場で採用されました。その特徴である具体物の使用、段階的な学習、反復練習、自己評価は、子どもたちが算数を楽しく学び、深く理解するための有効な手法です。さらに、主体的な学びや協働学習、創造性の育成といった教育的意義も大きく、現代の教育においてもその価値は色褪せることがありません。
1: 数学者・遠山啓による「楽しい授業」論 - J-STAGE https://www.jstage.jst.go.jp/article/nasemjournal/44/0/44_73/_pdf/-char/ja
2: 遠山啓の教育思想 : 初期の生活単元学習批判を中心に https://omu.repo.nii.ac.jp/record/2793/files/2019000061.pdf
3: 水道方式 - CiNii Research
4: CiNii 図書 - 水道方式とはなにか
僕は漢字の読み間違えが多くて、それを口にするたびに母に訂正され続けた
認知症がガクンと悪化する直前まで、読み間違えの指摘は続いた