【シリーズ小説】羊ヶ丘さんちのオオカミ怪人②
夕日が西の空を染め、星明町は暖かなオレンジ色に包まれていた。町内放送用のスピーカーからは、子供たちに帰宅の時間を告げる『夕焼け小焼け』のメロディが流れてくる。私が歌詞を口ずさんでも、二歩前にいる大きな背中は何も反応を示すことなく歩き続けている。
私の前を歩くウルフガルムは、人の姿を模していた。本来のオオカミ怪人の時と同じように、彼の背格好は変わらず、ワイルドな雰囲気もそのままだ。しかし、全身を覆っているはずの黒い毛は、私と同じ色の肌に置き換わっていた。その名残かのように、短く刈り込まれた常夜のような黒髪が、微かに風に揺れている。
服装もまた、いつもの戦闘服とは違っていた。白いTシャツに黒いレザージャケットを羽織ったカジュアルなスタイルは、私がネット通販で購入したものだ。戦闘服にはシャドウオーダーの紋章が入っているので、面倒なことにならないようにと、やむを得ず着てもらっている。
私はそんなウルフガルムの背中を見つめながら、微笑む。彼が人に化けた姿は変わらず魅力的であり、それでいてどこか浮世離れした雰囲気があったからだ。
やはり普段のオオカミ怪人である彼の姿の方が好きだけれど、彼の存在が街に不穏な影を落とすことは避けたほうがいいだろう。なので、今日のように買い物に付き合ってもらう時などは、彼に人間の姿に変身してもらうようにしている。
「やぁっと着いたぜ」
両手に食品の入った袋やお米の袋を持ったままアパートの階段を軽々登り、ウルフガルムが零した。
「付き合ってくれてありがとね。助かったよー」
両手で1つの袋を持ち、よたよたと後ろを着いていきながら、私が労いの言葉をかけた。すると、彼は小さく「ん」とだけ返してきた。
ウルフガルムがうちに住み始めてから、必要な食料は2.5倍になった。小さな冷蔵庫に入るだけの量だとしても、さすがに一人で持って歩いて帰って来るにはなかなか大変で。頼みに頼んだところ、ウルフガルムはこうして買い物に付き合ってくれるようになったのである。
ちなみに、私がちょっとしたデート気分を味わっているということは内緒だ。
「ただいまー」
私がアパートの扉を開けると、ウルフガルムはさっさと上がり、廊下の途中にあるキッチンへ荷物を降ろしてリビングへと向かっていく。
私の住む小さなアパートは、ウルフガルムの大柄な体格にはやや狭苦しいだろうなと思っていたが、彼は全く気にする素振りを見せない。むしろこの部屋を自分のものだと思っているかのようだった。
「あぁー……くっそ疲れた」
どかりと音を立てて、ソファ全部を使い腰を降ろす。大きな背中を背もたれへと沈みこませるようにして寛いだウルフガルムは、その変身を解いて、すっかり元の姿であるオオカミ怪人の姿に戻っていた。
「ありがとう、ウルフガルム。ちょっと休憩しよ、」
後に続いて買ってきたものを降ろした私がウルフガルムに目を遣ると、なんだかひどく疲弊しているように見えた。
闇のように黒い毛に覆われているので、顔色はよく分からない。けれど、立派な毛並みは少しくたびれているようだし、近付いてみると鮮烈な紅色をしているはずの瞳が濁っているように感じた。
「んだよ、じろじろ見んな」
「あ、ごめん。……ウルフガルム。もしかして、フレドルカ足りなくなってる?」
「あ゛?」
不機嫌に睨まれるが、恐怖は全く感じない。むしろ、私はその態度にますます確信を強めていた。
「補給する? 私は良いよ」
「大丈夫だ」
「本当に? でも、前に分けてから結構経つよね。そろそろ必要かなって思うんだけど、」
「大丈夫だっつってんだろ!!」
彼がそう言うのなら、すぐすぐに枯渇しそうなほどではないんだろう。でも、やっぱり心配だ。
私はウルフガルムに近付いた。彼は少し警戒した様子で私を見たが、構わずその大きな身体の上へ座るようにして抱き着いた。
「おい!!」
ウルフガルムは慌てた様子で私を引き剥がそうとしたけれど、私は構わず彼の身体に顔を埋める。
「じっとしてて」
私の言葉に、彼は動きを止めた。抵抗しないことを確認してから、私はそっと彼の黒い体毛を撫で付ける。
「それやめろ。……くすぐってぇんだよ」
彼の声を無視して撫で続ければ、体毛は段々と湿り気を帯びていく。
精神エネルギーであるフレドルカ自体は、私たち人間の目に見えるものではない。こうして分け与えていても視覚的に何か起こるわけではないので、与え方としてこれが正解なのかは分からない。
しかし、いつもウルフガルムが元気になると私は気怠くなるので、フレドルカをあげたという状態にはなっているようだ。
私が初めてウルフガルムにフレドルカを補充してあげた時もこれで成功しているから、これからもこのスタイルでいこうと思っている。合法的にウルフガルムをハグ出来るということも私の中ではとても大きい。
私は服越しに彼の胸に手を這わせると、そっと頬を寄せた。
「おい。てめぇ、いい加減に」
「だめ。もう少しだけ」
私は顔を上げてそう伝えると、また彼の胸へと顔を埋めた。耳を押し付けた先では、ウルフガルムの鼓動がしっかりと聞こえてくる。トクン、トクンと脈打つリズムが心地よくて、私は目を閉じた。
「……くそっ」
彼は舌打ちをして諦めたように呟くと、私にされるがままになってくれたようだった。
しばらくそのままでいると、私のフレドルカが減ってきたからなのか、ウルフガルムの心音が心地良かったからなのか、とろとろとした眠気に襲われた。
「……おい。ここで寝んな」
ウルフガルムの静かな声が耳に届くが、もう声を出す気力もない。返事をする代わりに、彼の胸に顔を擦り付ける。
「寝るならベッド行けよ」
「うん……」
「聞いてんのか? 衣奈、……ったく」
私は不機嫌だけどどこか心地よい声色を聞きながら、その体温に包まれて、ゆっくりと意識を手放していった。
「――――ぅ、ん……照り焼き、バーガー…………っ!?」
自分の寝言に驚き、私は一気に目を覚ました。
部屋は暗かった。しかし、ドアにはめ込まれたデザインガラスから差し込む廊下の明かりが、リビングのソファにいることを教えてくれた。
ウルフガルムの大きなレザージャケットが、私の身体を包み込むように掛けられている。彼が不満を漏らしながらも掛けてくれたんだろうと想像すると、ほんのりと笑みがこぼれた。
ソファから立ち上がり、リビングの明かりを点けるためにドアの方へと向かう。
扉の向こう側は玄関へと続く廊下であり、同時にキッチンでもある。ガラス越しに見える黒いシルエットは、間違いなくウルフガルムのものだ。聞こえてくる物音と先ほどから漂ってくる甘辛くジューシーな香りから察するに、彼はまさかの夕食を用意してくれているらしい。
料理なんて、できたんだ。
怪人、それもかつて悪の組織にいた彼が、料理なんてできるのだろうか。
え。もしかして、悪の組織の本部には食堂とかあるのかな? でも、怪人たちのエネルギー源はフレドルカみたいだし……。
とにかく、あの厳ついオオカミ怪人のウルフガルムが料理をする姿が想像できず、私はしばらくの間、その場で目を瞬いていた。
「んなとこに突っ立って、何やってんだよ」
突然、目の前のドアを開けられて、私は思わず声を弾ませた。
「ウルフガルム、えっ、料理?」
ウルフガルムはフライパンを片手に、私をジト目で見つめている。私がいつも使っているのフライパンのはずなのに、彼が持っているとミニチュア……まではいかないにせよ、すごく小さく見えるから不思議だ。
「うるせ。てめぇがいつまでも寝てっからだ」
それなら起こしてくれればいいのに。
そう思いつつも、いつもの戦闘服の上に私のエプロンを首ヒモ部分を引っかけただけの状態で調理へ戻るウルフガルムの姿に、ニヤニヤが止めらない。
「何作ってるの? 照り焼き?」
「何でもいいだろ。横に立つな、邪魔だ」
「あー、照り焼きチキンだっ。美味しそう!」
「邪魔だっつの」
ウルフガルムの言葉に、私は思わず反論した。
「だって、ウルフガルムが料理してるんだよ!? そんな貴重な瞬間、そばで見ないわけにはいかないでしょ!? それに、こんなにいい匂いさせておいて、何も言わずに待てって方が無理だよ!」
ウルフガルムは小さく唸りながら、クリムゾンの目で私を睨みつけている。しかし、彼の耳はぺたんと寝ているし、尻尾には落ち着きがない。
「ねぇねぇ、一口だけ味見させてくれない? お願いっ」
私がウルフガルムにせがむと、彼は渋々ながら小さな欠片を菜箸で持ち上げ、差し出してきた。
「んだよ、その口は」
あ、と口を開いて待機している私に、ウルフガルムは言う。
「ふーふーして、食べさせて♡」
「火傷しやがれ! このくそ女!!」
照り焼きチキンの欠片が、私の口の中へぽいっと放り込まれた。
「あひっ! はふ、はふ……うー、火傷した。ひどい……でも、美味しい!」
熱いけど、ジューシーで甘辛いタレが口いっぱいに広がる。思わず目を閉じて、その美味しさに浸ってしまった。
「はー、美味しかった。ウルフガルムって、料理上手なんだね! 私が作るより美味しいし、何なら今まで食べた中で一番おいしいかも!!」
「へいへい。そんな持ち上げても、何も出ないからな」
お皿への盛り付けかたも、無駄に美しい。
ちょっと!? 本当に意外な才能すぎて、私は興奮が収まらないんだけど!
「持ち上げてるんじゃないよ。私は事実しか言ってません」
「あー、くそっ。そこにいると邪魔だっ。大人しくリビングで待ってろ」
照れ隠しのように、ウルフガルムは追い払う仕草をする。私は素直に彼の言葉に従い、大人しくリビングで待つことにした。
ソファーに座り目を閉る。深呼吸をすると、甘辛い香りに、お腹がくぅっと鳴った。
もしかしてウルフガルムが料理しようと思ってくれたのって、フレドルカのお礼?
そんな幸せな自惚れに浸りながら、私はウルフガルムを待っていた。