オバサンからワカモノたちへ
幼少に30過ぎたらオバサンかオネエサンか微妙だなと思っていたけれど、先日33になった私は素直にオバサンだと認めよう。
若い子みて全員かわいいと思うようになった時点で明確になった。
そんなオバサンは今をときめく幼児から20代のワカモノヘ伝えたいことがあり、じゃがいもを茹でる傍ら筆を執っている。
間違っても何かを成し得た訳でもなく、むしろ逃げて逃げて逃げまくって、都合のいい世界でぬるく破滅へ向かおうとしていたオバサンの言葉だ。
新しいことへ挑めと年嵩は言う
古今東西、先人たちは次代へのメッセージとして、新しいことや未知へと飛び込み挑戦することを伝える。
間違っていない。
むしろ真理。
それしかない。
とはいっても、新しいこと、未知のことってそんな大それたことじゃないんですよ。
使ったことのない色を使ってみる
みんなと一緒に遊んでみる
ボール遊びに混じる
英検や漢検に挑戦する
家事を手伝う
授業中に発言する
少し面倒な課題や自由研究に挑戦する
フィールドワークに出かける
勉強を一夜漬け以上する
ダンスをしてみる
合唱部へ入る
人との話し合いに参加する
企画を発案、引っ張ってみる
作ったことのない料理をつくってみる
なんでもいいから続けてみる
ほんと、何でもいい。
だってすべてのことは自分にとって必ず新しいことで、未知のことだから。
怖かったり、面倒だったり、勇気や忍耐が必要だったりするけれど、どんな小さなことでもその積み重なりがやがてモノをいう。
先日、あんこ炊いて土台のサブレから手作りしてベイクドチーズケーキを焼いたこのオバサン、小5まで面倒で億劫で鍋を火にかけるだけのお湯も沸かしたことなかったんですよ…?
(でもレシピなしで適当につくり辺りに面影が…)
出来ないからしたくない
そしてこのオバサンは上記のことを大体やってこなかった。
何故なら、『出来ない』ということが嫌だったから。
そう、誰しも初めてのことは下手くそでも出来なくても当たり前なのに、幼児の頃から謎のプライドの高さを誇る負けず嫌いは、『出来ない』ことが無様で恥ずかしくてそんな自分は認めたくないから、やらなかったし挑戦もしなかった。
それなりの身体能力と頭を持っていたため、多分やれば一通りは結果を出せたと思う。
でもやらなかった。
『努力』という言葉も嫌いだったし、集団内での疎外感が半端なかったし、何より出来るようになる前の『出来ない』が無理。
やってみたいことや興味を抱くことはあれど、思い通りにならない自分を認識したくない。
だから、自分が好きなことを一人で広く浅く気まぐれにやるのみ。
継続することもできなかった(したくなかった)から、色んなアイデアを試しては一人悦に入る。
他人へ提案するとか、物事を支えたり引っ張ったりすることもなく、いてもいなくても櫓になんの影響もないポジションに陣取りながら、無言でぺらっぺらの自己主張を仄めかすのだった。
視界を変えるには自分を変える
そんなこんなで物事を動かす気もなく、瞬間目の前のことにだけ没頭し、鬱々とした気分に酔いしれた希薄な学生生活を過ごしていた若かりし頃のオバサンは、大学生のある日思った。
あ、これアカンやつだ。
特にちゃんとした友達がいない辺り、昔聞いて戦慄した『友達一人もいない父』の話を思い出した。
自分を変えなければマズイのではないかという危機感のもと、苦手な『初めてのこと』に敢えて取り組み出した。
『出来ない』苦痛を『初めは出来なくて当たり前!』と言い聞かせ、高校でずいぶん慣れ親しんだ自虐思考が出てくる度に向き合い続けた。
いつまでも悲劇のヒロインごっこしてんじゃねえぞ、と。
自分の問題が浮き彫りになる度、まるで宝探しの宝箱を見つけたように喜んだ。
この問題をクリアした先の自分はどんななんだろう?
そのかいあってか、出来ないことへ飛び込むのがずいぶんと怖くなくなり、人間慣れって大事だなと思い知ると共に、皆は幼少よりこれを小さなことからコツコツやり続けて、飛び込む勇気を含めて当たり前のようにやってきているのだなと少し愕然とし尊敬した。
息苦しかった日々の見える世界が少しだけ広がって、世界には美しさと優しさが満ちているのを受け取れるような気がした。
33歳未だに
そうはいいつつ、染み付いた逃げ根性は簡単には更生しないので、卒論は半端なままなし崩しに卒業(教授スンマセン、アリガトウゴザイマスほんとに)
就活のSの字にもかすらないまま(華麗にすっとぼけ避け)、所謂責任を追わないで済みそうな美術館のチケット販売受付の仕事に冬休みのアルバイト時に誘われて派遣で入る(しかも週4くらい)という非常に逃げの道を辿った。
その後諸々ありつつ、伝統工芸品などを扱うお店で働き、無事正社員になり、3年後体調崩して退社、今に至るのですが。
振り返り、そして今の自分を見つめ直したとき、まぁ何にもないなと思いましたね。
自分より下の人たちのためになることを、誇れることを、何かしてきただろうかと考えたとき、何もなくて恥ずかしくなった。
せいぜいが日本に昔から伝わる工芸品の素晴らしさを片鱗でも伝えられたことだろうか。
もしも平均年齢20代の職場で働くとしたらと想像したとき、ぼんやり生きてきて仕事も出来ないし、そんな自分が恥ずかしくてとてもじゃないけど働けない。
そのくらい自分のことしか見てこなかった。
でも、そんな自分だからそこ伝えられることがあるんじゃないかと、開き直って書き出したのが本文の始まりだった。
成功者からの『挑戦すること』ではなく、ダメ人間で生きてきたオバサンからの『挑戦すること』。
前途多難で洋々なあらゆるワカモノのうちの誰か一人の、道に落ちてた500円玉拾ったくらいの役に立てたら本望も本望である。
逃げてもいいし出来なくてもいい
できることなら、色んなことに挑戦してほしいし、さらにいうなら継続できると素敵。
でも、逃げてもいいし、出来なくてもいいと思う。
逃げたいのにも、出来ないのにも訳がある。
生きていたくなければ、何かをしたいとは思えない。
新たな挑戦に意味など見出だせない。
生きていたくなければ、生き続けている証明のような物事の継続なんかしたくない。
とてもショックなことがあれば、なかったことにしたくなる。
思い出したくないことには触れに行きたくない。
他人からしたらどんなにか些細なことでも、本人にとっては深く鋭い針のように、殺意を抱く悲しみのように、忘れたいくらい大切なことがある。
訳がある。
本人が一番その事を分かっている。
向き合えないことも、
逃げに走る楽さの苦しさも、
どこかでマズイなと思いながら後回しにしていることも、
楽をしようとして本当は自分を苦しめていることも、
他人を敬わず無下にし憎み 自らに枷をはめていることも、
言い訳をしている自分の姿も、
感謝できず荒んだ心が悲しいことも、
何も成し得ていない虚無感も、
見ない振りをしている後悔も、
本当は飛び込みたいと思う心も、
ここから抜け出したいと願う思いも、
いつか向き合わなければならないときが来ることも、
知っているから。
だから、自分を責めないでほしい。
それがその時自分にできうる最大限の譲歩で、その時の自分にできうる最善の選択でもあると思うから。
出来るならその訳と向き合うといい。
もしかしたら、無理矢理挑戦するなかで浮上するかもしれない。
浅い人生の経験則上、必ず向き合わなければいけないときがくるし、それは早い段階の方が楽だったりする。
歳を負えば負うほど、自らは固くなになり、忘却の彼方へ追いやり、不器用になって、もがいては苦しく空回り、とても疲れる。
ぁ…って心を掠めたときに見ない振りせず、そのまま掬い上げることをおすすめする。
巡ってくるタイミングというのはなかなかバカにならない。
オバサンは知っている。
理解することと腑に落ちることは全くの別物
前頁でも書いたことだけど、これはとても大事。
ははぁん、こうでこうだから私はこうなんだなと分かっても、それだけじゃあなかなか変われないのが心。
理解して、わかった気になっても、許した気になっても、受け入れたつもりになっても、そうはならない。
頭と心がずれているのだ。
それがあるとき、すっと腑に落ちる。
肉体感覚に染み込むように、納得してしまう。
ああ、と、心がわかる。
その時初めて、その意味を知り、赦し、受け入れられるようになる。
自然な心持ちでありがとうと言えるし、間違っていた自分を素直に受け入れられるようにもなる。
気を抜けばすぐに頭で考え理解した気になってしまう。
でも、ずっと頭の片隅にでも置いて考え続けていれば、ある日ふっと答えがやってくる。
ちなみに、一度腑に落ちた事柄でも、また腑に落ちることが多々ある。
恐らく、ひとつの事柄であっても、玉ねぎのように何層も何層も気付くべきことはあり、その時の自分に必要な分だけの気付きがその時にあるのだろう。
その都度多角的に見えるものがあり、それはどんどん根本へと近付いていく。
違う問題がある日、同じ根本に起因すると気が付くときもある。
気付く度、腑に落ちる度、心が軽く、強く、透明に、そして充ちていく。
現実に挑みながら生きていくとともに、どうか自らの心と向き合うことにも挑戦してほしい。
それがあなたの生を豊かにキメ細やかにしてくれる。
人や世界が強くやさしく美しく、愛おしく、素晴らしいものに充ち溢れている存在なんだと感じられるのではないかと思う。
そのなかに、不完全な自分自身が含まれていると感じられたなら、とても幸せな事だと思う。
はぁ、オバサンは話が長い…。
じゃがいもはとっくにおいしいサラダになって胃袋のなかよ。
書き慣れない長文に、眠くて段々要領を得なくなってきたから、後日書き換えるかもしれないです。
(やるやる詐欺常連なので多分このまま)
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