勾留中に官本を読んで考えていたことをひとまず雑駁に書いてみる
出所来、キリスト教について思索することを続けているが、僕はこの信仰の核に人類普遍の価値とされてよいものがあると考えている。
大航海時代から列強による植民地支配に至るまでほぼ一貫して西欧優位の時代が続いたが、併せてヨーロッパに深く浸透していたキリスト教(カトリック+プロテスタント)の価値観もまた良かれ悪しかれ拡がっていく。
しかし、そうした歴史とは切り離してもなお、そう考えても間違いではないとしたい。
ただ結論を急ぐ意味もないから、今回は他に目を向けてみた次第。
留置所や拘置所、刑務所で貸与が許される官本というものがある。
そのほとんどは古本としての価値もつかないものがほとんどだが、そうした中にも宝は眠っていて、書店や図書館でさえ手に取らないだろうものを選んで読む。読まざるを得ない。
懲役作業が始まり、居心地がよいとはとても言えない雑居房での共同生活に放り込まれても、受刑者は基本的に暇を持て余している。
だから普段読書の習慣がありそうにない方にも官本はとても人気がある。
(佐藤優は禁固刑と聞き欣喜雀躍したと振り返る。閉じこもってひたすら読書に浸る生活は人生においてあまりない機会だから。)
今回は、主に官本で得た知識を頭の中でくっつけたり結びつけたりしながら得た概略的なものを雑駁に書いてみる。
(故に間違いなどあればご指摘いただけたなら多謝)
キリスト教との対立で世界を軋ませているイスラームは今のスペインにあたるイベリア半島から完全に撤退して間もなく西欧に優位を奪われていく。
しかし、西欧の価値観で強引に進められていく以降の歴史とは一線を画しながら現在も繁栄しているという意味では、当時は先進的でさえあった「イスラームの世界における中世」の価値観を残しながら現在も信仰を集めているとの解釈はできる。
そして、そこにはキリスト教的な見方では決して捉えきれないものがあるはずと僕は考える。
なので大いに気になるのだが、当面は現存する民族では最古の帝国を創出し、現代のイスラーム世界でも最も先進的(故に激動が続く)と考えられるイランについて注目し調べるだけで精一杯というところ。
(研究のためインドネシアで何年も滞在した友人から、イスラームもまた多くの人々に受け入れられるだけの価値観を有し、そこにイスラームに限らない普遍性があることも知らされてはいるが、又聞きのエピソード程度でわかった振りはできない。)
仏教は実はまさに今拡大を続けている。
カジュアルなヨガやマインドフルネスは西欧世界が受け入れられる形で受容した仏教と言っても大きな間違いではなく、その意味で信者を増やしているとの意味合いで、ではあるが。
しかし、ブッダが辿り着いた世界観は、並行して古代インドの歴史を学び理解することなくして辿り着けずということもあり、一生賭けて学ぶものだが、その教えはキリスト教的なものとはまったく異質であることくらいならば僕にもわかる。
仏教は人間一人の存在に関わる様々な局面での調和を目指すと、僕は出所直後の自分自身のスピリチュアルな体験から実感として考え始めたが、その後発展した緻密極まる仏教哲学ともども今以上に理解を深める時間は自分には残されていない。
片岡鶴太郎氏はインド政府公認のヨガマイスターであるが、彼の一日は起床して七時間にも及ぶヨガの修行(己の身体や内面との対話)を欠かすことのできないもので、朝早い時間に仕事が入ったならばそれだけ前倒しで夜中に起きて修行を続けている。
そうした生活に付き合いきれないと愛妻から離婚されてもやる。
片岡さんのことはそれなりに知られた話だと思うが、この事実を踏まえ、更にブッダが得た悟りは更にその先にあったことを思うと、日本でもポピュラーになったカジュアルなヨガやマインドフルネスは仏教的な価値観の入り口に入ったかどうかというレベルであることと謙虚に考えておくべきだろう。
くだけて言えば、西洋の体制や価値観の中で生きる現代人には仏教はかなりムズイ。手強い。
他方、現代の精神医学は薬物療法や精神分析だけではないので、そちらからのアプローチでもう少し進んだ仏教の理解が限定的ではあっても発展する可能性は大きいと個人的には期待している。
中華文明の思想と信仰について目を向けてみる。
戦国時代に諸子百家と呼ばれた人々の中に注目すべき思考をまとめた者がいた可能性はあるが、なにしろ史料に欠けているから如何とも判断し難い。
「諸子百家とは」という定義が後に定まるが、ここの古代文明は王朝に都合の悪い思想家や宗教家及びその文書は徹底して潰され消されていくから、それだけで古代中華文明の思想全体とするには異議ありとしたい。
それでも台湾でどこにでも見られる祠(おそらく老荘思想や道教に関わるものが多い)を大切に守り祈りを捧げる人々の光景を見れば、古代の中華文明が生み出した思想や信仰にも21世紀に入ってオードリー・タンを生み出す程度の普遍性があったとしてもいいとは思う。
ただし、中華大陸では早くも漢の代で国教となって以来中華の民の思想信仰の中核となった儒教は訓詁学に終始して堕落し、インドから来た仏僧との論争では話にならないほど負けてしまう。
世界史上の十傑に入るだろう曹操が浮屠(仏教)を優遇したのは流石だと思うところだ。
儒教が哲学的な体系を持つのは明代まで待たねばならない。
朱熹による朱子学や陽明学がそれなのだが、今現在の価値観でどう捉え直すかというのはなかなかの難問だ。
日本は徳川幕府により朱子学として本格的に儒教をようやく受け入れたが、その後庶民の子供たちが寺子屋で『論語』を音読して学んだことにこそ本邦における儒教受容のよきあり方があったとして、むしろこちらをこそ評価したいが。
但し陽明学については研究する余地も今それをやる意味もあると僕は考えている。
老荘から道教への流れも日本は本格的に受け入れないまま今に至る。
この国は中華文明の強い影響下にあり続け、朝鮮半島経由で伝来した仏教の受容には熱心だったが、なぜか儒教についても老荘思想や道教に対しても大した関心を払ってこなかった。
ただまったくその影響がないとも言えず、「井の中の蛙大海を知らず」はそのまま『荘子』に出てくる言葉であるし、道教信仰は修験道にも少なからぬ影響を与えているような感覚はあるが、これから学んでいくにはこちらも自分には時間切れだ。