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常田大希を考察する-20世紀の西洋音楽を21世紀のJポップに繋ぐ者として(後編その2)

前の投稿では、坂本龍一さんの音楽人生とは、バッハから始まり自分が生きてきた時代までの西洋音楽に関して、網羅的かつ正しく理解していたこと、時代により変わりゆく中でもその本質的な要をもまた正しく押さえて自らの作品に落とし込んできたことをなんとか示そうとひたすら足掻いてみたところで終わってしまい、常田さんまで行き着けませんでした…

先の投稿で書いたのは、

バッハに始まる西洋音楽において、「クラシック」と呼びならされているものは19世紀で華やかな全盛を迎えたロマン派で終わり、20世紀以降は「現代音楽」と「映画音楽」に引き継がれていったこと

東京藝大作曲科修士課程修了の坂本龍一さんは、一流の西洋音楽家として、この二つの音楽を完璧に押さえて自らの音楽表現としてものしてきたこと

単純にいえばそれだけなんですが、知識ゼロからでもわかるように書いた(クラシックに関しては初心者の自分にとってもより理解が深まるのです😌)ので、だらだらした長い投稿になってしまい…


坂本さんが正しく位置付けながらも、おそらく「正統な一流の西洋音楽家」としてはあまりお好みではなかったとしか思えず、それはまあそーなるだろーなーとも感じるものの、実はもう一つの潮流が20世紀の西洋音楽にはあったことには触れられずじまいでした

20世紀の西洋音楽として触れた「現代音楽」と「映画音楽」の2つとは全然異なる発展を遂げて、決して無視できない業績を残したソビエト連邦出身者の音楽家たちのやってきたことがそれです

常田大希さんに強い興味を持ったのは、坂本さんが敢えて素通りした、この3つめの潮流に属するストラヴィンスキーやプロコフィエフを影響を受けた音楽家として名前を出していることを知ったことにほぼ尽きます

そこには「坂本龍一」へのカウンターという意識は特段無かったようにも、常田さんの表現してきたものをきちんと聴いてみたら、当たり前のように感じ取れることでもありました

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20世紀の旧ソ連出身の音楽家(他の国に移住した人もそのまま留まった人もいるので、このように記述するよりないんですが、この先はこの呼称で統一します)が挑んでいたことを一言で言うと、

19世紀で終わった西洋音楽=クラシックを20世紀に入ってもなお生き延びさせようとひたすら愚直で(ヘンテコリンな)努力を重ねた

ということになるのですが、それらの試みは、ただ単に19世紀のロマン派をそのままなぞるだけでは、社会的な情勢もテクノロジーの大きな進展もあって到底クリエイティブとはならず、彼らに共通する独自の感性で大胆に組み立て直したものとして作品に残されていきます


2020年代に音楽を創造する人たちは、クラシックも西洋音楽も、沢山のジャンルに分かれているポピュラー音楽の素晴らしい遺産も、すべて横一列に並んでいるような光景の広がるフィールドに居ます

だから、自分のような旧世代が、自分の物差しで測ることは絶対やってはいけないことでもあります

これはJポップに限らず世界的な状況であって、常田大希さんもあくまでその中で自らの表現を苦闘しながら模索し続ける一人です

クラシックも、ジャズもロックもヒップホップも、JポップやKポップやレゲトンまでも、それをやれる知見とセンスがあるならば、音楽だけに限ることなくありとあらゆるもののトレンドや、今現在自らが置かれている世界観にしっくり来るものを自由自在に取り込むことができる

2020年代に生きる現役世代の一流の音楽家は、更にそこに自分の意図するものや好みや嗜好を反映させて個性豊かな楽曲をつくっているんですね🙂

そうした環境下で、20世紀に残された西洋音楽の中で一番使えるのが、おそらくソビエト連邦出身者の音楽家たちの成してきたことなんだろーなーというのは、常田さんが影響を受けたと名前を挙げたマイルス・デイビスとともに、ストラヴィンスキープロコフィエフがあったことで改めて気づかされました

確かにそれはそうなって当然だよなぁ…というような感じでしたが、結構大きな気づきをいただいたとも思わされました

ただそこのところを理解するには、まず最初に「坂本龍一史観」とでも言うべきものからは少し見えずらい、ストラヴィンスキーやプロコフィエフらの音楽の振り返りからやらねばならず、故に以下しばらくはあの人たちの業績を丁寧にみていくことから始めねばなりません

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一流の西洋音楽家だった坂本龍一さんは、そのような者として選び抜いた楽曲を『耳の記憶』というオムニバス・アルバムで残しておられます

モダン・ジャズ・ピアニストとして知られるビル・エヴァンスを除き、あとは全て西洋音楽家からなる選曲です

坂本さんはビル・エヴァンスをドビュッシーを継承するものとしても評価しており、全体を見回してもよく目配せのされた納得の選曲と思いますね

この投稿のテーマに関して興味深いのは、後編の一曲目にストラヴィンスキーのバレエ音楽である《春の祭典 序章》が置かれていること

映像でも音声でも文字にされたものもおよそ見回しましたが、オンラインでは坂本龍一さんがストラヴィンスキーについて語るものはあまり無く、しかしながらとても評価していたことは、『耳の記憶』後編について解説したこちらで

「20世紀の音楽で最も重要な曲のひとつ」
とまで《春の祭典》を大絶賛していることは確認できました

YouTubeに残る『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』の『ドビュッシー サティ ラヴェル編』の第4回で、ストラヴィンスキーについて語っているようなので、かなり探してみたのですが残念ながらそこの部分は現時点では残されていません

映像として気軽に誰でもが試聴できるものならば、『コモンズ: スコラ』でも第12回のこのたった数分の断片で語られているのみでした

しかしながら、ここでもご本人ではなくゲストの方々が軽ーく触れる程度で、続く話は東欧出身のバルトーク・ベーラについてのものの方が長めで、それもすぐに「現代音楽」のアルバン・ベルクに移り、その後の大半は「映画音楽」を巡るものに終始しています



一方で坂本龍一さん本人が音楽の聴き手として純粋に好んでいた音楽が如実に現された、自らの葬儀で使うように指定されたプレイリスト"funeral”がSpotifyにあり、

その選曲を眺めると「いかにも坂本龍一とはこういう人だったよなぁ」と思わせるものの、そこにはストラヴィンスキーはもとより、そこに旧ソ連の音楽家が20世紀に残した作品は皆無です

坂本さんがそうした3つめの潮流に位置する20世紀の西洋音楽を、特にストラヴィンスキーに関しては、18世紀のバッハから始まる西洋音楽史全体における重要な位置にあると評価していることは間違いないものの、それは必ずしも坂本龍一個人の好みとは違うのですと言わんばかりのように感じてしまいますね…

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と一昨日までまとめたのですが、ロングコービッドは寒さが強くなり室内外の温度差が大きくなると身体がついて行けず…という有り様で、昨日はほぼ寝たきりとせざるを得ませんでした

信頼できる医師の診察を受けてから、続きを書いていきます🙂

常田さんが影響を受けたと語る旧ソ連の音楽とはどんなものだったのか、19世紀のヨーロッパの歴史も踏まえながら振り返って、ストラヴィンスキープロコフィエフの音楽がどのようなものだったのかを明かし、それを踏まえているからこそ常田大希は極めて独自性の高い音楽を演っているという結論まで行き着く予定です

ストラヴィンスキーの《春の祭典》がとんでもなく大きな衝撃だったことは、この方のブログからも窺い知ることはできると思うので、ご興味がお有りならばぜひ読んでみてください

常田さんファンなら多分必読レベルやと思うな…

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