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激動介護~人生半分引きこもり~5



 ミーティングと家屋調査で母の腰痛は何日も続いた。


 そういう私も熱っぽくなり、翌週寝込んだが、休んだおかげで体が楽になった。新しい掃除機は軽く、クッションフロアも届いた。


 区役所の通知も。


「要介護5だって」

 父は最も介護が必要だとみなされた。



「火の用心‼」


 今年も十日を切り、私は初めて自治会の夜回りに参加した。

 実は月一の掃除も母の怪我ででるようになり、ご近所との会話も多少増えていた。


「配達料に現金で七百円いただきます」

 正月休みのおかげか、区のオムツは申し込んだらすぐにきた。紙オムツと尿パッドが二パックで、巨大な段ボールに入っていた。

 配るのも大変だろうし段ボールを畳むのも手間で、老老介護のお宅は大丈夫かと思う。


「百均の蓋付きバケツは小さいし、プラスチックは臭いがもれる。新聞紙にくるむとかさばるし臭いを防ぐのは高い。なんども捨てるのも面倒だし」

 オムツは捨てるのも大変だ。

 私は母を相手に悩み、処理をノートパソコンで検索した。
 赤ちゃんのオムツ画像が山ほどでてきた。


(かわいい)



 シュトレーンはおくるみを模しているという。

 姉はイブに、地元のパン屋の豪華なシュトレーンを贈ってくれた。入浴剤に紙パックのコーヒーもたくさん入っていた。

 私は百均でアニメのコラボ缶コーヒーを買い病院に持っていった。

「これ人気ですよね」

 看護助手さんが微笑む。

「飲めなくてもいいので、ちょっと見せてあげてください。テレビでも宣伝しているでしょうから、父も知っているかもしれません。『ああこれか』と思ってくれたらいいかなって」


 ボケ防止に。


 私は看護助士さんに缶コーヒーを託した。



 クリスマスも終わり、年末モードも大詰めで、私は一人で介助訓練にでかけた。父は漏斗巻きになったようで看護師さんは極意を教えてくれた。

「ここにちょっと穴を空けて、通してから筒にすると外れにくいです」

(考えた人すごい)

 いまこの瞬間も、様々な現場で尿パッドの縁を破るみたいな工夫が生まれているのだろう。


 指導のおかげがオムツ替えの実地はすんなり終わり、私は帰りに汚れ物を受けとった。


 洗濯物は三袋あった。

 重い。

 家の空気をいれかえつつベランダに干す。

 寒い。

 竿も一杯だ。

 差し入れは三十日までで新年は二日からだ。

 父は年末年始とお腹をこわし、私と母は洗濯に追われた。



 大晦日、風呂と天ざるの夕食を終えた私は、録画しておいた紅白をつけた。
 

 十年ほど前から日本のテレビは見なくなった。

 もう人の顔がだめで、特に日本人が無理。綺麗な女優さんでもこっちを向くとぞっとした。

 部屋に引っこんでいれば見なくてすむが、わが家は食事時にテレビをつけるので楽しいはずの時間は最悪になった。

 私はチャンネル権を行使し、人のいない旅番組や時代劇、洋物のドラマや映画にした。〈昔〉と〈外国〉は私的異世界なのでわりと平気だった。


 でも私の大晦日は紅白だったのだ。

 こたつでパジャマで歌合戦を観戦し、ゆく年くる年をながめて布団に入る。今年はそれをとりもどそうとしていた。

 そうした気合もなしに五分遅れの紅白をながめた。


 外に出ると人の顔も少しずつ慣れた。最近は母がつけた日本のドラマをながめることもある。十年前に見かけた役者さんが現役だと嬉しくなった。


 久しぶりの紅白はネットで見知った売れっ子がたくさんいた。

 彼らの多くは中傷もされていて、(これが噂の)と色眼鏡でながめたが、なにかもうきらきらしていて血行がよくなった。


 いつのまにか泣いていた。

 ここまできた。

 綺麗なものはたくさんある。

 私は音楽の力に号泣し、日付が変わる直前、ゆく年くる年に切り替えた。

「なんか違う」

 にぎやかなショウから一転、夜の静寂と鐘の音が私の見たい〈ゆく年〉で、しんとした空気と初詣のひそやかな賑わいも風情がある。


 今年はどちらもなく消化不良で録画の紅白にもどる。

 また泣いて、心地よい疲労に布団に入った。



【お父さん、あけましておめでとうございます。

 今日は一月二日土曜日です。

 看護師さんから、お腹の調子が悪いと聞きました。

 大丈夫?
 もうすぐ退院ですのでお大事にしてください】



 初売りのデパートで食べ物の福袋に悩むのが、私の最近の新年のお楽しみだ。今年はデパートのかわりに病院へ散歩して、染みのついた洗濯物を受けとった。


 松も明け、明日はレンタル品がやってくる。

 私は父のすのこベッドを移動して、畳にクッションフロアを敷いた。

 大きくて重いのでてこずったが綺麗に敷けた。ピンクベージュのフローリング模様が清々しい。


 翌日、福祉用具屋さんは二人組でやってきて、ベッドとベッドテーブル、ポータブルトイレを運び入れた。


 車椅子は病院に配達ずみで、不要のベッドとぶ厚い折り畳みマットレスも回収し、父の部屋はあっというまに病人仕様になった。


 私は福祉用具屋さんにマットレスを敷いたベッドを示した。

「これに電気毛布とシーツでいいんですか?」

「ベットパットがあるといいですね」

 うちはベッドもマットレスに敷布団の布団方式だったので、ベッドパッドの発想がなかった。でも私の心配はベッドではなかった。

「ポータブルトイレは、なにかいい使い方はありますか?」

「バケツに水を張るといいですよ」



 午後は一人で病院に向かった。

 これまでのおさらいをした後、カンファレンスが開かれた。

 前回のメンバーにケアマネさんと訪問診療の看護師さんもいて、私は汗だくで自分の大変さを語り、先生に父の睡眠薬を頼んだ。

 この後は薬の説明と食事の指導があるそうで、ケアマネさんが感心した。

「ずいぶん手厚いですね」

 薬剤師さんと栄養士さんは熱心で、父の食事メニューを知りたいといったらメニュー表のコピーをくれて、栄養学の雑誌ももたせてくれた。

 手間暇を割いてもらえるのは贅沢だと思う。

 だけど私は座り疲れ、お腹が気になり、せっかくの内容も頭に入らない。
 日が暮れて、家に帰ると夕飯も風呂ができていた。

 ありがたい。

 でも神経が張りつめていて寝つきが悪い。

『水を張るといいですよ』

 水で守れるのはバケツだけだ。

 スマホで買い物もできるのにバケツに水。
 老舗のトイレメーカーはポータブルトイレの水洗をつくったが、五十万円で発売は来月だ。

 介護とは下の世話なのだろう。

 私はまだ受け入れられずにいて、ポータブルトイレになにかすることで自分を守ろうとしていた。



「あれ?」

 週末、ポータブルトイレを確認すると手もたれが動かなかった。

 介助訓練で、車椅子やポータブルトイレは手もたれを上げると移動しやすいと教わっていた。

 カタログには上がるとあるが、そもそも商品がちがっていた。

(間違えたんだ‼)

 私はあわてて福祉用具屋さんに電話した。

「介護保険を使うので、注文は退院後になるんです」

 それで間に合わせにポータブルトイレを貸してくれたのだった。

「そうでした……」
「昨日、いっておくべきでしたね」
「すみませんでした」

 なぜ彼らは客を自分と同レベルだと思うのだろう。

 幼稚園児だと思ってほしい。
 そうすれば週末は平和ですから。

 とはいえず、私はこたつに寝ころんだ。

〈普通〉の人と接触するほど、自分の足りてなさを実感する。

 仕事や結婚とは他人と付き合うことで、彼らは自然と自制心を学ぶのだろう。私は親と暮らすだけだったので、そのへんが非常に甘い。

(年をとれば大人になると思っていたのに)

 ならないことにびっくりだ。

 しかし体は老けていて、腰は痛いし膝はみしみしいう。

 白髪も増えたし風呂の蓋は重い。

 あのトイレはもっと重いだろう。

(ビニールトイレにすればよかった)

 でもひと月三千円。
 と、ここではっとした。

 バケツに普通のビニール袋をかぶせればいい。

 トイレットペーパーも敷き、用を足したら紙ごと便器に空け、ビニール袋は捨てるのだ。

「なんだ」

 思いつかなかったことに驚く。

(まあいい)

 私は身軽に起きあがり、ポータブルトイレのバケツにレジ袋をはめた。

 丁度いい。

 念のため二重にしてトイレットペーパーもほうり込む。

(全部包めば拭かなくていいんじゃない?)

 大きなごみ袋で本体や便座を包んだが、これはイマイチ。

「ラップがいる」

 ぴったりくっつく安いやつが。

 ベットパッドと防水シーツも買ってない。私と母は自転車をこいだ。



 スカイツリーの足元には大きな生活用品店がある。

 私たちは目移りを楽しみつつ、ベットパットや防水シーツ、貼り付ける便座カバーにキッチン用品を買った。

 もう登るのはどうでもよくなっていたが、スカイツリーは巨大な商業施設なので、いつきても華やぎに感心する。

 歩道のタイルやアスファルトもなめらかで自転車が走りやすい。

 ワンブロック離れると都会感は消え、マンションと小さなビルの街になり、大通りをはなれると戸建ての密集する住宅街になる。

 去年から玄関の段差が気になるようになった。

 足腰が弱くなっても歩行自体は歩行器、電動車椅子や電動バイクでなんとかなる。

 ならないのは上下運動で、立ちあがりと座り、乗り降り、段差が難所になる。

 父はそれで外出と社交が減って元気がなくなったし、祖母は前の家で、玄関で転んで入院した。

 家族が支えればよかったかもしれない。

 でも私は父から頼まれたとき文句をいった。

 反省しているが気持ちで体力は増えない。


 高齢化社会で家族が介護をつづけるには建築や機械の補助がいると思うのだ。

 大きな建物はバリアフリーが増えているが、個人住宅はスペースの問題か玄関前にはミニ階段がお約束で、建築中のお宅があるといらぬ心配をしてしまう。

『玄関の段差は将来の難関ですよ。私の祖母はそれで入院しました』

 いわないけど。

 祖母は施設で死んだ。



 父の退院まで三日となった。

 ポータブルトイレはラップで包まれ、脇の小棚には、お尻拭きなどを収めたオムツ替えセットやこまごまとしたものを入れた。

 ドラックストアで臭わないビニール袋も買ってきた。

「これをバケツにするの」

 私は母にB5サイズの白いビニール袋をひろげた。

「使用済みオムツはまず薄いビニール袋に入れて、それからこの袋に入れて口をねじってトイレに置いて、捨てるときに外側を外す。評判通りなら臭わないし、汚れたら捨てられるでしょ」

 極力洗わぬ。

 私は使い捨てにめざめた。

 時代と逆行していたが買い物とはごみ捨てだ。

「お父さんの部屋は雑巾はなしで、汚れたらスプレー洗剤とティッシュで拭いてどんどん捨てる。慣れるまではひたすら楽して、デイサービスまで頑張ろう!」



【お父さんこんにちは 今日は一月十一日月曜日です。

 明日はいよいよ退院ですね。
 天気が心配ですが、車椅子で帰る予定でいます。
 お母さんは家で待っています。
 では明日】



「年末から下痢止めを飲んでいますが、昨日からでてないのかな? 今日もないようなら下痢止めは中止して、明日もなかったら、この整腸剤を飲ませてください」

 私は病室で、看護師さんから頓服の説明をうけた。

 薬は飲み薬、塗り薬、目薬、湿布で父の身支度はすんでいた。

「お世話になりました」

 外はかすかに雪が降っていた。

 私は着ぶくれして暑そうな父に、ひざ掛けとぶ厚いポンチョをかぶせて車椅子を押した。

「寒くない?」

「あぶぐだい」

「お母さんはお昼の用意をしてる。ベッドも凄いのがきたよ」

 緊張しているのか、父はくぐもった声でうんうんと応える。先月、落ち葉がすごかった公園は裸の木々が寒そうだ。

「おかえりー」

 母が笑顔で出迎えた。

 手の消毒にうがい。
 荷物を下ろしてタイヤを拭いて。
 落ちつくと父は神妙にいった。


「うあぐはなぜまぜんが、よおじくおねがいじます」
 うまく話せませんがよろしくお願いします。

「こちらこそお願いします」

 私たちは笑った。



 きっとうまくいく。

 私は明るい気持ちになっていた。

 始まってしまえば動きだすし、ずっと三人で暮らしてきたのだ。父はベッドでうとうとしている。
 私は安心した。

 昼食はおじやだ。

 父の食事は朝はベッドで、昼と夜は台所で食べてもらう。私はベッドテーブルと車椅子の父を台所に運び、母が父に紙エプロンをかぶせた。

「おいじいえー」

 父は大きな椀に顔をよせ、八割を自力で食べた。

 薬は朝、昼、午後三時、夜、寝る前でスプーンにのせて飲ませる。

「はい、あーん」



 初のオムツ替えは食後になった。

 私は割烹着を羽織り、マスクとビニール手袋を装着し、ベッドテーブルにオムツとパット、オムツ替えセットを並べて母を呼んだ。

「まず、あ、これか」

 屈まなくてすむようにリモコンでベッドを高くする。

「お父さん、ズボン下ろすねー」

 なにかするごとに声をかけるとよいと姉から教わっていた。

 百均の手袋がぶかぶかしてやりにくい。

「外しまーす」

 オムツの両脇のテープを外すと 逆三角形の尿パッドがくたりとひらいた。

 内側が薄い黄色で股間はしっとり濡れている。

「ビニールとってくれる?」

 私は小物入れに顎をふり、母は薄いビニール袋を手渡した。
 
 尿パッドはずしりと重く、下のオムツにも染みていた。

「こっちも替えないと」

 私は尿パッドをビニール袋に入れて口を縛り、ふと思う。

(これどうするの?)

 手袋にはたぶん尿がついていて、ビニール袋の外側も汚れただろう。看護師さんはささっとパッドを丸めていたが、その後どうしただろう。

(ベッドに置いた?)

 ような気がする。

 でもビニール袋は尿で汚染されていて、ベッドに置くとシーツも汚れる。私は母にいった。

「ビニール袋とって。そっちじゃなくてスーパーの」

 正確にはアマゾンのだが、母は白いレジ袋を広げた。

「口を折って」

 口のところを折り返してもらい尿パッドの袋を入れ、シーツに置く。

「え~と、じゃあ、オムツも取り替えるね」

 私は股間にはさまったオムツを引っぱった。

 父が気持ち腰を浮かすがズボンが邪魔で足が開かない。

「脱がせちゃったら」母。

「そうだね。お父さん、全部脱ごうか」

 一旦オムツのテープをとめてはっとする。

「これだめだ」

 私は手袋を取り替えた。
 母はズボンを下ろそうとして靴下に引っかかっていた。

「全部脱がさないとだめね」
「こっちやるから」

 母と片足ずつ脱がせる。

「できた」

 ベッドにオムツの父が寝ていた。

 割烹着にマスク手袋の私とエプロンの母が見下ろしている。

 父ははじめ目を閉じていたが、段取りの悪さに時々目を開けた。

 私も最初は気まずかったが、もうどうでもよくなっていた。

「オムツ」

 外科医よろしく私が手をさしだし、母はその手にオムツを乗せた。

「じゃないわ」

 まず汚れたオムツを外すのだ。
 私は新品オムツを布団にのせ、父の股間のオムツの前面を引っぱった。


「あ、ちがうわ」

 たしか横を向かせるのだ。

「ごめん、お父さんあっち向いて。壁のほう」

 私はオムツを父の股の間に押しみ、壁際に向こうとする父の背中とお尻を押した。

 重い。もっと思いきり押さないと。
 私は父の部屋着と腿をつかんだ。

「いくよー、はい‼」

 父が壁を向いた。私は父のお尻からオムツを抜きとり、母が新しいオムツをシーツに敷いた。

「もどすよ。はーい!」

 父はあおむけに戻った。

「なんか下すぎない?」

 オムツはだいぶずれていた。

「ごめん、もう一回」

 私は父の背中をつかんだ。

「いくよー、ごろーん‼」

 父は転がった。
 オムツをお尻にあてようとするが体が重い。

「お父さん、あっち向いてて!」

 父が壁側の手すりを掴み、母が父の腿と背中をささえる。

「頑張って‼」

 私はオムツの縁を腰のくぼみに合わせ、オムツに印刷された中心線と背骨のラインを重ねた。

「いいよ、ごろーん‼」

 父が寝た。
 位置はいい。仕舞う前にやることが。

「お尻拭き」

 私がいって母がお尻拭きを抜いてさしだす。

 私は拭いた。
 父が身を震わせる。

「ざぶいよ!」
「ごめんね、すぐすむから」

 なだめつつ太ももと股間を拭く。

 そして漏斗巻きだ。

 やり方は尿パッドを横にして男根を逆三角に包みこむ。
 でも包むだけだと外れるので。

「ここをちょっと破って穴を空けるの」

 私は母に尿パッドの縁を破ってみせた。

 穴に通してから包むと手を放した途端、パッドが広がった。

「私がパッドを押さえるから、お母さんオムツかぶせてくれる?」

 テープを留めるのもまかせるが、かなりずれていた。

「中心の線はおへそに合わせて、左右の線はおなじところでとめるんだよ」
 私は母に、看護師さんに教わったことを説明した。

 正しく履けないと洩れるのでオムツには目安の線が印刷されている。テープを留める場所には三本の線があり左右対称にしやすくなっていた。

「ホントよくできてる」

 これも現場から生まれた知恵にちがいない。

「ばだ?」

 父がイラっと目を開けた。

「ごめん、すぐすむから」
「お父さん動かないで!」

 私と母は動く父を抑えつつ、オムツのテープを留め直した。
 股引とズボンを足首に通すと父は寝ていた。

 腰まで上げるには父を横にむかせないと。
 私と母は父の体をがっしとつかんだ。

「はい、ごろーん‼」


「慣れればなんとかなりそうだねー」

 私は気楽そうにいって息をはいた。

 父は寝ていた。

 夜を考えれば起こすべきだが、午後はケアマネさんのミーティングとデイサービスの面接、訪問診療と盛りだくさんで、私はパジャマに着替えて布団に入った。

 途端、ジリリリ、キーンとベルやテレビの砂嵐のような音がした。

 私に静寂はない。

 睡眠や休息は闘いで、歯を食いしばってリラックスする。
 音は疲れているときほど大きくて呼吸は速くなった。

(くそっ‼)

 怒るのは怖いからだ。

 最近は頭が痛くなるほどの音量はめったにないが、寝る前はイヤホンできく音楽ほど大きくて両耳がヒリヒリしてくる。

 当然、寝つきは悪くて徹夜も多く、日付が変わる頃に眠れれば上等だった。

(だいじょうぶ。だいじょうぶ)

 浅い呼吸で怖れるのは、ズキンズキンと頭を締め付けられ〈発作的な逃亡〉を遠く望む場所だ。

 行ったことはないけれど帰り道はないと思う。

 私は涙目で唇をかみしめた。

(なんで生まれたんだろう)



『うるさいんだよぉ‼』

 二年前は壁にごみ箱を投げつけた。

 母を見送り、二度寝をしようというときで木目調のプラスチックは意外に硬く、跳ねて床に転がった。

『うわぁ――――――――――‼』

 私はごみ箱で何度も床を殴った。

 ごみ箱は縁が欠け、軽くひびが入っただけでフローリングの床はえぐれた。

(なんでよ)

 私は壊れているのに小さなごみ箱一つ壊せない。

 激怒の反動で体力が尽き、カーテンの外では一日が始まっていた。

 母は後日気がついた。

『あら、これどうしたの?』
『メガネしてなくて踏んづけた』
『テープなんて張らないで、新しいの買いなさい』
『気にいったのがあったらそのうちね』

 私の茶碗も湯呑も欠けていた。

 父が力まかせに洗うからだと思っている。

 握力が減った手でちょうどよく動くのは難しいようで、私が茶碗や湯呑を新しくすると、いつのまにか縁がぽちりとほくろみたいに消えた。

 父は以前、ごみ捨てもしていたが屈むのが難しくなり引退した。

 重い鍋が持てなくなり、洗い残しも増えていき、流しに立つのがしんどくなっても皿は洗った。



(寝る)

 私は鼻から息を吸った。

 吐いて吸って深呼吸。
 くりかえすと体の力が抜けてゆく。

(寝る、寝る、眠る、眠れる)

 上手くいくととろんとする。
 耳鳴りはきこえるが、耳から上を切りはなす感じでリラックス。

 できることもある。

(だめだ)

 私はあきらめた。
 耳鳴りからは逃げられず、私はスマホに逃れた。

「おあーあん‼ じょっと‼」

 父は十分で声をあげ、私はフリースを羽織った。

 父はベッドの柵に身をのりだしていた。

(これか)

 落下の原因だろう。

「お父さん、危ないって」

 止めても父は妙に必死な様子で車椅子に手をのばす。

(なに?)

「おいいあいあいんだよ」
「お尻?」

 父は引っ越す前にお尻に床ずれができていて、高座椅子やベッドで痛そうにしていた。

(それでか)

 私はほっとしてベッドの柵を開けて固定した。

 柵はベッドの上半分についている。

 介助バーと呼ばれるL字柵で、端がスイングドアのように動いた。私は父の上体を起こして考えた。

(この後はなんだっけ?)

 習ったことが思いだせない。
 父は柵にしがみついて足を降ろそうとする。

「そっか」

 私は父の両足を抱えて手伝った。
 途端、父がのけぞる。

「はっ」

 慌てて胸倉をつかむと首がゆらん。
 すばやく後頭部をおさえる。

「あぶない」

 自分が。

 どきどきしながらベッドに座る父から手をはなし、車椅子を父の斜め向かい置いた。

「えっと」

 父が右手をのばした。

「そうか」

 右の手もたれをはね上げて、左の手もたれに父の左手を置く。抱きしめるように上体を抱え、右手で背中からズボンの腰ゴムをつかんだ。

「いくよ。せーの!」
「ぜーど!」

 父もふんばり、私は踵をまわして車椅子に降ろした。

 前すぎた。
 車椅子の背後にまわって背中に手を入れる。

「せーの」

 腰ゴムをつかんで持ちあげ後ろに引く。
 右の手もたれを下ろすとかちゃりと音がした。

「ふー」

 私は息を吐き、父はベッドに手をのばした。



「全然大人しく座ってくれないんですよ」

 午後、私はこたつでケアマネさんに私はぼやいた。

 父は座らせるとベッドにいきたがり、寝かせると車椅子に手をのばした。

 料理番組をみせるとうたた寝をしたが、起きるとまだ移動したがり、私と母は父の気にいるチャンネルを探した。

「もどってきたばかりで落ちつかないんでしょうね」

 というケアマネさんの隣には、デイサービスのスタッフさんがいた。
 母は私の部屋で休んでいた。

「車椅子の送迎は一度に二台が限界で、何度も往復しています」

 スタッフさんがいった。手が足りないので父の送迎は週に二日で、リフトを使った入浴は土曜日だけになるという。

(週一か)

 私はがっかりしながら書類にサインをした。父が不便でも多少お金がかかっても、まず私と母がこの生活に慣れること。

 でないと介護は成り立たない。

 理想はどうあれ、生活をまわす〈強い〉方を優先するしかなかった。


 訪問診療は夕食前になった。

 医師と看護師の二人組で、先生は父の体調と退院証明書や薬を確認し、看護師さんは保湿クリームを父の足に丁寧にぬった。

「乾燥していてかゆいと思います。まめに保湿してあげてくださいね」

 看護師さんがいうには、訪問診療は二十四時間対応でヘルパーの派遣もできるし、深刻な事態の場合は提携病院で診てもらえるという。

「提携の病院は個室料がかかりませんので」

 それはいい。
 私と母は頭にメモった。

 カンファレンスでもきいたような気がするが、改めていってくれるのはありがたい。


 夕食は父の好物の茶碗蒸しで、母は具を細かく刻んでいた。
 父は大喜びで二つ食べ、柔らかめのご飯もお代わりをせがんだ。

「さいごうだおー」

 食後は姉とのビデオ電話で相好を崩した。
 歯みがきはまず父にさせて私が仕上げる。

「はい、ぶくぶくぺー」

 三日月形の桶は〈うがい受け〉というらしい。

 父の口を拭いて桶やコップ、歯ブラシを洗い、母とオムツを替えて、ベッドと車椅子を往復させると午後九時だ。

 普段なら布団に入ろうかという時刻で私は風呂もまだだった。

 父はいっそう落ち着かなくなっていて、しきりと移動をせがんだ。

「ちょっとお父さん、私、お風呂もまだなんだけど」

「いっでおい」
 いってこい。

 父は風呂場に顎をしゃくった。
 話せば通じるし物分かりもいいがすぐ忘れる。

「ここで見てるから、お風呂入ってきて」

 パジャマの母がキャスター椅子を父の部屋に運んでいった。

 ありがたいが母も疲れているはずで、私は居間の布団から父を気にしていてと頼み、父にも念をおした。

「じゃあ、いってくるから、お父さんはベッドにいてね」

(これは、大変だわ)

 湯船で息をはく。
 かすかに両親の声が聞こえていた。


『おとうさん、またきてね』

 幼い私は仕事に出かける父にいったそうだ。

 父はわが家のトラブルメーカーで、私は母の、父相手の大声に敏感になった。

 お風呂を早々にあがると母はベッド脇の車椅子にいて、父に声をかけていた。

「上手上手、もうちょっと。お父さん頑張れ」

 父はまっ赤な顔で柵にとりついてはマットレスにずり落ち、しながら、私に手を貸してと訴える。

 居間で寝ていたはずの母は驚くべきことをいった。

「うるさいから見にいったら、お父さんベッドに座ってたの。寝かせても起きるから応援してた。リハビリになっているといいけど」

 父が応援されていると思うかは微妙だが、母は自分の腰を守れていた。ただ柵はベッドの上半分までで、夜に落ちでもしたら大変だ。

「そうだ」

 私は母を寝床に帰し、〈落ちつかないとき〉用の薬を父に飲ませた。それからトイレをすすめる。

「いい」

 何度すすめても父はポータブルトイレを嫌がった。

 最初は抵抗があるだろう。
 私もお風呂上がりの介助は避けたいし、くたくたなので横になりたかった。

 父はベッドから車椅子に手をのばす。
「もー」
 私は濡髪で車椅子に腰かけた。

「お父さん、病院はどうだった?」

 下手なおしゃべりをはじめると、楽しい話題じゃないようで父はじきにとろんとした。

「じゃあ、寝ようか」
「でよう」

 父はうなずいた。
 私はストーブと電気を消して襖をしめた。

(お母さん、寝るよ)

 居間の母にささやき、睡眠薬を飲んで自分の布団に入る。髪の奥が湿っていて耳鳴りがうるさい。

(寝る! 寝る! うるさい、寝る!)

 私は断固と深呼吸をした。
 体が重い。
 もう、少しす、れば。


「おおお~~~~~」


 父が叫んでいた。



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