老年者のすすむ道ー気族さがして、仲良し個よし


家族、親せきは減るばかり、     エッセイ
ひとり暮らしに耐えるには、強靭な精神力が
いるのかと思いきや、らくらくとすごす、
おばあさんが少なくない。

   「ちっともさみしくないわょ」
.
仲良しがそばにいるからだ。

どうしたら、さみしさからのがれることが
できるのか、との気使いは無用とみる。

そんな折り、nOteの存在を知り、記事
を読むにつれ、ますます余計な心配である
こと知る。

たくさんの良き人々がうちとけて、本音を出し
てこころが温まること、しばしばである。

夫、しゅうとめへの気苦労から開放され、
それどころか、立場を逆転し、自由を
満喫している人は多いと見る。

    「こんないいこと続くわけないわょね」

御婦人4人が、お気楽にケーキセットを
食べながら、談笑していた鎌倉の喫茶店を、
今でも鮮明におもいだす。

私にとっては、これは事件だった。
       こんな事が許されるのだろうか?
     同時刻、だんなは会社で四苦八苦のはず

あれから四十年、どうしてどうして、
一過性のことではなかった平和。
家族に変わって気の合う「気族」キゾクと
一緒にすごすのは、当たり前になっていた。

きぞく、、いいひびきじゃないですか

窮屈な家にしばられるのではなく、気の広い
空間のなかで楽に息をしてくらすのです。

仲良しをより強固にした気族と
いっしょならさびしさがとぶでしょう。

ある時はひとりで、ある時は気族と
好みのチョイスで、くらしを謳歌。

明るく、陽気に、いきましょう。は
願望ではなく、今日も見かけた喫茶店の
現実描写になっているのでありました。

これでいいのでしょうか、、、

そういけば、コレデイイノダ。と
肯定する人が昭和にいたっけな。





ー補足ー
ぴろきによれば、
「いきましよう」は、数とおりあって、

生きましょう
活きましょう
行きましょう
があり、
ときどきで、使い分けたら一興ですね。

病が気になっていれば、生きているだけで感謝。
生きているのが当たり前の人は、アクティブを
意識して、活動を模索。

さて、どこへ行きましょうか、、








気族は、大原吉人の造語です。
どうぞ、お使いください。
心があたたまります。幸あれ!

もし、気族を思い、唾液が湧きでるの
を自覚できれば、飲み込んで、
心の滋養飲料にいたしましょう。