『一度きりの大泉の話』を改めて読み直してみる~その5(完)
まだまだ「5 『悲しみの天使(寄宿舎)』」の話が続きます
これも以前書きましたが、「思い出を切りぬくとき」では200ページぐらいという話だったのに、100枚増えてるんですよ。萩尾さんにしてみれば、可能な限り枚数を多くして伝えたかったという事情があるのでしょう。
実際の出来上がった「トーマの心臓」は450ページほどなので、三分の二は既にストーリーが完成されていたとでも言いたいのでしょうか?
ただ、私個人は、実は萩尾さんは、元々書こうと思っていた「トーマの心臓」から途中で話を大幅に変えてきたんじゃないかと考えています
仮に、300ページの内容がほぼそのまま「トーマの心臓」で描かれていた場合、萩尾さんなら必ずそう主張しただろうと思うのです。それこそが、萩尾さんが一番主張したい内容でしょうから。
ところが、どこにもそんなことは書かれてないし、大泉本で「トーマの心臓」の未発表の原稿が何枚か掲載されてましたが、どれも物語の初めのほうのシーンばかりです。
たとえ、コマ割りとセリフしか描かれてなかったとしても、内容が実際の「トーマの心臓」と同じだったら、萩尾さんは後半のページを大泉本で喜んで掲載したと思うんですよ
じゃあいったいストーリーの何を変えてきたのかというと、鞭を持ったサイフリートというキャラが新たに追加されたのではないか?ということです
ユーリの体の傷も、最初はタバコの火のやけどだけが重大な傷として描かれていて、背中の鞭の傷についての描写はまったくありません
初期にタバコのやけどが描かれていたということは、おそらく、ユーリがリンチされていたことまでは構想通りだったのでしょう。
ここらへんは妄想するしかないのですが、ユーリはタバコの火を押し付けられて神を否定してしまったため、自分には人に愛される資格がないということで、心を閉ざしていたけれど、エーリクに出会い、トーマの愛、神の愛を受け入れるようになった……という流れが当初の構想だったんじゃないかと思うのです
ところが、連載を続けるうちに、だんだんと竹宮さん増山さんへの怒りが増大していって、彼女たちの大切な「少年愛」を傷つけてやりたくなったんだと思います
そこで、新たにサイフリートという鞭打ちキャラを登場させ、ユーリは彼に恋心(性欲含む)を抱いていたということに話を変えたのでしょう。竹宮さん増山さんのお好きな鞭打ちは絶対に外せなかったし、鞭打ちの傷は天使の翼のもげた跡ということにすれば好都合だと考えたのでしょう。
大泉本「17 『ポーの一族』第1巻 1974年」では次のように書かれています
正直、「僕の翼をあげる」のなにがそんなにいいのか私にはわからないのですが(自分のために実際に命まで投げ捨てたトーマの真意をまさかユーリは本気でわかってなかったと?)、萩尾さんは大泉本のこの部分で何を言いたかったかというと、翼エピソードを入れるために、ユーリのポイントとなる体の傷を、やけどの跡から背中の鞭の跡に変更したのだと暗に主張したかったのかなと思います。
つまり、竹宮さんたちへの嫌がらせで、やけどの跡から鞭打ちの傷へと変更したわけじゃないんだ、あくまでストーリー上の都合なんだと大泉本読者に訴えたかったのでしょう。
萩尾さんの竹宮さんへの嫌がらせが、これ一点だけで他に見当たらないというのなら、それも受け入れられたでしょうが、ああも何度も竹宮さんへの執着を見せられては無理ですよ。「残酷な神が支配する」にも鞭を打つグレッグを出してますし、言い訳すればするほど、逆効果としか思えません
では、なぜ連載途中から、竹宮さんたちへの憎悪が増していったか、です。
以前も「『トーマの心臓』連載の言い訳」で書いてますが、萩尾さんは「トーマの心臓」連載開始にあたって、竹宮さん増山さんにかなり気を遣ってるんですよね。
連載直前の別冊少女コミック4月号で「みんなでお茶を」を描いて、竹宮さん増山さんがモデルになったカチュカとリッピをで登場させたり、連載開始直後の別冊少女コミック6月号では「まんがABC」を描いて、竹宮さん増山さんそのものを描いたり、「トーマの心臓」が連載に至ったのは自分が望んだことではないと説明しています。
これは萩尾さん自身「トーマの心臓」を描くことが、相当に疚しかったためと私は考えていて、「『トーマの心臓』連載の言い訳」でもそう書きましたが、この記事を書いているうちに、考えが変わりました。どうやら私は間違っていたようです
「みんなでお茶を」については、疚しかったからではなく、「ロンド・カプリチオーソ」を読んで自分は竹宮さんに許されたようだと考えた萩尾さんが、ロンカプへの返答として、嬉しさのあまり、カチュカとリッピの登場する「みんなでお茶を」を描いたということなのでしょう。だから、タイトルが「みんなでお茶を」なのだと思います
1973 「ロンド・カプリチオーソ」(1974年「週刊少女コミック」13号まで連載)
1974 「みんなでお茶を」(1974年「別冊少女コミック4月号掲載)
1974 「トーマの心臓」 (1974年「週刊少女コミック」19号から連載)
1974 「まんがABC」 (1974年「別冊少女コミック6月号掲載)
時系列で並べるとこのようになるのですが、おそらく、イギリスにいた萩尾さんは、城さんか誰かからロンカプのことを聞いて、帰国(2月頃)後すぐに和解の意をこめて「みんなでお茶を」を描き、これで仲直りできると思ったのでしょう。帰国を決めたのも、ロンカプの内容を聞いていたからでしょうね。
で、ロンカプでは竹宮さんの萩尾さんへの嫉妬が中心に描かれていたので、そういう理由なら「トーマの心臓」を描いても大丈夫だろうと判断したのかもしれません。
ところが、実際に「トーマの心臓」を描いてみると、なぜか増山さんからの手紙はストップしてしまった、ここで、萩尾さんは大変慌てたはずです。
どうやら、「トーマの心臓」が竹宮さんたちを怒らせてしまったらしい、これに気づいた萩尾さんは「まんがABC」で「トーマの心臓」が連載化された経緯、自分がやりたくて連載が始まったわけではないという説明を描いて、竹宮さんに訴えるのですが、時すでに遅し……、「トーマの心臓」に衝撃を受けた竹宮さん増山さんとの復縁はかなわなかった、ということなのでしょう
こう考えると、萩尾さんもちょっと気の毒ではありますね。だって、ロンカプを読んだら、萩尾さんのようなタイプの人は額面通り素直に受け止めてしまうでしょうから。
大泉本を読んで以来、初めて萩尾さんが可哀想だと感じてしまいました
竹宮さんとしては、自分の「嫉妬」ということで、なんとか事態を収めたかった気持ちもわかるし、それを信じた萩尾さんが、迷った末に「トーマの心臓」連載化に踏み切った気持ちもわからなくもないし、「ジル本」でもやはり「嫉妬」を前面に出してきた竹宮さんに対して、そんなの嘘でしょうに!と萩尾さんが腹を立てたのもわかるような気がしてきました
やはり「トーマの心臓」連載が始まってしまったことが、運が悪かったとしか言いようがないのでしょう。
萩尾さんが「トーマの心臓」を描くことがなかったら、竹宮さん増山さん萩尾さんは仲良く三人でお茶を飲む関係に戻っていたんでしょうね
まあ、でも、だからと言って、その後の萩尾さんの数々の行為はやりすぎと言わざるをえませんが……
「20 城章子さん、怒る 1975年」で
と大泉解散について萩尾さんは語っていますが、この記述は時系列的におかしいんです。
なぜなら、萩尾さんの初めての単行本「ポーの一族」が発売されたのは、1974年の5月末で「トーマの心臓」連載開始直後のことになり、大泉解散よりもずっと後のことなんです
じゃあ、なぜ萩尾さんはこんな勘違いをしたのかというと、萩尾さんにとっては、既に、大泉解散より「トーマの心臓」連載が竹宮さんを怒らせてしまったことのほうが心に重くのしかかっていたからでしょう。「ロンド・カプリチオーソ」でいったん自分は許されたことを知っているからです。
「みんなでお茶を」や「まんがABC」で自分も歩み寄りを見せたのになぜ再び拒絶されてしまったのか?ちょうどその頃に、自分の単行本が発売されて売れたからだろうか?と考えたのでしょう
つまり、萩尾さん自身も、本当は「トーマの心臓」連載それ自体、あるいは直後の何かが決定打となってしまったことをわかっていたのでしょう
今まで「一度きりの大泉の話」批判を続けてきて、この記事もいったいいくつまで続くのだろう?と思うほど次から次へ書くことが溢れてきて自分でも驚いていました
けれど、今回限りでこの話題は終わりにしたいと思います。萩尾さんをこれ以上批判したいという気持ちがすっかりなくなってしまったのです
(今まで批判してきた分に後悔はありませんが)
ロンカプの話を聞いて、すぐにイギリスからの帰国を決意した萩尾さん、長い間の胸のつかえが取れ、いそいそと「みんなでお茶を」を描いた萩尾さん、何度も何度も竹宮さん増山さんと再び「みんなでお茶を」飲むことを夢みていた萩尾さん、「トーマの心臓」連載が始まった後、おそらく編集に無理を言って「まんがABC」を描かせてもらい、トーマが連載に至った事情を必死に訴えた萩尾さん。
以上は完全に推測に過ぎないのですが、そんな萩尾さんの姿を想像すると涙が止まらなくなりました
この推測が正しいのなら、この経緯を正直に大泉本で打ち明けていれば、私も多くの読者も大泉本に対してここまで批判的になることはなかったでしょうに。それは萩尾さんのプライドが許さなかったのでしょうか。それとも、自分を傷つける「事実」はたとえ事実であっても、認めることができないという萩尾さん特有の心理が働いた結果なのでしょうか
けれど、萩尾さんが正直に書かなかったからこそ、その「痛み」の大きさが、今になって、私の心を大きく揺さぶらずにはいられなかったわけで……
嘘だらけ、言い訳だらけの大泉本ではありますが、萩尾さんという人はこんな風にしか生きられない人なんだなと、改めて感じてしまいました