宗教2世か、私
これは小説で、私が日々目にしていることをもとに書くが、周りの人を特定させたいものでも、不満を訴えたいものでもないので、先に小説であると書いておく。
私のタイトルにもある、「宗教2世」の言葉だけが一人歩きしてしまう前に。
そして、「宗教2世」と一括りにされても、その暮らしぶりは人それぞれで家庭にもよるし、もちろん宗教にもよるのかもしれない。ただ私は、「宗教2世」の環境で生まれ育ったが、自分と他者、「宗教2世」でない人とを分けて考えてもらうことを好まない。同じ人間ではないようにも聞こえるし感じる。人間はどこかに属さねばならないものでもないだろう。
2年前の銃撃事件から浮き彫りになったこと、苦しんでおられる方がいることも初めて知った。私はこれについて意見する者ではない。事実を報じるニュース、NHK制作のドラマ等、これまでよりも深く掘り下げた内容を取材のもと企画されたことをむしろ大きく評価したい。しかし宗教をひっくるめて攻撃するような悪意を感じる報道には、私のような熱心な宗教活動をしている者でなくても悲しくなる。
私が「宗教2世」から脱出しないのは、いつか将来、死ぬ時が来た時に唱えられる言葉が欲しいからだ。その言葉にはそれなりに思い出が詰まっている。それを頼りに安らかに眠るように逝きたいと願うのは当然の権利だと思っている。他の宗教の家で生まれていたら違った言葉だったかもしれない。でも、今私として生きている時代はこの宗教で良いと思っている。
この小説は平凡な日々を綴るものであるから、大して長くもない読み物にしたいし、読んでくださる方には面白いものではないかもしれない。しかし、我が家と私達を取り巻く人間模様を描いてはみたかった。宗教のことを強く書こうとも思わない。ただ私の生活を日記のように書くのだ。当然いろんな人がいて悩まされることもある。熱心な活動でないからこそ助かっていることもある。
コロナ禍で初めて子供に目を向けた両親
我が家は曾祖母からの入信である。
曾祖母と祖母、父兄弟は同じタイミングで入信した。
そうであるならば私は何世なんだろうか。
コロナ禍で、これまでの宗教活動の熱量が我が家において一時停止した。
いや、多くの同じ宗教を持つお宅で同じことが言えたのかもしれない。
子供の頃から、両親は毎日朝から晩まで忙しくしていた。
本当に「他人のために」と奔走し心を尽くしていたことを誇りに思う。
そして、私達兄弟にとっては声をかけても振り返ってもくれない忙し過ぎる両親だった。
特に母と話した記憶があまりない。
それなのに、コロナ禍で急に家に篭ることになってから、両親の目が急に私達兄弟に向いた。急にたくさんの会話をすることになった。戸惑った。
子供からすれば、話を聞いて欲しかった子供の時期を過ぎると、自分の時間を大切にしたくなるだろう。しかし、活動がコロナ禍で休止となった当時は、活動に向けられていた時間がそのまま私達に向けられた。子供ならいいが…もう40も目前の兄弟だ。
そして、両親は地域の同じ宗教の人達にLINEやLINE電話で声をかけ、互いに励まし合う。70代の両親が気にかける80代の方達とは会話が成り立っているのかは分からない。両親は、LINEのグループ通話の方法を教えてあげてはいるが、近くで一緒に操作して初めて分かることだろう、その後マスクを二重にして玄関先で教えるために訪問していた。70代80代の方達が寂しくないようにという気遣いをすごいと思う。
コロナ禍では、そういった両親のスマホ操作方法を教え、サポートをしていた。
両親をはじめ、目も耳も動作もゆったりとのんびりとした作業に、一度サポートで入ってしまうと、仕事に皺寄せがきてしまう。それを最初に断るのだが、お年寄りのサポートには3時間は捕まってしまうことはわかっていたから、そのサポートのための時間を決めて、相手のある仕事には決して支障をきたす事なく進める努力をするしかなかった。これはかなり大変だった。我が家まで来てくれるお年寄りが日に日に増えた。お年寄りには私の在宅勤務の意味が伝わらず、家にいることはつまり、暇だと思われていたのだ。世代的な考えだろう。「宗教2世」ではないが、私の女性の友達も在宅勤務していると、専業主婦が当たり前という考えの方達の発想では、時間を持て余している自分達の仲間だと思ってくれていたようだと言っていた。都会ではそんなことはないだろうが、田舎ではこうなのだ。
©︎2024大熊太愛子
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