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スーパーミートボーイの思い出 父の小言

大学に入り、ひとり暮らしをするまではリビングのテレビでゲームをしていた。3人兄弟の真ん中の私は兄貴と部屋を半分にして使っており、そんな狭いスペースには当然テレビも置けなかったのだから仕方ない。
 
リビングのテレビを占領してゲームをしていれば、リビングに居合わせた家族にゲームに対する文句も言われる。鉄拳4をプレイしていれば「そこはローキックだろう」とか、Rainbow Six ベガスをプレイしていれば「敵の位置考えて隠れる遮蔽物選びなさい」とか。COD4MWをプレイしていれば「グレネード投げ返さないと!」とか。まともにゲームをプレイしたことがない父はどこか楽しそうに文句を言ってきた。妹は私と同じぐらいゲームをプレイするのだが、休日は一切ゲームをしなかったのはおそらく父の小言のせいだろう。
 
そんな父がFF10をプレイしてゲームの難しさに気づくのは別で話すとして、私は自分のプレイに口出しされるのが好きではなかった。ゲームの世界観に浸っているのに、現実に引き戻され、ほほをぺちぺちビンタされている気分になるのだ。
 
私は父の小言をよく思っていなかったが、それでも据え置きのゲームを遊べるのがリビングしかなかったので、小言を適当にあしらいながらプレイしていた。しかし、未だにイラッとした思い出は消えない。
 
特に気分を害したのはXbox 360で「スーパーミートボーイ」をプレイしていたときだ。高難易度2Dアクションゲームとして海外ではかなり有名な作品だ。
 
ゲームについてはそこそこ自信があるが、当然ながらジャンプミスやギミックの活用ミスでぷちぷちとやられていく。ランダム要素がほぼないストイックな作品のため、やられながらスティックを戻すタイミングを調整したり、ジャンプの高さを調整したりする。そして何度も何度もやられていく中でステージをクリアしていくゲームだ。
 
やられてからリトライまでの間隔が非常に短く、スムーズに試行錯誤できるのがプレイヤーとしてはとても気持ちいいのだが、残念ながらコントローラーを握っていない傍観者はそうは思わなかったらしい。
 
何度も何度も同じ場所でミートボーイで肉片をぶちまけていた。リビングに居合わせていた父はそれをみて「見ててつまらないから、いい加減やめてくれないかな?」と言い放った。
 
コントローラーを握っていない傍観者にはわからないのだ。コントローラーを握る私からすれば、スティックを戻すタイミングや空中制御の加減を繰り返し試していた。しかし、傍観者にはそれは伝わらない。
 
「お前に何がわかる!」そう言い返したかったが無視してゲームをプレイしていた。所詮ただの小言だ。コントローラーを握り、ゲームをプレイしなければわからないのだから言い返しても意味がないからだ。
 
 
ニコニコ動画、YouTube、Twitchなどでゲーム実況配信が当然のように行われるようになった。スーパープレイ目的で見る人、ゲームには興味がないが、配信者が好きなので観る人、様々いるだろう。
 
コントローラーを握ってほしい。キーボードマウスでももちろん構わない。観ていて楽しいゲームはもちろんある。だが、ゲームの醍醐味は「自身の手を動かす能動性」にあると思う。実際に自分でプレイしたほうが楽しい、という気づきもあるだろうし、同じゲームをプレイしてみて改めて配信者の凄さに気づくこともあるだろう。ゲームそのものも多種多様となりあなたにあうゲームもあるはずだ。是非プレイヤーになってほしい。

スーパーミートボーイ紹介動画
 
【記事を書いていたときの作業BGM】
オーバーキル Coma

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