昨日見た夢/かやの夏芽

 かんぱい! 缶とグラスをぶつける。この音を聞くのも今夜で一、二、三……少なくとも四回目だ。それだけの缶がテーブルの隅に寄せられていた。
 発端は、五限終わりの駅でのこと。いい感じに空気が蒸し暑く、なんとなく遠くの空に夕焼けが残っていて、道行く人の影が細く伸び、そして金曜だった。ハタチの現役女子大生は、そういうエモい感じにそれはもうとても弱い。たまには素面で語り合おうよ、いいね、じゃあ今日はノンアルにしとこっか。そんな言葉を交わした三十分後には、乃々花の部屋でサシの飲み会が始まっていて――――今に至る。
「ねえ、今開けたので最後だったよ」
「うそ」
 長座布団の端からレジ袋を引き寄せる。軽い。中にはもう明日の昼用に買ったツナコッペしか残っていなかった。
「心春が飲み過ぎなんじゃない」
「グラスで半分こにしてるんだから変わんないよ」
 よーしお酒にしちゃお、と心春は胴だけを伸ばして冷蔵庫を開けた。ドアポケットの一角は、心春のチューハイに占領されている。好きに飲んでもいいよと言われているが、乃々花はこんなストロングなお酒は飲めない。
「それで? 何を語りたかったの」
 景気よく缶を呷った心春は、乃々花の問いに目だけで返事をした。息を吐きながら缶を置く。たぶん缶には半分くらいしか残っていない。
「何だっけ。夢とか語る?」
「語れる夢なんかあるの?」
「んー。今考える」
 ゆっくりとポテチをつまんで、咀嚼し、チューハイで流し込む。心春は同じことを黙って三回繰り返し、あ、と零した。
「川のさあ、長い橋あるでしょお? あそこから夕焼け、二人で見たいよねえ。エモいよきっと」
「夢? それ」
「叶えたいから夢だよねー」
 心春の頬に小さなえくぼができる。ものの数分ですっかり真っ赤になっていた。
「さー夢も語ったし酒も尽きたし……もー寝ちゃおう!」
 深夜二時には似つかわしくない声量で伸びをし、心春はふにゃりと後ろ側に倒れた。
「はあ? ちょっと」
 テーブルの下で足を伸ばし、心春の膝を蹴る。けれど起きる気配はなかった。
「信じらんないこの酔っ払い……」
 頭を抱えたくなる。乃々花が知る限り、最速で飲み干して、最速で潰れた。一人で片付け? 嘘、だるい。明日全部床で寝てるこの人にやらせよう。
 心春の上にタオルケットを放って、乃々花も早々に寝支度を整えた。

 目が覚めたら五時だった。のそりとベッドから這い出して、テーブルに置きっ放しだったスマホを傾ける。通知ゼロ件、十七時二分。別にそれは珍しくない。珍しいのは、心春がまだ部屋にいることだ。しかも慌てて繕った正座で。いつもなら、勝手にシャワーを借りた後は大体ふらっといなくなっているのに。
「どした? おはよ」
「おはよ。いや、なんか、なんにも覚えてなくて」
「体バキバキじゃない?」
「やばいよ。や、それもだけど。なんかやばくなかった? 昨日……」
「二日酔いはしないんだっけ?」
「しないけど。ねえなんで遮るの? こわいって」
 ねえほんと、チューハイ開けてからなんにも覚えてない。私乃々花になんか言った? 優しいのが逆にこわすぎる! ねえ! ねえ? 心春がモチャモチャと騒ぎ立てて縋りついてくる。乃々花は笑いを飲み込んで、なにもなかったよ、と心春を引きはがした。ちょっと声が震えてしまった。だって酔っ払いの翌日って面白すぎる。
「何もしないで寝ただけ」
「ほんとに? よかったー」
「よくない。片付け。心春さん」
「はい!」
 心春が洗い物をしている後ろで、乃々花は優雅にツナコッペを食べた。心春がついさっき買ってきたというカフェラテも貰ってしまったし、今回は買収されてやることにする。さて。
「出かけよ、心春」

 アパートからちょっと歩いたところに川がある。もうちょっと上流の方では花火大会をやるような、立派な川だ。
 この辺りまで下流になると、ほとんど河口になる。だから川幅が広くて「長い橋」が架かっているのだ。見晴らしもいい。確かに、あそこから夕焼けを見たらエモい気がする。
「どこ行くの? コンビニ?」
「大橋だよ」
 心春は頭の上に疑問符を浮かべながらも一緒に来てくれた。橋へと続く道を歩く。大橋の入口に「二級河川」の文字を見つけて、心春が、二級とかヤバいね、と中身のない感想を呟いた。
 上まで来ると歩道の人通りはまばらだった。でも、国道のバイパスだから車は多い。エンジン音がうるさいし、排気ガスが若干匂う。エモくはないかもしれないな? そう思った頃に、ちょうど橋の真ん中に着いた。
「心春」
 呼びかけに心春も足を止める。乃々花が海の方を指す。
 五限の終わりより少し早い時間。天気もそこそこ。電車の窓で区切られていない、パノラマの夕焼けが広がっている。
「わーきれいだね」
 心春の呟きはトラックの音に半分かき消された。なんて言った、今。三拍置いて、乃々花も「ね、きれいだよね」と返した。視覚的には、きれいなんだけど。
「心春が言うほどエモくないと思うなー」
「え?」
 信号が赤になって橋の車通りが途切れていた。独り言のつもりが、心春の耳に拾われてしまった。
「なんの話?」
「昨日の夢の話!」
 つかの間の静けさの中で、乃々花は笑って答えた。


今週はかやの夏芽のターンでした。
お題は下記サイトからお借りしています。
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お題:昨日見た夢

次回は烏龍水さんのターンです。お楽しみに!

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