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常田大希を考察する-ロシア〜ソビエトの文化と歴史(補論です)
前回で触れられなかった補足的な投稿になりますが、常田大希さんの音楽を理解しようとする上で、知っておいても損はしないし無駄にもならないというくらいの内容になるかもしれない程度のことと先にお断りしておきます
これまで長々と続けてきた、クラシックと呼ばれることの多い西洋音楽に関するテーマに絞って考察した最終回になります
常田大希さんの音楽について、特にキングヌーでの活動に関しては、クラシック≒西洋音楽の素養をJポップに取り入れて、それまでのJポップを大きく刷新したアーチストとして自分はみてきました
2018年前後を境に、そうしたアーチスト(個人的は、演っているのは音楽なんだから「ミュージシャン」やろと思うので、この呼称には全然しっくり来ませんが…)が続々と登場して大人気となり、ミスターチルドレンに代表される1990年代から続いてきたJポップの光景を全く違うものに変えていく中で、キングヌーはクラシック≒西洋音楽の素養を修めた人たちがやっているという点で特異性が際立っています
ボカロP出身の米津玄師さんやYOASOBIやadoさんとは出自が異なるという意味で、常田大希というアーチストとはまた異なる方向で唯一無二の輝きを放つ藤井風さんをこの考察の最初に持ってきたり、
Jポップだけではなく、かつての「ブラック・ミュージック」の影響を受けた音つくりを目指していた藤原隆さんがフロントメンバーであるOfficial髭男dismさんについてチラッと触れたりしてきましたが、
坂本龍一という、ともに東京藝大出身でクラシック≒西洋音楽をきちんと修養していながらもポピュラー音楽の分野でも大きな足跡を残したという点でも大先輩である人物と比較すると、2020年代に最前線の音楽を模索する常田大希が備えている個性がより際立つということを書いてきただけだったのですが
つい最近までの自分自身がそうだったように、クラシック≒西洋音楽なんて全然知らないよという方々にもできる限り届くようにという意識があったので、知識ゼロからでもわかるようにと書き始めると説明のための分量が沢山必要になってきたという感じで長々と続けることになって、ようやく今回に至ったという感じです
坂本龍一さんが正当に評価しながらもあまり好みではなかったとしか思えないストラヴィンスキーやプロコフィエフといった旧ソ連の20世紀の音楽家たちから影響を受けたと語る常田大希さんは、長野県松本市のサイトウ・キネン・オーケストラを率いて常田さんに西洋音楽の本質を継承した小澤征爾さんと坂本龍一さんくらいの遠い距離があるように思えます
そのことを手掛かりにして、常田大希さんを2020年代に本格的な音楽制作活動を始めた今後も大きく羽ばたいていくであろうアーチストとして評価するために、そのように考えられうる幾つかの理由の中から、まず最初の手掛かりとなるテーマを設定をして、自分なりに考えながら書いてきたものがこれまでの考察でした
では、ストラヴィンスキーやプロコフィエフを生んだロシアや旧ソ連の音楽や文化は、本場とされた西欧のそれと比べてどんな違いや特徴があったのか
それを振り返ってみようというのが今回の投稿の趣旨です
(とりあえずこれまでの投稿をマガジンにまとめておきました
どれも長いものですが、よろしければ最初から通読していただけますし、今後の考察もここに含めていきます
直接言及していないものの、常田大希を考察するために必要だった投稿も含まれています)
今後も引き続きやらざるを得ない常田大希の考察は、自作自演のバンドとして1990年代からのJポップを牽引してきたミスターチルドレンを起点に、過去のミュージシャンをYMOに関連する人脈をほぼ一切抜きにして、言い換えれば「はっぴぃえんど史観」というような邦ロックの捉え方とは無関係に、遡っていくものに移っていくことになります
やってみると、小林武史さんを仲介役としてミスチルの桜井和寿さんと共演した桑田佳祐率いるサザンオールスターズから四畳半フォークをニューミュージックに接続させた重要人物の一人である吉田拓郎に辿り着き、更にはGS(グループサウンズ)の末期からキャリアをスタートした近田春夫という特異なミュージシャンと強い関わりのあった内田裕也や、カレッジフォークと呼ばれた音楽の中心にいた加藤和彦にまで行き着きましたが、それらについては次回以降になります
YMO関連の人脈を敢えて外して日本語のロックの系譜や歴史を追いかけていった理由は、決してひねくれた意図からのものではなくて、調べれば調べるほど常田大希と坂本龍一の距離があまりにも大きいものだったからという理由でしたが、案外面白い光景が見えてきましたよ🙂
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「イタリアで生まれ、フランスで発展し、ロシアで完成された」
という言葉がありますが、これはバレエに関して言われているものです
オリンピックで競われるフィギュア・スケートでも、ロシアの選手が持つ強さの一つとされてきたのがロシア流のバレエのレッスンで得た指先まで意識された繊細で美しい演技です
19世紀のロマン派と呼ばれるクラシック=西洋音楽はバレエの楽伴音楽でもあったと先に書きましたが、その代表となると西欧の人たちにも愛されてきたロシア出身のチャイコフスキーでしょう
ロマン派が終わった20世紀につくられたバレエ音楽の代表作としては、旧ソ連出身のイゴール・ストラヴィンスキーの《春の祭典》と共に、フランスの印象派と呼ばれるモーリス・ラヴェルの《ボレロ》が特に有名です
19世紀のクラシックバレエから20世紀のモダンバレエという変化にも、それぞれの楽曲は対応しています
《春の祭典》を踊って一躍名を世界に轟かせたのがロシア人のヴァーツラフ・ニジンスキーで、
《ボレロ》の振り付けで世界的に知られているのがモーリス・ベジャールです
モーリス・ベジャールを特徴づける群舞によるモダンバレエが、究極的な発展系へと完成させ21世紀の今日まで最高到達点を示し続けているドイツのピナ・バウシュに受け継がれていく一方で、
精神性や思想的なテーマを身体一つの舞踏で表現するニジンスキーは、大野一雄や土方巽らから始まる日本の舞踏家たちとの関連を強く感じさせられます
日本の舞踏は以前から世界的にも評価されてきましたが、テクノロジーとの融合をテーマとしたダムタイプが今の人にもわかりやすいかと思います
ダムタイプもまた世界的に評価される、単なる舞踏を超えたジャンル横断的なパフォーマンスグループですね
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ロシアには世界を代表する美術館として、フランスのルーブル美術館とともに必ず名前があがるエルミタージュ美術館があります
西欧絵画の名品を多数所蔵しており、その総数はルーブル美術館の38万点を大きく上回る300万点を超えるもので、帝政ロシアの最高潮にあったロマノフ王朝による広大で荘厳な王宮がそっくり美術館になっており、それもとても魅力的な見どころになっています
(今の情勢ではなかなか行きにくい感じはしますが…)
要塞として建築された後に宮殿となった(王宮ではありません)ルーブル美術館と比べると、エルミタージュ美術館は何もかもが絢爛豪華に過ぎますが、そこにロシアの西欧への憧憬や屈託を見る思いもいたします
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イギリスで始まった産業革命に呼応する国家体制の幕開けとも言えるフランス革命の理念にある自由や人権といった概念や、不平等な階級を生み出した資本主義に取って代わるべき経済社会体制を模索したマルクスの共産主義の思想は、シベリアを東に進んでミンクなどの毛皮を西欧の王侯貴族やブルジョワジーに売り捌いて巨万の富を独占したロマノフ王朝の旧態依然としたあり方に対して、ロシアの人たちに大きな疑問を投げかけました
一方で、言葉も信仰も異なる西欧からは「辺境」としてしか見られてこなかった(ロマノフ王朝は田舎の成金みたいな感じです)が故に、東スラブ人としてのアイデンティティが知識人の間に強く意識されることにもなり、その相克からドストエフスキーやトルストイらに代表される独特のロシア文学が生まれます
明治以降の近代の日本人もロシア人と同じようなアイデンティティの危機を持つ人が多く、故にロシア文学が近代の日本で特に親しまれてきたということも忘れてはならないとすべきでしょう
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先にも書きましたが、キリスト教を国教に定めた古代ローマ帝国が東西に分裂して、西側はローマにあるバチカンを総本山とするカトリックと後に分かれていったプロテスタントを信仰して、ラテン語由来の言葉を使うのが西欧諸国
対して、東側に分かれた方はビザンチン帝国として1000年以上の長きに渡って続き、《トルコ行進曲》がつくられる元となった戦場での鼓笛隊で知られるオスマン帝国に滅ぼされるまで、コンスタンティノープル(今のイスタンブール)を首都として栄えました
使われる文字は古代ギリシアから受け継がれたキリル文字で、東方正教会の信仰もカトリックやプロテスタントとは大きく異なるものになり、例えばクリスマス🎄の日にちすら1月7日と定められているほどです
(ロシアによりクリミア半島が占拠された2017年以降のウクライナでは、クリスマスは12月25日と変更されました)
カトリックにおけるバチカンと同様に、東方正教会の総本山としてコンスタンティノープルが今も権威を保ち続けています
(日本にある東方正教会の有名な建築物はニコライ堂ですね)
以上のことは、下記にリンクした本にとてもわかりやすく書かれています
受験生の皆さんに役立つかとなるとレビューを見てから決める方がよいと思いますが、世界史を学び直したい社会人の方々ならば、最初の一冊としてお薦めできる名著です
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騎馬戦を得意とした旧大陸のステップ地帯に暮らしていた遊牧民たちは、東の中華王朝にとっても西のヨーロッパで彼らと接しながら暮らしていた東スラブ人たちにとっても常に脅威で、東スラブ人たちには「タタールのくびき」と言われて恐れられてきました
故に西欧と比べると国家の形成が遅れることになり、ようやくキエフ・ルーシ(キエフ大公国)が9世紀に成立します
その後、国内のゴタゴタと遊牧民の侵出で滅んでしまいモスクワ大公国に併合されるも、14世紀までルーシ(ロシア語による「ロシア」はルーシとなります)の東方正教会の本拠地はキエフとされていました
ウクライナはロシアやベラルーシと共に東スラブ人とされますが、ウクライナの地に住む人々には複雑な気持ちがあるんだろうと、こうした歴史的な経緯を辿ると感じられます
西欧では、巨人が登場することで日本のマンガにもインスピレーションを与えているゲルマン〜北欧神話や、ドーヴァー海峡を越えてブリテン諸島に渡り今もアイルランドに息づくケルト神話がよく知られていますが、もちろんスラブにも神話があります
例によって西欧に遅れて誕生したスラブ神話において世界を創造したのは、なんと二羽のつがいのカモさん🦆となっており、西欧というよりも遊牧民たちの神話に近しいものとなっています
また、欧米の列強が世界中を支配し、ロマン派のクラシックを楽しんだりして繁栄を謳歌していた19世紀の半ばになっても、白人のロシア人が遊牧民たちによって奴隷として売られた記録が残っており、西欧諸国とロシアは異なる価値観を持つ隣人とならざるを得なかったと嘆息するように感じます
(歴史的にみて遊牧民たちが売買していた奴隷は、過酷な扱いを受けていたアメリカ南部の黒人奴隷とは異なりますが)
スラブ系はポーランド等の西スラブやルーマニアあたりの南スラブと分かれていき、西に行くほどカトリック信仰が強くなる傾向があります
ポーランドの誇る、おそらく現在でも人気でいえばクラシックの作曲家でトップを争うだろうショパンは、フランス革命後の大きく揺れていた時期にパリで過ごし、19世紀に本格的に勃興するナショナリズムを体現するという側面を持つ人でもあり、その結果として彼の音楽を特徴づける美しい調べの曲調とは異なる印象を感じさせる『英雄ポロネーゼ』を残します
ポーランドで開催されるショパン国際ピアノ・コンクールは世界最高峰とされていますね
ショパンが作曲したのはピアノによる独奏曲や協奏曲がほとんどだったこともあり、世界的に認められるピアニストとなるためにはこのコンクールは最も重要な位置付けとされ続けています