震災や災害の記憶

今日は兵庫県南部地震というかいわゆる阪神大震災の起こった日。もう25年も経ってしまったことに驚きを感じる。そして、あの日の朝、テレビを点けた時に目に入ってきた映像の衝撃は今でも忘れられないものなのだけれど、それを知らない人がもう25年分も蓄積されてしまったということにも、また驚きを禁じえない。

地震当時に2、3歳だったらほとんど記憶はないと思うから、27、28歳以下の日本人はアレを知らないってことになるんだよね。あの朝、実際に地震の被害に遭った方だけでなく、テレビを点けた時に観たあの衝撃を知らないという。

それだけ時間が経過してしまったということは、それだけ記憶の風化も起こっているということなんだろうね。

3.11はまだ記憶に新しいが、それにしてももうすぐ9年が経過しようとしている。

私の場合は、前者はテレビでだけ、後者は多少の揺れ(震度5弱)とテレビでの体験しかないけれど、その両方を同時に現場で体験した人も中にはいるんだろうね。

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話は違うんだが、父方の祖母は、もう何十年も前に亡くなっているけれど、東京生まれ東京育ちで、関東大震災と東京大空襲をどちらも経験している。歴史の教科書に出ているようなできごとを両方とも体験しているというのはすごいと思うけれど、ちょっと考えれば当時から何百万人もが住んでいたわけだから、どっちも経験している人はそれなりに多かったはず。

これも震災当時(1923年)に2、3歳じゃほとんど覚えてないだろうから、せいぜい6歳くらいとして、両方体験している人は今なら103歳くらいから上の人しかいないんだよね。どれくらいいるんだろうか。

そういう人の意見は貴重だからぜひとも聞いてみたいとは思うけれど、ここで祖母の話に戻る。

前述した通り、祖母は東京生まれ東京育ちで歴史的震災・災害を両方経験している。その彼女がもう80歳を過ぎた頃、ノートに回顧録を残していた。

そこに書かれていたことを読むと、亡父のことが出てくるのだが、どうやら記憶がごちゃまぜになっているようで、震災の時に亡父に手を引かれて火の中を逃げたことになっている。ところがその時はまだ亡父は生まれてなかったのだ。東京大空襲の時とごっちゃになっていた。

このノートがいつ書かれたものかはわからないが、実際に体験したことでも何十年も経過すると記憶の混同が起こるようだ。

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さて、冒頭の話。

1.17と3.11の両方を経験した人がこれから何十年か後に当時のことを記録しようとして何かを書こうとした時に、両者がごちゃまぜになったものを残すかもしれないし、その時に歴史の生き証人として話を聞いた時にも同じように混同した話をするかもしれない。

記憶というのは時間とともに風化していくものだし、混同するものなのだなと思った次第である。

後の世のためになるようにするためには、思った時に正しい記憶を残すようにしたいものだ。





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武蔵の国のオオカミ
ここまで御注視いただき、ありがとうございます。まだ対価をいただくほどの作品を挙げていないのですが、ご好意はありがたくいただきます。