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幼なじみのみくちゃん ①
最初に母について。
私の母は私が産まれる少し前にクリスチャンになった。
小さい子供を抱きながら車を降りる母を善意100%の女性が話しかけて勧誘した。
母はその感じの良さにとくに感動したらしく、4つ上の兄の子育てに悩んでいた時期でもあり、みるみるうちに熱心な信者になった。
父親も丸め込まれたし、子供達も同じくで物心ついた頃の我が家には聖書と規律があった。
人を堕落させるテレビには分厚い布がかけられた。
破天荒な兄に手を焼いている母は神経を尖らせていて大抵気落ちしているか、または怒り狂っていて怖かった。その苛立ちを特に理由なくぶつけられることもあった。
母の顔色を見て怒られない様に行動するうち、「良いこだね」といわれる事が多くなった。兄には「お前はずるい」と言われた。私は「そもそも怒られるようなことをしなければ良いのに」と思ったが言わなかった。
衝動の塊のような兄だった。私はとにかく母の御機嫌取りに徹した。
母は段々と兄を厳しく躾けることをあきらめはじめた。と同時に今度は私の「良いこ」の部分を壊されないよう交友関係を厳しく見守った。
思えば私を悪の道に引きずりこむ悪魔がいないかと、いつも目を光らせていたように思う。クリスチャン以外の人々を「世の人」と呼び、彼等との関わりを最小限に絞った。
私も誰かと過ごして罪悪感に苛まれたり、母に咎められるよりは一人で過ごすことを選んだし、学校の休み時間は人とあまり関わらずに本を静かに読むようにした。
行き帰りの登下校で他の子供と一緒になるなど多少の交流はあったけれど、幼稚園も行っておらず、兄とのお家遊び、ひとり遊びばかりでは関わり方もよくわからない。学校、児童館、図書館。子供の狭い行動範囲の中、母親のコントロールの中で動いた。ふとした会話の中で母の顔色が急に変わり「なぜその人と話をしたのか」などと咎められると、悪いことをしたのだ、と心臓を掴まれたように怯えたものである。
大抵は兄か、同じクリスチャンの家庭の子供と遊ぶことだけが許された。数回なしくずし的に近所の子供と遊んでしまった時の母の嫌そうな顔をよく覚えている。
幼すぎて記憶ははっきりとはないが幼稚園に行くようになってから兄の性格が変わってしまった、というようなことをぼやいていたのでとにかく育児に悩む故に入信したようである。今となっては分からなくもない。
監視の目が厳しい。学校から帰るとまず今日はどんな子と話したか、親しくなったのか、何回か同じ名前が出れば、その子に神様の話をしてみたらどうか、家に呼んでみたいと言えば布教目的のパンフレットを渡す約束をさせられたりした。それが嫌で数えるほどしか遊んだ事がない。
無茶な話だが布教目的以外の「世の人」との接触は基本禁止で、学校外での交友は厳しく禁止された。私が反発し自由に人と会うようになるまで、大体中学2年生の頃まで取り締まりは続いただろうか。
今考えれば、そこまで良く反発せず従順であったなぁと思う。馬鹿正直に約束を守った。罪悪感を感じるよりは、潔癖でいた方が気が楽だった。
もともとがのんびりした性格であった事と、母を悲しませたくなかった事、従順であることの美学を教えこまれたことにあるのだと思う。神は見ているという意識が正しい行いに導く、それは畏怖の念だと言われたが、どうだろう割合的には母への恐れのが強かったかもしれない。
同じクリスチャン二世であり私の一つ上の女の子であるみくちゃん(仮名)との出会いで、わたしは随分救われたように思う。
羨ましいことに彼女の母は私の母より宗教的に厳しくなく、彼女と過ごしていると、ふう、と息をつける感じがあった。私たちの学校での過ごし方は子供のくせに世捨て人みたいで異質だったし、あらゆるイベントに参加できない辛さ、恥ずかしさ、人からの偏見の目に耐えながら過ごす環境が似ていた。気が付いたころにはどこに行くにも、何をするのにもほぼ一緒だった。
母もわたしがみくちゃんとすごしているときは干渉も減り安心して遊ばせていたように思う。
鬱憤を晴らすように2人でとにかく遊び回って発散した。計画を立ててたくさん冒険もした。2人きりなら秘密も守られる。彼女は感心するぐらい怒られない為の嘘が上手かった。お互いになんでもよく話したし、くだらない話もたくさんした。大人っぽい彼女の下ネタも好きだった。学校で孤立して苦しい思いをして引き攣った顔も彼女と過ごせばいつもほころんだ。
ルッキズムと、女の子に求められた事。
彼女は東北生まれのお母様の血を引いた正統派美人で、いつもだいたい隣にいる私はいろんな人が彼女のはっきりとした顔立ちを褒めるのをよく耳にした。あまりにも多くの人が彼女の外見について褒めるものだからその時間が来ると私は静か〜にやりすごす術を身につけた。
敬虔なクリスチャンも結局はルッキズムにしばられていたように思う。外見の美しい女性が若くしてどんどん優秀で立場がある男性にもらわれていく。
それを夢見るように教えられた少女たちは妻として母として神と夫に従順に、美しくあれ、と育てられる。集まりの時には必ず長めのスカートをはくことを推奨された。お淑やかに、質素で品のある服装を。
少しでも奇抜な格好や派手な外見をすると、何処からか年長者に話が行き、それから保護者のもとに連絡が入る。そしてお叱りがある。
私の母親はよく私とみくちゃんを見比べため息をついた。みくちゃんは美人だね、きっと将来は困らない。あなたはまあ、内面で頑張んなさいね…そしたらきっと優しい男性が、なんて私の素朴な顔を見ながら言ったものだ(今ならわかるくそばばあです)
この世界でも結局は女の子は美しい外見があれば将来安泰で素晴らしい男性の伴侶になる事ができる。その後は自己犠牲に彼を支えて敬虔に生きれば万万歳、大成功とされた。
当然クリスチャンの組織の中には独り身の女性が数人いたが、うるさい既婚者どもが勝手に憐れみ、薄い陰口を叩き、お節介をやき、度々男性達とのお見合いのセッティングを企画していた。見ていて辛かった。
私もああなるのかな、とぼんやり思ったがそこまで悲観的にはならなかった。彼女達は大抵癖があったりして面白かったり変わっていたり、一緒に話してるとすぐ仲良くなれる素敵な女性達ばかりだった。結局、クセのなさがこの世界の男には都合が良いのだなと幼い頃ながらうっすら思った。
何より気味が悪かったのが、私たち少女を幼い頃から品定めするかのように男達にあてがうかのように見ていた大人たちがいる。
みくちゃんがまだ中学生だった頃に結婚相手として婚約を希望している男性がいると耳にした時、外見が良すぎるとこんなに気持ち悪いことがあるのかと愕然としたものだ。
そんな環境で私の外見へのコンプレックスは随分こじれてしまった。みくちゃんが私をいつも「かわいいよ」「ほんと面白いね!」と嫌味なく褒めてくれる度心の中は反転してグラグラ揺れた。みくちゃんはこう言ってくれるけど、クリスチャンの男性にウケない。私の外見には価値がない。
私は面白さで頑張る事を強く決意した。ふざけて、おちゃらけて、たまに悪態ついたりして彼女がおなかをかかえて笑う顔を見ては満足する。彼女が大笑いしてくれる姿を見るために努力した。
母親の顔色ばかりうかがっている私と違い、彼女には自由への渇望がとても強かった。きっと気持ち悪い異性からのアプローチも多くなってきた頃だったのだと思う。自由へと挑戦する彼女の強い意思と行動力に、少しずつわたしたちの間に距離が生まれた。反抗とも取れる外見の変化が徐々に現れた。
わたしは彼女の変化についていく事ができなかった。こそこそと秘密裏にルールを破る事はあっても堂々と世の人と呼ばれる人達との恋愛をするなんて、母を思い浮かべると震え上がってしまう。
両思いになって告白してくれた男の子にも、返事の約束だけはしたけれどその場所に行こうとすると足がすくんだ。結局いけなかった。
いつの間にか、成長と共に揺れ動く時代の中で私たちの間に知らない隙間が生まれていた。よくわからないままみくちゃんがあっという間に大人の階段をかけあがっていた。わたしは彼女が自由になっていくのを羨ましく思っていたが、冷静でもあった。まわりの大人は彼女の決断と行動を嘆き、母は一層私に厳しくなった。彼女は完全にクリスチャンの組織から離れてしまったのである。
つづく