山眠る 2
私は夢を見ていた。
なぜ夢を見ているとわかっているのか、わかっていて覚めないのか、いったいどういう状況なのかはわからなかった。しかし過去の夢を見ているということだけがわかった。
これはいつごろの記憶だろうか。卯月に入ったばかりのまだまだ肌寒い東雲だ。あたりはまだ薄暗く一番高いところ、瑠璃色の海に月の舟が浮かんでいた。私の屋敷から"私"と"彼"が物音立てずに忍び足で出ていくのが見えた。二人は外套を羽織っていて、使用人や家族に気づかれないようにこっそりと抜け出したということがわかる。かつてはよく私の屋敷に"彼"が泊まっていた。それで使用人に気づかれないように小さな行燈の明かりを灯して一組の蒲団に入って夜もすがら話していた。今思えばよく話題が尽きなかったなと思うが"彼"が相手なら確かにいくらでも話せるだろうなと思い直した。"彼"と一緒ならどんな夜も可惜夜なのだ。
屋敷を出てしばらく歩くと桜並木がある。桜はまだ五分咲きで満開とは言える状態ではなかったが夜明けのそよ風に吹かれて雨のように花びらが舞っていた。地面には花びらが更紗の文様のように広がっていた。空を見上げれば桜の狭間から盈月が覗き、その光によって地面に花影を作っていた。これのために花冷えするこの時間帯にわざわざ暁起きをして抜け出してきたというわけだ。昼間になればこの辺りは桜目当ての花見客でごった返してしまう。こんな時間に来るような客はめったにいないので私たちもなかなか洒落たことをするなと思う。桜並木を逍遥するのはさぞ心躍るものだろう。月夜の桜とは見事に美しいものである。優艶でどことなく幽玄さを醸し出していて、いささかの苦労も気にならなくなってしまうほどの風月である。
春の陽気を運んで来た太陽の女神が、花の精霊が春の湊に辿り着くのはいつになるだろうか。この世界の万物が四季のすべてを形作っている。"私"は跌でしっかりと地を踏みしめて歩いていた。
「見てもまた 逢ふ夜まれなる夢のうちに やがてまぎるる我が身ともがな」
"彼"の凛とした声が花々の間を縫って通り抜けていくように響いた。空を見上げたまま詠み終わった"彼"が微笑むと、"私"は目を丸くしてしばらく黙ったあとようやく口を開いた。
「何の和歌なんだ?」
"彼"は歳よりいささか幼げな笑みで"私"に振り向いた。
「聞いたことないか?源氏物語の第五帖『若紫』の和歌だよ」
"彼"は極めて泰然とした態度で言い放つ。"私"は「へえ」と一言漏らしてなにか考える素振りをした。"私"は源氏物語に関して教養が薄いためあまり知らないのだった。「どういう意味?」
「お目にかかれてもまた逢うというのは難しいでしょう、そのまま貴方と共に夢に紛れる我が身となってしまいたい、という意味さ」
「切ない歌だな」
「はは、だろう?でもこの『若紫』の物語自体は青年が手児奈を見初めて勾引わかし、己好みの女に育て上げるという粗筋なんだけどな」
それを聞いて感慨深そうな表情をしていた"私"が途端に苦虫を嚙み潰したような表情になった。「歌はいいのに、物語のせいで良さを損なっているような気がするな...」
「そうかな。おれは好きだな、この和歌。夢の中にあなたと消えていきたい、だなんて魅力的な殺し文句じゃないか。なんだか頽廃的だ」
「ぼくはあんまり。ぼくだったら『たとえ会うことが難しくてもまたあなたと会いたい』って詠むだろうな」
「面白みのない歌だなあ」
"彼"がけらけら笑いながら言うと"私"はほんのり顔を赤らめて「うるさいよ」と返した。瑠璃色の空はいつのまにか西の方角に向かってだんだんと明るくなり始めていた。
「夢だからこそ、現実ではできないようなこともできるんだろう。現実で二度と会えなくても夢でなら会えるし、なんならこれまで言えなかったことだってきっと言えるんだ」
「そうかな?」
"私"の返事に対して"彼"の「そうだよ」という声はざああ、という桜をそよぐ風によってかき消されてしまった。つむじのように巻き上げられた桜色が"彼"の傍らで散る。
「それに、『夢の中に往く』って考えようには『死』のことだとも解釈できるよ」
先程に比べるとその声は弱弱しかった。空には雲ひとつないはずなのに辺りが少しばかり翳ったかのように感じる。
「死?おだやかじゃないな」
「穏やかな死だってあるじゃないか。強烈ではあるけれどすべてが残酷なものではない。死というのは人間の記憶に大きく刻まれる。肉体が消滅してしまえば死という概念は残るが、記憶さえ持っていればその人間自体が"死ぬ"ことはないんだ。人の記憶、すなわち"夢の中"で人は永劫に生き続けるんだ」
"彼"の声が野干玉を落とした暗闇の木々の間で反響した。
「なんだか哲学的でむずかしいな」
「そのうちわかるよ」
首をかしげる"私"に対して微笑みながら"彼"を見届けるとふたたびざああ、と先程よりも大きい音を立てて風がそよいだ。舞い上げられた花びらの桜色で視界が染められ、それと共に音も残響となって渦巻く。視界が桜一色に融けていく。この夢から覚めてしまう。手を伸ばせば届くのではないかと思ったが視覚以外の感覚はなぜか無く、己の躰が達磨になってしまったかのようだ。なぜ"彼"はあのようなことを言ったのだろうか。『夢の中では人は永劫に生き続ける』だなんて。私はなぜこんな大切な記憶を忘れていたのか。はたまたこれは本当に私の記憶なのか。わからない。何もわからなかった。問いかけても答えてくれる者はいない。"彼"は、もういないのだから。
ちりりん、と御簾の上げられた庭先から吹き込んでくる仄かな風でそよいだ風鈴が涼しげな音を奏でた。
庭先には瑞々しい若葉に紫羅欄花が咲き誇っている。夏も終わろうかというのにいまだに五月蠅い蝉の音が絶え間なく聴こえるせいでこちらの気分は萎えてしまいそうだった。しかし向こう側に広がる晴朗とした行き合いの空を見ているといくらかそんな憂鬱な気分も吹き飛ぶ。
うっかり手を伸ばせば落ちてくるんじゃないかと思うような天の空だ。そんな具合が悪くなるほどの青にあてられたせいなのかは分からないが、今日の目の前の"彼"は小康状態のようだ。今は上体を起こし、ただ共に外を眺めている。昨日よりも肌に色みがさしているように感じる。もしかしたら思い違いかもしれないが、事実調子がいいのだからとりあえず思い違いでもいい。今このときは。
「来なくていいって言ってるのに」
「まだ言うのか」
「顔を見たらますます名残惜しくなってしまう」
"彼"はそう言いながら笑うが、"名残惜しい"という言葉がどうにもひっかかった。"名残惜しい"とは別れることを前提とした、すなわち"己の死期を悟った"故に使った言葉だと考えた。たしかに労咳ならば図らずとも己の死が近いのだと痛感させられることになるだろう。しかし私は"彼"にできるかぎり死への達観や、生きることへの諦念を感じさせたくはなかった。そして私に対しても言ってほしくはなかった。なんと身勝手な思いかと言われてしまうかもしれない。それでも今、"彼"の口からそれを聞くにはあまりにもしのびなかったのだ。それを耳にするたび、どうにも生きた心地もせずただ顔じゅうを掻き毟りたくなるような激情が湧いてくるだけである。
「ここに来る途中、"あいつ"に会ったか?」
あいつ、とは"彼"の弟のことだ。
「ああ、そこで少しね」
「どうだった。あいつは愛想よくしていたか」
「はは、心配しなくても"彼"は礼儀正しかったよ。ちゃんと挨拶もしてくれたしな」
礼儀正しかったのは本当だ。しかし"表面上は"といったほうがなお正しいだろう。ここに来る途中、廊でちょうど"彼"の弟と鉢合わせした。そこで簡単に挨拶を交わしたのみだったのだが、その時の素ぶりは顔見知りですらない赤の他人に向けるような様子だった。"彼"の弟は"彼"が病臥しはじめたころからしだいに私に対してよそよそしくなっていった。今ではすっかり他人行儀。出会っても挨拶のみだ。以前ならば睦まじく会話するほどの仲ではあったはずだ。今となってはすっかり他人の面を貼りつけられてしまっている。
「それ、弟が持ってきたのか」
「ああ、この前話したら獲ってきてくれてな」
枕元の盆の上に水差しとともに獲れたばかりの唐柿がのっていた。少し前に、"彼"が話していた唐柿だ。
「よく熟れているな」
私がそう言えば"彼"は「ああ、すごくきれいだ」と和やかに笑った。"彼"は前からこんな風に笑うのだっただろうか。元から花が咲いたような笑顔だったが、今は同じ笑顔でもどこか愁いをおびている。冬ごもりを終えて地表に出てきた虫たちのような弱弱しさと温かさと、すこしばかりの希望。私はこの笑顔は好きじゃなかった。"彼"の横顔は外からの陽光でただでさえ青白い肌がますます白くなり、ぼうっと浮かんでまるで幽霊のようであった。
私はそこで革鞄の中の物の存在を思い出した。今日はこれを見せたくてやってきたのだった。
「なあ、今日は本を読んでやろうか」
鞄の中から取り出した一冊の本を"彼"に見せた。表紙には油絵によって描かれた少女がいる。私の屋敷の蔵で見つけてきた、普魯西の絵本だ。稺いころ、繰り返し読むほど好きだった本である。
「覚えているか?」
"彼"は表紙を凝視してしばらく考えるような素ぶりを見せたあと「昔読んでいたやつか」と言った。"彼"も一緒に読んでいただけあって覚えているようだった。
「どうしてそれを」
「たまたま家の蔵で見つけたんだ」
たまたま、というのは嘘である。"たまたま"本の存在を思い出したという意味では正しいが、わざわざ埃まみれになりながら蔵の中を探したという意味では誤りである。たまたまでも長らく忘却していたこの本を思い出すことができてよかったと思う。おそらくこんな時ではないと見せる機会もないだろうから。
「あまり長居しないほうがいい」
「私にここにいてほしくないのか」
「そういう意味じゃない。うつしてしまったら大変だ」
"彼"は私が来るといつも『うつすといけないから』などと言って長居させないようにする。純粋に私のことを気遣っているのだろうとは思う。"彼"は己のせいで他人に苦労をかけることを執拗に忌避するきらいがある。万が一にでも労咳をうつしてしまったらと、気が気ではないのだろう。これが病のことではなかったのなら私は「大丈夫だ」と笑い飛ばしていただろう。しかし今となってはそれも不可能な話だ。なぜこんなことになってしまったのだろうかと考える。はじまりは単なる咳だった。最初のうちは微恙だから醫者にかかる必要はないだろうと、そう言っていた。しかし一月を過ぎても咳はおさまることがなく、むしろ日に日に悪化していった。その頃にはちょっとした鬼胎だったものが懐疑へと変わっていった。ただの感冒だと、杞憂であってくれと願ったが祈りむなしく"彼"は『結核』だと診断された。
過ぎ去ったことなどもうどうでもいいのだ。いくら悔んだところで時は戻らない。ただ、これからどう過ごしていくかを考えていくのみである。
いまだに表情を曇らせて私を気にかけている"彼"に向き合って笑う。
「そんなに時間はとらないから。少しだけ、いいだろうか」
私がそう言うと"彼"は眉を下げて笑った。黙ってこちらに視線を向けたままなので恐らくしぶしぶと、言った感じではあるが納得してくれたのだろう。"彼"は頑固で自分が決めたことではてこでも動かないところがあるが、私がこうして下手に出て恃み事をするといささか不服そうな顔しながら引き下がるのだ。返事すらしないのは" 彼"なりの反抗だろう。"彼"の声のない反駁に動じないのも説得させる手練を心得ているのも長年の交際によって互いを知悉しているからだ。
それはさておき、了承を得たので本を開いてみる。本の内容を説かせるには読んで聞かせるてやるのが得策だろうと、版面に書かれた文字を声で紡いでいく。ゆっくりと静かな声色で、言葉の意味を咀嚼するように読む。
物語の粗筋は、上流階級の娘が貴族の夜会で歳の近い少年と出逢い、ダンスを踊ったり夜会を抜け出したりしてともに過ごすうちに互いに惹かれあい婚約を交わすという結末のものだ。物語の中にところどころに貴族社会での礼儀や作法に関する記述がさしこまれている。おそらく物語の主人公と同じ小さな淑女たち向けに作られたものだということがわかる。
主人公たちが貴族の子供ゆえの悩みや苦しみを吐露しあう場面や、自由な結婚を許されない貴族の娘に『婚約を交わす』などという夢を見させるような結末。現実と理想の食い違いの指摘や子どもが成長して現実を知っていくことをすすめているかのような物語だ。大人になって、『あの物語はなんだったのか』と失望するか、しょせん子ども向けの物語だと軽んじるかそのどちらかだろう。
読み終えて本を閉じると、聞かせているあいだ一言も口を開かなかった"彼"が言葉を発した。
「なつかしいな」
「昔はよく飽きもせず読んでいたよな」
同じ富裕層の子どもとは言え、女児向けの絵本をよくもまあ繰り返し読んでいたなとつい感心する。しかし"彼"の言葉の意図は違うものだったらしく、「いや、そうではなくて」と続ける。
「むかし、この本のようなことをしたなと思い出してな」
その言葉で私の脳裡にある記憶が甦った。この本を飽きもせず読んでいたころのことだ。侯爵家同士の交流を目的とした夜会に両親に連れられて来た日のことだ。
侯爵家同士の交流を目的とした夜会に両親に連れられて来た日のことだ。大人たちの社交に退屈して私たちは二人だけで夜会を抜け出した。童心ながらこの本のようにダンスを踊るなんて優雅なことはなかったが、大広間から離れた空き部屋で見つけた小さな蝋燭の火の傍らでひたすら談話した。それまであまり縁のなかった煉瓦造りの洋館や豪壮なシャンデリアや奇妙な形をした壁と柱、肖像画がいくつも飾られた画廊に昂奮したせいかいつもより会話が弾んだことを覚えている。
「そういえば、そんなこともあったな。今の今まで忘れていたよ」
「なぜか、記憶のひと部分だけ鮮明に覚えているんだ。月の美しい晩であったこととか」
過ぎ去った記憶というものは美化をしやすい。私はそのことを覚えていないが、もしかしたら"彼"の思い違いで月なんて出ていなかったかもしれない。しかし月の美しい晩に社交場を抜け出す、というのもなかなか乙なものである。ひいては相手が"彼"ともなれば喜びはひとしおだ。どんな月でも"彼"と一緒に見るのなら美しい。
それにしても記憶のひと部分だけ鮮明に覚えているなんて不思議なものである。私は断片的に残っている記憶を思い起こそうとする。煌びやかなシャンデリア、喧噪に包まれたダンスホール、途切れることなく聞こえてくる楽団の演奏、そこらじゅうの人々の視線、人々の間に見えた燕尾服の黒い影―――
そこまで思い出して私は汗が玉のように吹き出すのを感じた。拍動が早くなり体じゅうが熱い。なにか、いやなことを思い出してしまったような不快感だ。とにかく今はあの光景を忘れようと試みるが何度もちかちかとフィルムのコマのように同じ光景が流れていく。いや、そんなはずはない。そのようなことはきっと有りえない、と考えを振り切ろうとするがそう考えるほどに"頭の片隅に長らく眠っていた記憶"がどんどん鮮明になっていった。なぜ思い出してしまったんだ。いや、思い出さなくてよかったことだ。ずっとこの先思い出さないほうが確実に私も、"彼"も幸せなはずだった。違う、違うんだ。違うからもう見せないでくれ、思い出させないでくれ。そう必死に踠いていると、そこには"何も"なくなっていた。
ゆらゆらと行燈の火が揺れる。蔽いに映った小さな陰翳が影絵のように動いている。行燈の灯りがあるのみであたりは暗く、何も見えなかった。"また戻ってきた"のだと気づいた。
こうなるたび私はどうしようもない喪失感と虚無感、そして筆舌に尽くしがたい悔悟心に襲われる。逃れることもできなければ、逃れてしまえばまた違う苦しみに襲われる。そしてその苦しみから逃れるのはなにより"彼"に対する冒瀆であった。
私は罪を犯した。罪を犯したことを自覚していながらその事実から逃げ、あろうことか己を正当化し忘れようとした。許されるはずのない罪だ。
"彼"にとっての死魔は、疫神は"私だったのだ"。私が運んできた"災い"がもとで"彼"を死の淵へと誘うことになったのだ。私はあの後"私がやったこと"について知っていた。しかしあろうことか私はそれを看過した。"彼"はそのことを知っていたのだろうか。いや知っていようが知っていないが私がそれに気づく術はないのだからもうどうしようもない。
"彼"は私に『記憶さえ持っていれば人は死なない』、『死んでも夢の中で人は生き続ける』だなんて言った。何を思って私にそのようなことを言ったのだろう。"彼"はすべて見通していたのだろうか。"彼"の言う通りだった。"たった一つの記憶で人間を縛ることができる"のだと。私は今になってようやくわかったのだ。
愚かなことだった。私は永劫の中で終わることのない"地獄"を味わい続けている。これが私への"罰"であった。輪廻転生もなければ、邪鬼になることすらない。"彼"が出てくる夢を見続けることが、千本の針で刺されることよりも火の海に投げ込まれることよりも何よりも重く苦しい"罰"であった。
『死なないでくれ』とか『どこにも行かないでくれ』だとか、私にはそのようなことを言う資格はなかったのだ。仏の道から悖る行いをしたのだから、当然のことだ。
そこまで考えて次第に視界が霞み始めていることに気づいた。視線の端にあたたかな光が映る。その傍らに私が手を伸ばそうとしても届くことのない"夢"が虚像のように浮かんでは消えた。
次はもう何回目の邂逅だろうか。今度は前よりも優しい夢であるといいと願いながら瞼を閉じた。また、無邉の夢が始まる。