見出し画像

クリスマスを前にして-ユダヤとペルシア

もうじきクリスマス🎄だ

イエスは宿泊代も出せない貧しく幼い夫婦が授かった子だったから、馬小屋の飼い葉桶の中で産まれたエピソードは有名だが、その後はナザレという古代イスラエルの片田舎で、両親やきょうだいたちと、大工だった父ヨセフに従事しながら人生の大半を過ごしていた

福音書として今に伝わる書物には「神の子」として人々の前に姿を現す以前のナザレでの日々はほとんど触れられていないにも関わらず、彼が産まれた時のことはとても詳しく記載されている

イエスの誕生には多くの有名な逸話が書かれているが、子どもの頃から?という違和感があったのが「東方の三人の賢人」の存在だった

わからないなりに信仰の書として接してみると、異国の異教徒の占星術師たちが訪れて祝福するというのはなんだかおとぎ話のようで、ロマンティックではあっても筋がズレているように感じたりしたからなのだろうと思う

しかしながらこの三人の賢人がどこの人だったかと突き詰めていくと、当時の古代イスラエルよりも東に位置するとなるならば、「ヘレニズム」の時代直前まで繁栄を続けていた世界帝国のペルシア=イランとするよりない

そして、ずいぶん長じてから旧約聖書を追いかけてみると、バビロン捕囚と言われる「ヘブライの民殲滅作戦」によって追い詰められることで、ようやく一神教信仰に基づく「ユダヤ」としての意識に目覚めていく過程において、アケメネス朝ペルシアがユダヤの人々ととても良好な関係にあったときちんと書いてある

今現在の我々にとり、キリスト教とはローマ帝国が東西に分かれた後に西ヨーロッパに広がっていったカトリックとそこから別れたプロテスタントというのが一般的な捉え方だ

ただし福音書が書かれた当時の古代イスラエルは、ローマ帝国に呑み込まれながらも地理的には紛れもなく「オリエント」に位置しており、旧約に書かれてあるようにペルシア=イーラーンとの繋がりはまだまだ親しみやすい記憶として残っていたのは間違いない

東に別れた方からは正教会としてキリスト教が発展し、主に東ヨーロッパ圏にいたスラブ系の人たちに信仰が受け継がれていく

正教会の本部は今はイスタンブールと呼ばれるコンスタンティノープルに所在している

アルメニアは最古のキリスト教国家とも言われるが、レバノンやシリアなどの国々にいるマロン派やアフリカ方面に信者が多いコプト教という形で今も残るキリスト教信仰も含めて、ローマ帝国により国教と定められる以前のあり方をある程度伝えてくれているものとしてみてみるのはとても興味深いこととも考えている


カフカスから中東にかけての古代史や、オスマン滅亡後の🇬🇧が主導した今の国境線が定められた経緯を踏まえ、シリアのアサド政権の陥落の報道を見直すことがあってもよいはずですが

いいなと思ったら応援しよう!