赤い晩秋へ向かってー敬老の日

終わり良ければすべてよし。
敬老の日がくる。

自分の老いを肯定し、老い流されるのが
晩年だ。ゆったりと湯に浸かり、目をつむる。

このやすらぎの中、何も考えず、すごせたら、

だが、のぼせてしまい、現実にもどされた。
私は、まだ、晩年にはいたっていないのだ。
もう少し、ぬるければ入っていられるのに、

往生は他力、思いどおりにはいかない。


これから先、晩年になるまでは、、
立派に、まっとうすべく、いま少し、
もがいてみたい。完成度をあげてみたい。

青春だけが華やぐのではない

青春にすべてをかける生き方が
過去にはあった。
しかし、
これからの晩年手前には、現実の課題が
待ち受ける。夕陽があかあかと燃えて
かまどの火が焚きつける。

さあ、晩秋の日々をどういきてゆくのか、
輝かしいものにするには、どう活きたら
いいのか



敬われなくてもいい。老いなくてもいい、
人生は長い。
まだまだ、生きていかなければならない。

必ず、いいことがある、は気休めだが
つかのまでも気が休まれば、上出来だ。
そう思えるのは高齢になったからである。

これからも、知らないいいことに、
たくさんの、出会いがあるだろう。

、、




来世は極楽浄土と知り、明るくなったが、
現世の終わりも、赤く輝いてと期待する。


[ 参考文献]
70歳、これからは湯豆腐ー太田和彦著
晩年の美学を求めてー曽野綾子著