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【発症〜搬送編】心筋梗塞・体験記(1)
こんにちは。私は56歳の個人事業主です。
2025年1月25日の未明、心筋梗塞を発症しました。
命はとりとめましたが、死はまさに目の前にありました。
何が起こったのか。
何を考えたのか。
そのすべてをここに記します。
私が体験した、苦しみと再生の物語。
この内容が、皆さまの健康で幸せな毎日の参考になれば幸いです。
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胸が、痛い。
2025年1月下旬。
胸の中央部に、強い圧迫感のような痛みがある。
時刻は夜の0時半。
自室で眠りについて1時間ほどがたっていた。
明日は土曜日。
昼間に大きな予定はなく、ゆっくりと休めるはずだった。
横になっていれば痛みはおさまるかと思ったが、そんなことはない。
強さはどんどん増していく。
心臓は動いているのかと、指で鼓動を確認する。
それほどの胸への違和感だ。
ベッドに腰かけてみたが痛みが和らぐことはない。
仰向けになっても駄目。
結局、床に両手をつき四つん這いになる。
冷や汗がでる。
息をするのも苦しくなる。
これはまずい。
命の危機を自覚した。
私には妻と高校生になる息子がいる。
この事態を、隣室で寝ている妻に伝えなければと思う。
しかし一歩を踏み出すだけで、胸に強い圧力がかかる。
まずはパソコンだ、と思う。
私に何かあった時のために、妻に重要事項を記したメモをパソコンに保存していた。
パソコンを起動するにはパスワードが必要だ。
それを伝え残しておかなければ。
必死で机に移動し、ペンを手に取り、パソコンの上にメモを書き置く。
少し安心する。
胸の痛みは、わずかに和らいでいた。
救急車を呼ぶべきだろうかと考える。
呼んだ方が良さそうな気がする。
それほどの、これまで体験したことのない異常な体の状態だ。
一方で迷いも起こる。
救急車を呼んではみたものの、病状が呼ぶに値しないものだったらどうしよう。
呼んだことで、救急隊員に迷惑をかけてしまうのではないか。
現に、症状は少しおさまってきている。
悩みながら、まずは着替えておこうと考える。
救急車は呼ぶかもしれない。
それに備えて、下着をきれいなものに履きかえておきたい。
パジャマがわりのスウェットも脱ぎ、外出着へと装いを変えた。
ここで再度、強い発作が起こる。
まずい。
息ができない。
少しでも動くと胸の痛みが強さを増す。
このまま死ぬかもしれない。
ここで命を落とせば、最後に家族と話ができなかったことへの後悔が残る。
妻と、話がしたい。
痛みに耐え、すり足で這うようにして、何とか妻の枕元に辿り着く。
「K子ちゃん」
妻の名前を呼ぶ。
「ん?なに」
「ちょっと……、まずい」
頭と両腕を、床にすりつけるようにして這う異常な姿勢。
「なに?大丈夫?ちょっと、待って。救急車、呼んだらいい?」
妻は寝起きとは思えない俊敏さで跳ね起き、固定電話の受話器をつかむ。
「あ、すみません。間違えました」
どうやら119ではなく、110のボタンを押したようだ。
さすがに動揺しているらしい。
その後、スマホを手に取り、妻は電話をかけなおす。
救急隊のコールセンターとつながった。
はじめに名前と住所を告げた。
その後、電話口から私の容態についての質問を受ける。
返事に窮する妻。
代わりに私がスマホを受け取り、かすれた声で体の状況を伝え、電話が終わる。
妻と2人で待つ沈黙の時間。
いろいろ伝えたいことはあるのだが、声が出せない。
息子は風呂に入っているようだ。
10分後、救急車のサイレンが鳴る。
救急隊が到着。
人数は3名。
男性2名と女性1名の編成だ。
両手に重たそうな機械を携えている。
機械の一部にAEDとの文字も見える。
まずは機器を使い、室内で体の状況を確認したいとのこと。
移動用の簡易ベッドをリビングに持ち込み、それを床に敷き、上にすわる。
血圧と心電図を測定。
「ああ、これは……」
数値を確認した隊員から声がもれる。
横目で見ると、血圧は180を超えていた。
私の通常の血圧は110〜80だ。
明らかに普通ではないことが起きている。
隊員の動きが慌ただしくなる。
「近くに循環器内科のある病院は」
「確認します」
隊長らしき男性の指示で、女性隊員が端末を操作する。
「こっちも数字、出ていますね。間違いないと思います」
機械を操作していた隊員からの報告がある。
心電図も、心臓への強いダメージを示す数値が出ているようだ。
私には、逆流性食道炎という持病があった。
食道が炎症を起こすもので、胸焼けのような痛みが時々ある。
今回の胸痛は、その食道炎が悪化したものではないかとも思ったが、そうではないらしい。
患部は心臓だ。
「救急車、呼んでも良かったでしょうか」
119番に電話をして以降、ずっと気になっていたことを隊員に聞いてみた。
相手は一瞬驚きの表情を浮べ、
「間違いなく」
と強くうなずいた。
私は少しほっとし、現在の体の状況や経緯について、隊員に詳しく説明を行った。
「すぐに救急車に移動。受け入れ可能な病院は、移動しながら確認」
隊長からの指示が飛ぶ。
言うやいなや、簡易ベッドを男性2名が持ち上げ、廊下を進む。
その動きの機敏さに、訓練と経験の質の高さを知る。
家の玄関を出てマンションのエレベーターへ。
その後、私を乗せたベッドは救急車の中へ。
救急車には、急いで着替えた妻も乗り込んだ。
ちなみに息子はゆっくりと風呂からあがり、濡れた髪で私を見送ってくれた。
エールを送ってくれているのだろうか。手は親指を立て、サムアップの形をしていた。
「空いている病院は?」
隊長が女性隊員に確認する。
「近くのA総合病院とB市民病院は受け入れ不可です。現在T市の病院を確認しています」
救急車がサイレンを鳴らしながら動き出す。
時刻は、土曜日の午前1時半。
心臓系の救急外来がある病院は、それほど多くないのかも知れない。
「近い場所から、受け入れできる病院を探します。現在、T市に向かっています」
隊長から私に説明がある。
妻は救急車の後部座席で、不安そうに私を見つめている。
入院となれば、手続きや着替えなどで妻を頼ることになる。
家からどんどん離れる救急車。
その距離が長くなれば、妻への負担も大きくなる。
我が家には車がないのだ。
「見つかりました。T市総合病院。受け入れ可能です」
女性隊員の声が車内に響く。
救急車の目的地が特定できた。
安堵する私。
妻の表情も少し和らいで見えた。
鳴り響くサイレンも、わずかに活力ある音に変わった気がした。
病院に到着。
救急車の後部ドアが開く。
「ゆっくり」
かけ声とともに、座っていた簡易ベッドが動き出す。
「患者さんは横になってください」
病院の白衣を着た男性から指示がある。
車の外に出ると、外気の冷たさが肌を刺す。
簡易ベッドは車輪つきの脚を伸ばし、病院の中へと進む。
ガラガラと音を鳴らしながら移動するベッド。
その後、救急患者を受け入れるための開けた部屋に到着。
そこで救急車の簡易ベッドから病院のベッドへと私の移動が行われ、居場所が変わる。
ベッドの近くには、医師と思われる紺色の制服を着た女性が立っている。
ゴーグルのようなメガネが印象的だ。
女性は救急隊員から容態や経緯についての説明を受け、私の枕元へやってきた。
「今後について説明します」
鋭く冷静な声色だ。
「救急隊からの報告を聞く限り、心筋梗塞、そして、たこつぼ心筋症が疑われます」
心筋梗塞。
心臓の血管がつまる、命に直結する深刻な病だ。
胸には確かに強い痛みがある。
しかし、それは一時的なものではないのか。
心筋梗塞などという重い病であるはずがない。
病院に搬送された直後は、まだそのように考えていた。
「検査のためにカテーテルを行います。手首から管を入れ、管を心臓まで伸ばして患部の確認をします」
なんと。
心臓まで検査用の管を通すのか。
これは大ごとになってきた。
「検査の結果、心筋梗塞だと判明した場合、心臓の血管を広げるための金属を埋め込みます。この金属は一生取り出すことはできません。この金属は体にとって異物となり、血管が詰まりやすくなる原因となります。そのため、血液をサラサラにする薬を一生飲んでいただくことになります。同意、いただけますか」
すぐにできるわけがないだろう。
一生薬を飲み続けないといけない生活。
考えただけでもぞっとした。
検査が必要なのはわかった。
しかし、その検査結果を確認した後で、あらためて判断の機会をくれないかと医師に提案をした。
医師は言う。
「金属を埋め込む処置は、カテーテルで行います。症状が心筋梗塞だとわかったら、すぐに処置をしたいのです。これに同意できない場合、当病院での対応は難しく、お帰りいただくことになりますが、よろしいですか。このままお帰りになると、命を落とされる可能性もございますよ」
どうやら医師の話では、選べる選択肢は、もはやないらしい。
「薬でなんとかならないのでしょうか」
ダメ元で聞いてみる。
「もし心筋梗塞なら、薬では無理です」
やはり。
「心筋梗塞の可能性は、どれくらいだと思いますか」
「お話をうかがう限り、高いと思います」
そうなのか……。
心臓に金属が入る。
そして、薬を飲み続けないといけない体になる。
死ぬまでずっとだ。
「あの」
私が考えていると医師から声をかけられる。
「命の問題ですよ。生きるか、生きられないか。そのような状態の時に、なぜそれほど悩まれるのですか。命以上に大切なもの、あるのですか」
もはや覚悟を決めるしかなさそうだ。
事態は想定していた以上に深刻だ。
最悪、ここで命を落とす可能性もゼロではないのだろう。
「すみません。10分間、妻と2人だけで話をさせてもらえませんか」
医師は少し考え、わかりましたと返事を告げ、部屋を出た。
これが最後になるかもしれない妻との時間。
感傷に浸ったり感謝の思いを告げたりする前に、やることがある。
このまま命を落とした場合に、妻におこなって欲しいことの伝達だ。
翌週に訪問予定だった得意先への死亡連絡。
父や母への連絡。
その他、関わりがある方々への連絡。
パソコンの開き方。
その中にある緊急連絡事項の存在。
加入している生命保険、など。
妻は懸命にメモを取る。
ここで医師との約束の時間が来てしまった。
「どうしますか」
医師が問う。
「わかりました。検査や処置の方針に同意します」
覚悟を決めた。
「では、部屋を移動します。奥様は待合室でお待ちください」
不安な表情を向ける妻。
別れ際、妻にこれまでの感謝の気持ちを伝え、ベッドが移動する。
見上げる天井の景色は、ガラガラという音とともに流れていく。
どうしてこんなことになったのか。
死がまさに目の前にある。
瞬間、あることに思いが至る。
ああ、そうか……。
私には、こうなることへの心当たりがあった。
なるべくしてこうなったのだ。
これは私が望んだこと。
私は死を望んでいた。