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「Die Energie 5.2☆11.8」「X-Day」「踊りたいのに」(三原順)のルドルフとレベッカ

(ネタバレ全開です)

三原順作品の中でもかなりマイナーな部類の作品群を取り上げます

三原作品ではダドリー(DD)という名前の男キャラが二人出てきて、この二人は顔もそっくりですが、一応別人ということになっていて、そのへんの事情は「ムーン・ライティング」2巻のあとがきに書かれています

「ムーン・ライティング」2巻あとがき


「ムーン・ライティング」2巻あとがき

スマホだと読みにくいでしょうから、内容をタイプしておきます

あとがき
「X-Day」のDADLY-TREVOR と「MOON LIGHTING」のDADLY-TRAVER とは同一人物なのかというお便りを戴いておりますが…スペルが違う!!ンですよ!
「X-Day」でルドルフというのを出しましたが…
ある本の中でヒットラーのアドルフという名は“エーデル・ヴォルフ”すなわち“気高いオオカミ”を縮めたものなのだ…というのを読みまして
読み進むとルドルフというのは“誉れ高いオオカミ”の意味だ……と! と…と…と
で結局アドルフとルドルフのもとは同じなのか違うのか…違うとしたらルドルフのもとは何なのかは私には全然判らないのですが…とにかくオオカミなんだ!…と
でオオカミの幽霊がちょこちょこルドルフの所へ遊びに来てしまう…様な話を作って遊んでいたのですが ルドルフには動物愛護の精神が欠落しておりましてちっともそのオオカミをかまってやらない…で…オオカミがダドリーとばかり遊ぶようになってしまいまして だんだん不愉快になり どんどん目障りになり…
おまえらどっか他所へ行っちまえ!!
という訳でルドルフがいるのとは別の世界…という事になりまして…
作者がおじさん顔のスペアを持っていなかった為 ダドリーの顔はそのままに据え置き…“なら名前だけ変えても仕方ない”…と綴りだけいじり…“だったら性格や出生もまあそのまンまでいいや”…と手を抜き……狼は移動中に歪んでしまったし…
ダドリーも頭のねじが何本かとんでしまった様なのですが…このシリーズになりました.
ちなみに「かくれちゃったのだあれだ」と「踊りたいのに」のD・Dはルドルフのいる側のダドリーです.「踊りたいのに」のレベッカは「X-Day」の台詞の中でだけ登場しているレヴィと同一人物で…その辺をつなぐ話も考えてはいた筈なのにダドリーが両方を行き来している間に何やらひどく面倒な事態になってきた様で…ぐちゃぐちゃに混じってきてしまって…もうダメでしょう!!
結論!(もう遅いが)こんな手抜きなんかするもんじゃなかったんだね!

「ムーン・ライティング」2巻あとがき

そういうわけで、今回、話題にしたいのはトマスでなくルドルフのいる世界線の話です
ルドルフというキャラは、読んだ当初から、とても私の好みだったんですよ

当時、まだ十代で、他人に依存したい気持ちはあるけれど、かと言って全面的に頼りたくないという微妙な心理状態だったのですが、そういった私のワガママにぴったりの相手に思われました

「X-Day」でルドルフは小さな男の子ニュートに懐かれるのですが、ルドルフとニュートとのやり取りが以下のようなものでして

ニュート「今日は!ルドルフ… ルドルフはボクがこっちで会った14番目の人だよ! ボク14が好きなんだよ(以下略)」
ルドルフ「そっちのイスに座って話しなさい! 抱きつかれるのは嫌いだ」
ニュート「あとはね…魚と…猟と…犬と…飛行機と…」
ルドルフ「よし 飛行機の話なら聞いてやる」

「X-Day」

こんな感じで、小さな男の子相手でも、無愛想極まりないのですが、決して相手を拒絶してないんですよ。イスに座って話すなら話を聞いてやるし、飛行機の話なら話を聞いてやるわけですから。
自分のできる範囲なら、相手を助けてやれる人なんです

つまり、ルドルフという人は、根がとても優しいんです
なんせダドリーが麻薬中毒になった時も、周囲がダドリーを見捨てていく中で、自宅にダドリーを二ヵ月間軟禁して、悪態をつきながらも面倒を見ていたという、なかなか普通の人間には出来ない行動を取れる人なんです

ただし、相手の感情に配慮することはほとんどありません。配慮できないのとあえてしないのと、その両方なんでしょう。
ロザリンの自分に対する気持ちに気づかないなど、かなり鈍感な人ではあるものの、ルドルフの場合は、より大きな目的のためには、相手の感情であれ、自分の感情であれ、感情などという些末なことにはこだわっていられないという「割り切り」を感じるんです

ルドルフが主役の「Die Energie 5.2☆11.8」ではその点がこれでもかというぐらい細かく丁寧に描かれています。
ルドルフの部下にテッドという良識のあるごくまっとうな青年がいるのですが、彼はことごとくルドルフに突っかかります。

もう少し…待てなかったんですか…これではつぶしたも同じだ しかも仮にも公害防止機器のメーカーを…

「Die Energie 5.2☆11.8」

ルドルフの会社が下請けのソレンセンの会社への融資を停止し、債権回収のため、機器類を運び出している中での会話です。テッドはつぶれてしまう会社の従業員を気遣うのですが、これに対してルドルフは「電力会社は公益事業であっても慈善事業じゃない」と答えます

ただ…ボクはあの人の考え方についていけそうもないんです
例えば…以前 地中線工事か何かで作業が遅れていた時…けれどボクは作業員がおかれている条件の悪さを言ったことがあるんです あの人は…同情するのがボクにとって重荷なら同情されるだけですむ職に移れと言いました

「Die Energie 5.2☆11.8」

これはテッドが女性の同僚にルドルフのことを愚痴った時の台詞です。テッドは常に弱者の味方なんです

でも…もし本当に犯人がそれを悪用して住民に被害でもでたなら

「Die Energie 5.2☆11.8」

低濃縮ウランを盗んだ犯人が送ってきた脅迫の手紙を読んだテッドがルドルフに対して投げかけた疑問、これに対してルドルフは「その時は…住民にとっては会社ごとオレ達も盗っ人連中の共犯者だよ!」と答えます

二人の会話はことごとく噛み合いません。でもそれはルドルフがテッドの気持ちがわからないからではなく、テッドの考えていることなんてとっくに承知の上で切り捨てているからです。ルドルフだって心を痛めていないわけじゃないんです。ただ、感情に溺れているだけでは先に進めないとわかっているだけなんです

ルドルフに恋するロザリンとの会話も噛み合いません。ロザリンという女性は、やや幼稚で感情的な人なんですけど、看護師をやっていて、この人も弱者に対する思いやりのある優しい人です。
コーヒーに入れる砂糖の数も覚えてくれないルドルフに「それさえ覚えてくれないのね」と愚痴った後

ごめんなさい!私…ちょっと病院の事でイライラしてて…私達看護婦をパートナーとしてじゃなく 小間使いのように思ってる医者が多いもんだから…

「Die Energie 5.2☆11.8」

と言い訳し、これに対してルドルフは

君もプロならそれを仕事で証明してみせればいいじゃないか そうすれば医者も評価せざるを得なくなるだろう

「Die Energie 5.2☆11.8」

とド正論で返し、さすがにこれは私もロザリンが気の毒になるのですが、その後、ロザリンの勤務する病院に、ルドルフの会社の原発付近に住んでいる少女が白血病で入院してきた話題になって

あなたが肺ガンで死ぬっていうなら私だって何とも思わないわよ!でもあの娘 まだ13歳で

「Die Energie 5.2☆11.8」

とルドルフに怒鳴るのですが

オレに言っても鬱憤晴らしにしかならないぞ それとも君にとってはそれだけで済む程度の問題だってことなのか?わめくだけでいいなら他でやってくれ

「Die Energie 5.2☆11.8」

とこれまたド正論で返されます。まあ、ロザリンはルドルフにかまってもらいたかったらしいので、ここはあまり同情できないのですが、ここでもルドルフが感情を垂れ流すだけの生産性の無い「愚痴」が嫌いだということが伺えます

ルドルフは三原作品には珍しく、生育家庭に問題ナシですから、家族内のごたごたに囚われることもなく、真っすぐに、世の中を良くするための方策に目を向けていて、それが、揚水発電という、原発を少しでも減らすため、電力需要がピークを迎えた時のために、蓄電できる発電所の建設なんですよ。なんというニッチで堅実な方向性!

政治活動にいっちょかみしたダドリーとは違い、確実に自分の出来る範囲でやれそうな仕事を選んでいるんです。無駄に大きな夢なんて抱いてなく、地に足がついてる人なんです。

というか、ルドルフには利己心というものがほとんどないんです。あるのは、より良い「社会」のために自分は何ができるのか?それだけ。
下請けの事情より自分の会社の利益を優先しているのも、別に会社に忠誠心があるわけでも、出世したいからでもなく、ただただ揚水発電を実現したいだけなんでしょう。大きな目的のためなら、何を優先して何を切り捨てるかという自分にとっての優先順位を明確に捉えていて、ためらいなく行動できる人なんです

そういうわけで、やっぱりルドルフは「出来すぎ」なんですよ。こんな人いるわけないじゃんってくらいかっこいい。でもそこがダメというか、そういう相手に心惹かれる自分がイヤというか(笑)
けれど、十代の頃の私にとってルドルフは理想そのものだったわけです。そんなルドルフの恋の相手として、本来描かれるはずだったのが「踊りたいのに」の主人公レベッカです

「踊りたいのに」という短編は、24ページという少ないページ数ながら、レベッカがとても興味深い人格として描かれていて、三原作品に出てくる女性ってどちらかというと面白味のない人が多いんですけど(笑)、この人とジョディ(「ビリーの森ジョディの樹」)は実に魅力的です

「踊りたいのに」のラストページで、彼女はルドルフと出会い、恋に落ち、二人はつき合うようになるのでしょう。ここは「X-Day」のロザリンの、「どうして貴方ってそんなに鈍いの?ルドルフ」「だからレヴィをいつも怒らせるのよ!」という台詞でごく軽く触れられています

三原さんとしては、ルドルフとレベッカの話をもっと描きたかったようですが、あとがきで書かれているように、そっくりのダドリーを二人作ってしまったため、断念したようで、ほんと残念としか言いようがないです。
三原ファンの中でも、ルドルフもレベッカもどっちも大好きなこの私ほど、二人の恋模様が描かれなかったことを惜しんでいる人間もいないのではと思うほどです。
三原さんが書いたプロットかメモが残されていたなら、ぜひ読みたいのですが、なさそうなので(あったら教えてください)、妄想するしかないのです……

「踊りたいのに」

「踊りたいのに」ではレベッカがルドルフに恋するに至った理由が延々と描かれているのですが、それはレベッカが「薄茶色の髪と青い目」の男性にしか惹かれないからという、ただそれだけ。
ルドルフのほうはどうしてレベッカを好きになったかわかりませんが、レベッカは薄茶色の髪で目が青かったルドルフに当然一目で心を奪われたはずです

なんでこんなしょーもないというか不自然な前提を作ったのでしょう?
レベッカが普通にルドルフに恋しちゃいけなかったんでしょうか?

で、レベッカには「薄茶色の髪と青い目」以外の条件で、恋愛相手に求めるものがもう一つありまして……

レベッカがかつてつき合ったアーニー(アーノルド)という男性は、自分の妹の死の当日にレベッカとのデートを選んだことで、レベッカに振られてしまうのです。
妹と言っても、一歳から寝たきりで意識がなく、妹と会話したこともないような状況でしょうし、アーニーがそこまで責められるような話でもないし、レベッカ自身もそこが許せなかったわけではないのですが、ただ、彼女の「理想の相手」となるには、外せないポイントでした
ということで、「薄茶色の髪と青い目」より、これこそが「理想の相手」の本質なのでしょう

レベッカがこだわったことは、理屈ではなく、どこまでも感情の問題です。アーニーと交流もなく、生きていても何も出来ることなんてなかった妹だけど、それでもその妹の死にもっと心を寄せてほしかった、なぜって、そんな妹であっても、彼女は「人間」だから……。
「はみだしっ子」第一話で、誰にも必要とされなくなったおじいさんの凍死に心を向けてしまうのも、ギィに対する殺人を隠蔽し続けたグレアムが最後に告白したのも、同様の理由からで、三原作品に通底する、三原順の「核」とも言える心理です

もちろんルドルフは、そのような状態の妹でも妹の死にひどく心を痛める人でしょうから、その点ではまさにレベッカの理想そのものです。
ただ、ルドルフはそうした自分の感情を表に出すことなく、切り捨ててしまえる人です。死の当日にデートはしないでしょうけど、感情に任せて一日喪に服すなんてこともせず(だってそんなことしても意味ないから)、仕事、あるいは他に有益なことに打ち込むのでしょう

で、ルドルフとレベッカの恋ですが、三原さんがラブラブハッピーエンドな恋物語を描くとも思えないので、当然二人は破局したはずですが、おそらくその原因は「ルドルフが自分の感情を切り捨ててしまう点」にあると思うんです

「X-Day」でロザリンが言うには、ルドルフが鈍感なため「だからレヴィ(レベッカ)をいつも怒らせるのよ!」ということらしいので、ルドルフはレベッカにしょっちゅう怒られていたようですが、私はレベッカはルドルフに呆れて怒っていたわけじゃないと思うんです。それではロザリンと同じレベルになってしまいます

何ヶ月?何年?くらい二人の付き合いが続いたのかはわかりませんが、たびたび怒っていても、別れてないということは、ルドルフはレベッカの理想通りの相手だった、つまり、レベッカはルドルフの心の奥に隠された人間への優しさを見抜いていたはずなんですよ。それこそがレベッカが理想の相手に求めた核心部ですから

「Sons」のウィリアムという人はルドルフとは真逆の人と言っていいくらい、利他心の薄い人(少なくとも本人はそう認識してる)なのですが、他人の感情に付き合わされるのはうんざりだし、自分の感情ですら役に立たないことは切り捨てるという点で、ルドルフとよく似ています。そのウィリアムに対して、元妻マギーは

一人で耐える事を自分に強いている貴方と貴方を支えるどころか自分自身をさえ支えられない私と……それが悲しくて

「Sons」

ちっとも平気じゃないくせに傷ついていないふりして強がるのもやめて!

「Sons」

ごめんなさいウィル…でもお願い!解って頂戴 貴方と違って…何の役にも立たないとわかっている感情でも簡単にはゴミ箱へ放り込めず 掌の中に置いたまま眺め続けずにはいられない人間もいるという事を…

「Sons」

と語るのですが、この感情はまさにレベッカがルドルフに対して抱いたものと同質だ思うんです。
利己心たっぷりのウィリアムですら、元妻マギーの目からはこんな風に見えていたのですから、根が善良なルドルフの苦悩はこんなものでは済まなかったでしょう。
ルドルフは妹の死で嘆き悲しむなんてことに留まらず、もっと先の、もっと高い理想をめざして実際に行動する人です

ルドルフの部下テッドはルドルフのことをただのサイコパスだと思っていたのかもしれません。ロザリンもルドルフのことを他人の感情に鈍く、単に配慮ができない人と思っていたことでしょう。
けれどルドルフを真に理解していた恋人レベッカにとっては、それは彼のうわべに過ぎず、内心では彼が彼の優しさゆえに苦しんでいることもわかっていて、しかもその辛さを誰にも見せないルドルフに対して、たまらない気持ちでいたと思うのです。それが、しばしばレベッカの「怒り」として表出されたのでしょう

レベッカは当初、ぼんやりとした理想の相手をルドルフの中に見出しはしたものの、ルドルフと関わるうちに、ルドルフがルドルフであり続ける事の辛さを理解し、だけど自分にはどうすることもできないという無力感だけが残ったんじゃないかと思います。
レベッカは妹の死を悼むことはできますが、それ以上の何かをするほどの精神は持ち合わせていなかったのでしょう。その点では女性版グレアム(「はみだしっ子」)と言っていいかもしれません。
彼女は、基本、受け身の人なんですよね。だからアーニーが死にかけた猫をなんとかしてくれるまで、怖いからと自分では何も出来ず、ただ黙って見ているしかなかったのでしょう。そして猫を気にかけてくれたアーニーだからこそ、いったんは理想の相手に「かなり近い」と感じて彼に恋したのでしょう

そんなレベッカなので、ルドルフに会うたび、なぜそこまで自分の感情を切り捨て、ルドルフの心が傷だらけになりながらも彼は無理をし続けなければいけないのか?というやりきれない想いと同時に、感情に囚われてしまったテッドと同じで、感情を捨て切れない自分は結局は何もできない人間なのだという事実に心をくじかれ、彼に対する劣等感を深めていったのではないでしょうか。
低濃縮ウランが盗まれたことを知りながら、それが万一の場合、住人にどれだけの被害を与えるかを知りながら、何もなかったようにシレッと黙って仕事を続けるなんてことはレベッカにはとても無理でしょう

心がそう強くはないレベッカはルドルフの同志になることはもちろん、そんなルドルフを黙って見守り続けることすら、耐え難かったと思われます

現実にルドルフみたいな人がいたら、私だって圧倒的な「人間」の差を感じて辛くなるだろうと思うんですよ

ダドリーなんて、麻薬中毒のラズにあんな風に冷たくして結果的に死なせてしまったのに、自分はルドルフに真逆の対応をしてもらったわけで、ルドルフに比べて自分は……と絶望的な気持ちに陥ってもおかしくないのに、よく普通につきあってられるよなー?と不思議なんですが、まあ、だから、ルドルフのいない世界線に飛ばされて、頭のねじも何本かとんで、狼のなれの果てのトマスと友人になったという部分は大きいのでしょう。あっちの世界線ではルドルフは根本的に変質してウィリアムに変化しちゃったのかなとも想像してます

そういうわけで、現実に立ち向かう力もない中途半端な自分の「理想」に嫌気が差したであろうレベッカは、ルドルフと別れた後には、さすがにもう理想の相手という「呪い」からは解放されたんじゃないでしょうか。
ただ、もう二度と恋はできなかったような気もします

おそらくレベッカは現実にルドルフと向き合うことから逃げて、ルドルフの近況を知りたくないからダドリーとの友人関係も解消し、一生ルドルフを自分の心の中だけで安全に愛し続けるのでしょう。そうすれば「もっと穏やかな色や香りや微笑みに憧れている」というレベッカの心が傷つくことはないでしょうから

このあたりのレベッカの葛藤を三原さんの描いた漫画で三原さんの選んだ言葉で、読んでみたかったですね

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