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激動介護~人生半分引きこもり~7


「こんな時間にすみませんでした」

 私と母は彼らに詫びた。

「コロナじゃなかったらね。大変でしょうが、無理をしないで休んでください」

 救急隊員たちは去り、父はベッドにもどっても大人しかった。私はパジャマとフリース、暖パンで車椅子に腰かけた。

「お母さんは寝て。大丈夫。明日はお姉ちゃんもきてくれるから」

 笑っていたが虚ろだった。

 父は起きあがり、私はコーヒーを淹れた。

「イタリアンローストだよ」

 険しい顔でコーヒーをすする父に涙がでた。

 すると父は私の膝に手をおいた。
 かぼそい動きは大丈夫、大丈夫、とでもいうようだ。

「そうだね、ありがとね」

 一番つらいのは父なのだ。わかっているけど。

「うまく、できなくて、ごめんね」

 私は泣きだした。


『お母さんを頼んだよ。お前とお母さんが無事なら、お父さんはどうでもいいんだから』

『わかった』


 私は父を拒否するべきだった。

 しなければ私と母が大変になる。
 わかっていて断れなかった。

 親は大事にするべきという常識と、保護者を失くすのが怖かった。

 私はいつも格好つけて失敗する。

〈いじめで体調をくずして働けない〉

〈介護はしたくない〉

 じゃあどうするか。

 そこから始めなければ進めないのに、弱い自分を隠して折れた。
 三十年前からちっとも変わっていなかった。

 情けなさに泣く私に父がベッドから身をのりだした。

「おどうだんだで」


 お父さんはね、なんでもいいんだから。
 もういい年だし、こんなになっちゃったし。

 お前たちが無事なら、どうだっていいんだよ。

 気にすることないよ。
 ほんとだよ。


 父は不自由な体でおどけるように語った。

 父の瞳は力強く光っていて、皺だらけの顔にはかつての表情が浮かんでいた。

「あり、がと」

 私は泣きながらうなずいた。

「こんだかだだになっだって」

 父は苦笑で心境を語った。

 体が動かなくて、まあ大変。
 そんな風で他人事のように明るい口調だ。

「かみさまのずるごどだから、しょうがないけど、やんだっちゃうよでえ」

〈つらい〉のいい方もそれぞれだ。

「ちゃんとできなくて、ごめんね」

 私もなんとか微笑んだ。
 父は笑顔で首をふり、疲れたようにベッドに沈む。私は慌てて寝かせ布団をかけた。

「ねようが」

 父は穏やかに微笑んだ。
 私もそうした。

「お休みなさい」

「おあすみ」



 元気な頃、父はたまに料理をした。

 得意は大きなハンバーグで裏が焦げていた。
 ソースはケチャップと中農ソースで、こってりしょっぱくて美味しかった。

 問題は山ほど起こしたが子供には我慢強くて、父に怒られたことはほとんどない。

『おかえり』
『気をつけるんだよ』

 私は布団に入っても泣いていた。
 頭がぼんやりしてきて眠くなった。

(寝よう。寝れば、なんとかなる)

 鼻をかんで目を閉じる。
 耳鳴りがきついが眠気が上まわった。


(おとうさん、ご)


 父のいいところは、ちゃんと嫌わせてくれるところだ。

「黙って寝てよ」

 先ほどの慈愛はどこへやら、父は血走った目で車椅子をもとめた。

「だめだって」

「どいれ‼」

「ええっ⁉」

 そう。
 父は本当に急いでいた。

「はやくいってよ‼」

 ポータブルトイレはベッドの足元、押入れとの間に置いてある。

 後ろ脚にキャスターがついていて、かたむけると運べる。

(おもっ‼)

 車輪が小さい上、クッションフロアが滑りにくい。

「あやぐじろ‼」

 また父が家のトイレにいきたがる。

「そっちは入れないの‼」
「いいがら‼」

 私はポータブルトイレを抱えて移動し、父を無理やり座らせた。

 ズボンもオムツもしたままだ。

(なにこれ無理どうすんの⁉)

 パニックでも母は起こせない。私はすばやくいった。

「お父さん一回立つからね!」

 私と父は二回頑張り、股引とズボンを下ろした。

 オムツで座る父は静かになっていた。

「じゃあ、もう一回、立とうか」

 私は両脇のテープを外して明るくいった。

「せーの」

 立った瞬間、オムツを便器に落とそうとしたが、父は足首のズボンでよろめいた。

「ごめん」

 父は便器に座れたが太ももは便にまみれた。

 オムツは便器の中。父はぼんやりしている。

「いま綺麗にするからね」

 私はマスクの顔で微笑んだ。

 明るくしゃべりながらズボンや靴下を脱がせる。

 ポータブルトイレの下に大きなごみ袋を開いて敷いていたが、外に破片がいくつか落ちていた。

「ちょっと待ってね」

 そちらをトイレットペーパーとスプレー洗剤でさっと片付けて太ももを拭く。

 だがストーブの熱で乾燥していて、お尻拭きでは歯が立たない。

「ちょっと冷たいかも」

 私は一旦、手袋を外し、キッチンペーパーを丸めて、食器用の除菌スプレーで濡らしてこすった。マスク越しに汚物の匂いが立ちあがり素顔の父を思いだす。


「あじた、ふろにあいるか」

 ぽつりと父がいった。

 こんなときに正気になるとは。

 私はひざまずいたまま歯を食いしばり、それから父に顔をあげた。

「ごめんね、明日は無理なんだ。明後日ならデイでお風呂に入れるからね。それまで我慢してくれる?」

 笑顔で怒っていた。

 蒸しタオルをつくる気力はなく、楽しそうに父を清めながら背中のストーブで汗だくだ。

 お尻はベッドで拭くしかない。
 汚れた手袋を捨てるとベッドにごみ袋とペットシーツを敷く。

「じゃあ、お」

 父は寝ていた。

「お父さん、起きてよ‼ ちょっと‼」

 なんとか立たせたが、弛緩した父を乗せられずベッドからずり落ちる。

(だからいったじゃない‼)

 私はケアマネージャーと福祉用具屋を罵倒した。

 真夜中、寝静まった家で下半身裸の親を抱えていた。すぐ脇にトイレがあって、中に大量の汚物が入っている。

「ふんっ‼」

 ベッドを一番低くして渾身の力で父を乗せた。荒い息でおしりを拭いて汚れた手袋を交換し、オムツと衣類を着せる。

 バケツの中のオムツから柔らかい便は取り除けず、ざっと丸めてレジ袋へ。別の袋に入れたお尻拭きは大量すぎて半分ずつ流した。

 水はみるみる上がってきた。

 便器に水が満ちている。

 なのに私は用を足してない。

(オムツでいいか。ビニールに入れてトイレにする)

 私はリカバリーが上手い。

 失敗が多いからだ。

 呆然としている間に水位は下がった。つっ立ったまま見守ると通常の水量になる。

(ナオッタ?)

 ぼんやり、ほっとしていた。

 トイレは完全には詰まってないようだ。スッポンでカポカポすれば直るだろうけど家にはない。

(一度流せば水の勢いで詰まりもとれるかも)

 私はレバーを引いた。

 水は便器の縁まで上がって止まった。

 満水の便器に背を向け、父の部屋の床を泡スプレーで掃除した。
 トイレにもどると水は引いていた。

 私は用を足し、紙を使用済みオムツのレジ袋に入れた。

 ここで流すとあふれるだろう。

 しばらく待てば水量がもどる。
 そこで流せば解決だ。

 でも待てない。

 私はお風呂の残り湯を便器に満たした。
 ゴミをまとめている間に水は引き、ほぼ透明になった。

(あったまいー)

 父の部屋を拭く前に用を足せばよかったとは考えない。

 水量はもどった。
 私は完璧をもとめてレバーを引いた。

「なんでよ」

 水はあふれた。

 夜中の二時、私はトイレを掃除をして家中の窓を開け、空気を入れ替えた。トイレに起きた母に事情を話し、風呂に入った。




「おあよ――――‼」

 翌日、父は朝の五時前に声をあげた。

 母は一眠りしてすべてを忘れ、早朝にトイレ掃除をした。

「帰りにスーパーで買ってくるから、それまでお願いね」

 母は仕事に出かけ、私は二時間ほど眠り、姉に電話をした。

「お母さんはああいったけど、やっぱり私が買いにいくべきじゃない?」

 なぜか、いますぐスッポンを入手すべきと思っていた。

 姉は、救急車を呼ぶほど心配なら母を待ったほうがいいと語り、私はなるほどと感心した。

 あのとき、なぜ父を一人にしてまで買いにゆこうと思ったのかわからない。


 私は留守番をして慎重にトイレを使った。

 床は二回の掃除で綺麗だがオムツ袋が三つ転がっていた。これも捨てたい欲求がわき、大袋にまとめたが重くて後にする。

「おがーざん‼」

 父は十五分おきに母を呼んだ。

 私はチャンネルを変えては布団にもどり、九時になると、またあらゆるところに電話した。

 救急車の件で緊急性をアピールするも収穫はなく、母が帰宅した。

「これしかなかったの」

 スーパーのスッポンは子供の帽子みたいに大きかった。



 トイレは直り、姉夫婦がやってきた。

 彼らは機嫌よくふるまう術を身につけていて、疲労でギスギスしていた家は一気に明るくなった。

 父は別人のように穏やかになり、私もほっとして体まで楽になった。

『明日は午前九時三十分からです、お薬も持たせてください』

 デイサービスからも電話があり、姉が父を連れていくといってくれた。

「挨拶もしたいし」

 姉はよく義父の施設を見舞ったそうで、スタッフに父を気にしてほしければ施設に顔をだすのがいいと語った。

 早めの夕食は母が張りきってトンカツを揚げた。
 それとお刺身で父はじつによく食べた。

 姉は父の隣で世話をしながら食べ、デザートに父に大きな箱をさしだした。

「こで」

 父はいつでもモンブランだ。

 父と姉は台所、母と義兄と私は居間のこたつでケーキを食べた。

「どうしたの⁉」

 母と姉夫婦が驚いた。

「お父さん、死んでくれたらいいのに」

 私はサバランを前に泣いていた。

「みんなで、わらって、モンブラン、たべて」

 この楽しい時間に父はいられない。それを知る前に死んでほしかった。

「スカイツリーにいっとくんだった」

 私は襖の影で嗚咽した。



 家で幸せそうな父親を施設に入れるのは、死んでほしいと思うほどキツイ。

 経験者の義兄は暗くなる前に車で帰った。
 明後日また姉を迎えにくる。
 彼らは去年の二月もおなじことをしてくれた。

「ねえ、お父さん。お母さんたちが眠れないから、辛いと思うけど夜はベッドで眠ってね」

「ぞうだでえ。わがっでるんだげどで」

 姉は優しく諭し、父は穏やかにうなずいた。


 父は〈そのとき厳しくない人〉を呼んでいた。

 私も父には辛抱強く接していたが、付け焼刃なのですぐ疲れた。

 母も付き添えば父を叱ることもあるし、私もこんな感じなので父もつらいと思う。

〈叱ってはいけない〉
〈穏やかに〉

 介護の心得はネットでみていた。
 父は介護者の鏡で、落ちついてほしければこちらもそうするほかないのだろう。

 姉のおかげで父は穏やかに横漏れし、私は洗濯をした。
 乾くまでのつなぎに母は百均で防水シーツを買い、姉は両面吸収の尿パッドを教えてくれた。

 父が声を上げると姉が一緒にテレビを見て、私はこたつや布団で横になり、母はのんびりご飯の支度をした。
 夕食は姉が付き添い、私が食べおえると交代した。

 一人増えただけで安心感がものすごく、私は父の世話をできると思った。

 姉がずっとここにいて私と交代で介護をして、母が働き、三人で家事をする。

 私が働くのも母とのお出かけもなしで、家の中での自分の時間も控えめにすれば笑顔で介護ができるだろう。


 父はわが家の労働力を越えたのだ。



 その夜、父はやっぱり声をあげ、私と姉がなだめた後は寝たようだ。
 ようだというのは私も寝たからで台風の目のような夜だった。

「デイサービスは何時にいくの?」

 翌朝、姉に聞かれた私は首をかしげた。

「九時、かな」

 デイサービスの営業は午前九時から午後四時三十分だ。

 滞在時間は七時間以上と決まっていて、私は午前九時三十分までに父をつれていく必要があった。

 しかし、この頃はそうした計算ができず、デイサービスのスタッフから何時ですといわれないとわからなかった。

 デイの支度はオムツと尿パッド、歯みがきセットと薬で、お風呂の日は着替えも加わる。

「いいお」

 父はデイを拒否した。

「そういわないで。お弁当もでるよ」

 私は父にカーディガンやライトダウンを着せ、車椅子のハンドルに荷物をかけると姉と交代で押した。途中、石畳の場所で車椅子がガタガタいい、誰かの名言を思いだす。

〈おしゃれは我慢〉

 施設は板張りで天井が高い。事務スペースは端で、老人たちは大きなテーブルに着いて壁のテレビをながめていた。

 コロナがなければ外出もあったそうだ。

 父ははじめての場所に大人しくなったが、スタッフさんは明るく声をかけて連れていった。

「父をお願いいたします」

 外に出るとほっとして悪いとも思った。

「しょうがないの」

 姉はいい、義父の施設の話しをした。

 なにかあると電話があるし、義父の通院も自分でしたので忙しかった。

 通院は施設のスタッフに頼めるが別途料金がかかる。

 着るものやちょっとした差し入れなど基本料金以外にも出費がある。

 などで、施設に入ってからも負担は大きいという。


「病人の面倒見るんだから、月十五万ぐらいかかるよね」

 私はため息でいった。

「でもね」

 姉は慎重に語った。

 施設に預ければオムツや食事、夜の世話をせず、こちらの都合で父に会える。コロナが落ちついたら面会も外泊もできるだろうし、皆で集まって食事をしたり、スカイツリーに遊びにも行けると思う。

「考えようによっては、今より楽にお父さんの世話ができるの」

 口調は夜中におどける父に少し似ていた。

(ありがとう)
「そうだね」

 私はツリーはどうでもよかったし、施設にいきたくもなかった。

 もう気持ちの上下にくたくたで、父に関わることを全部終わりにしたかった。

 人に話せるほど整理はついておらず、私はぼんやり、姉のなかなか壮絶な自宅介護を聞いた。

「家にいた頃は、お義父さんもオムツを自分で履けたけど、夜はどこに行くかわからないから交代でソファに寝て見張りをしたし、センサーも付けた」

 そんな暮らしが続くはずもなく姉夫婦は施設を探した。

「私もお母さんも、お父さんは体が不自由でちょっとぼけてるだけだと思た」

 私は見込みの甘さを白状した。

「私も。入院手続きでは認知症なんてでなかったよね」
「認知症?」

 どきりとした。

「あれは認知症でしょ」
「でも、そんなこと」

 カンファレンスで認知症の症状がみられるといわれたのを忘れていた。

 そもそも認知症のこともよく知らなかった。


「お父さん、認知症なんだ」



 認知症とは脳の認知機能障害の総称だ。

 アルツハイマー病は海馬が委縮する認知症で、ほかに甲状腺の異常や血管の異変、頭部の打撲などで発症する認知症もあり、症状も様々だ。

 姉の義父はレビー小体型認知症で、夜の徘徊に本人も苦しんだという。
 私はベッドで転がる父を思いだし、鼻息を荒くした。

「あんなに喚いて、お父さんも苦しいよね。心臓にだって悪いはず。やっぱり薬で抑えないと。今度の診察で先生にいってみる!」

「そういう薬は入院してじっくり探すものだよ」

 淡々とした声に私はむっとした。

「リハビリ病院で泣いて頼んだのに効かなかったじゃない」
「睡眠薬は精神科が専門だしね」
「そうなの?」

「安定剤とか抗不安薬、認知症の薬とか脳に効く薬は精神科の薬なんだよ。合わないとかえって混乱したり、ぼんやりするから、少しずつ強くして様子を見るの」

 カンファレンスでもいわれたし、普段なら当然と思う。

 でも。
 私は語気を荒げた。

「お父さんをじっくり精神科に通わせる余裕はないよ。もう注射でもなんでもいいから大人しくさせて欲しいんだよ‼」

「鎮静剤ってこと? 施設にもそういう人がいて、車椅子でぼおっとしてたけど何か月かで亡くなった。お父さんもそうなるんだよ。心臓も動脈瘤もあるから仕方ないとは思うけど、そこまで考えてるの?」

(考えてなかった)
 いや。

『どんな薬を使ってでも、父を寝かせてください』

(うわあ)

 こんなところにきてしまった。

 親と自分の二拓世界。

 もうとっくに選んでいて、変える気がないのでしんどいという。

(うわあ)

 私はうつむいた。

 くたびれたスニーカーがアスファルトを歩いていた。
 そこは去年、母と寄りそい歩いた道で大きな枯れ葉はどこにもない。

『散歩にいかない?』

 五年前も歩いた道で私は顔をあげた。

「しょうがないよ」

(やんなっちゃうよね――――)



「私も地元で探してみる。困ったら夜中でも電話してね」

 翌日、姉はそういって車に乗りこんだ。

 前日、ケアマネさんから連絡があり、ショートステイの面接が月曜日に決まり、姉と今後の方針を話し合っていた。

〈特養やショートステイを申し込みつつ、精神科の治療をする〉

 というものだが、私は面接すら負担で、父をつれて診察など考えただけでめまいがした。

「いろいろ支度してきたのに全部ぱあって感じ。病院の連絡をちゃんときいていたら、うまくできたかな?」

 家にもどると母にぼやいた。

「変わらないでしょ。お姉ちゃんも大変そうだったもの」

 母は姉の家に遊びにいって苦労を見ていた。

(なら早くいってくれればいいのに)

 私はまたも人を責め、父のお迎えに向かった。


 デイはリハビリ病院と同じ方角で公園の遊歩道を通っていける。
 今日はお風呂の日で、私は車椅子を押しながら父にたずねた。

「お父さん、お風呂どうだった?」
「おがった」

 年が明けて陽が長くなり、明るいうちに帰れそうだ。

「寒い?」
「ざぶぐない」

 スイッチが入らない父はおだやかだ。

「ごあん、ちょう――――――――――だい‼」

 入るとどうしようもない。
 一人減り、こちらの余裕がなくなると父も激しくなった。

「おが――――――ざん‼ おが―――――ざん‼」

 着替えやオムツ替えは耳元でどなられるので動悸がして、こちらも、うわ―――と叫びたくなる。

「すぐだよー! もうちょっとだからね‼」

 飲みこまれないよう声を励ますが、自分の部屋にもどってもどこか緊張していて、また一つ理解する。

(待機は休憩じゃない)



 夜になると父の目つきと声はきつくなった。

「おがーざん‼ おがーざん‼ じょっときで‼」

 父は声をかぎりに叫び、しばらく休むとまた叫ぶ。どこにいても遠くから殴られているようで、私はこたつでスマホに逃げた。

(どうしたらいいんだろう)

 認知症を検索し〈措置入院〉にめぐり合う。

 措置入院とは、他人や自分を傷つける可能性があるものを、行政が精神病院へ入院を強制できる制度で認知症だと暴力的な患者が対象になるようだ。

(これだ‼)

 私は訪問診療に電話した。


「大声も暴力だと思うんです。現に、私も母もろくに眠れず疲労が限界で、明日はデイも休みだし、もうどうしたらいいか」

「お気持ちはわかりますが」

 声で眠れないのは〈暴力〉に入らないらしい。

 警察が事件の前には動かないように、私が父を殴るか死ぬかしないと〈即入院〉は発動しなさそうである。

「ヘルパーさんを派遣して、オムツ替えや食事の介助はできますが」

 看護師さんはいった。

「それはできるんです。ただ休めない。私は眠りたいんです!」

 重ねていうと看護師さんはいってくれた。

「隣区の精神病院に問い合わせをしてみます」

(やった‼)

 目の前が開けた気がしたが、折り返しの電話でまず診察をといわれる。
 普段なら当たり前と思うが、私は涙ぐんでいた。

「入院できる保証がないのに父をつれていく余裕はないです。もうどうしたらいいか」

 すると看護師さんは妙なことをいった。

「レスパイトというのがありまして」

「れすば?」

「レスパイト入院といって、介護をするご家族を休ませるために患者さんを一時的に入院させる制度です」

(やっとでた)

 私が探していたのはこれだった。

 あらゆるところに訴えて、叩いて叩いて扉が開いた。

「お願いします‼」



 レスパイトは英語で一時中断や小休止の意で、自宅介護の負担軽減で二週間まで入院できる制度だ。

 看護師さんは区内の病院へ問い合わせ、私と母はどきどきしながら電話を待った。

「――は一律二万五千円で、――は三千円、五千円、―――は七千円です」

 個室料がすごかった。

「できれば大部屋で、なければ一番安いところでお願いします」

 私は頼み、折り返しに絶句した。

「一日、一万千円です」

 五千円、七千円の部屋はどこへ……。

「コロナですぐに埋まってしまったそうです」

「ええっと、あの」といってる間に売り切れてしまうかもしれない。

「じゃあ、それでいいです」


 入院は五日後に決まった。

(いくらかかるのだ)

 呆然としながら踊りたいほど喜んでいた。


「もう休暇を買うと思ってあきらめようよ。病院ならいい薬をもらえるかもしれないし、ショートステイもあるから、そっちに切り替えればなんとかなるよ」

 無職の遠慮も消えていた。

「こっちがおかしくなるものねぇ」

 母も背に腹は代えられぬと承知した。

「病院なら安心だし、入所もその方が楽かもね」

 姉もよろこんだ。

 姉によると、コロナの懸念と入所者の状態がわかりやすいという理由で、老人ホーム側は自宅からより病院や老健からの入所を歓迎するという。

 楽になりたい一心の私は姉に聞いた。

「レスパイトから特養は無理かな?」

「できて老健じゃない?」

 私たちは話し合い、レスパイト病院からショートステイへ入所して、そこから老健を狙うと方針を決めた。

 ショートステイの面接は週明けの月曜日だ。
 姉は地元の老健を当たるという。

「後五日だけど、頑張れる?」

 先が見えた私は漲っていて、心配する姉に胸を叩く感じでこういった。

「大丈夫、まかせて」



 月曜日の午後、わが家のこたつでショートステイの面接が行われた。

 その前に、ケアマネさんとのミーティングがあった。

 ケアマネさんには電話でこれまでの状況と、入院から施設へという希望を伝えていて、再度、ホームの手続きなどの説明を受けた。

 私はケアマネさんに確認した。

「やっぱり特養より老健の方が入りやすいんですか?」

「特養は終の棲家で、老健は三カ月のリハビリ施設ですからね。ここからだと川ぞいの――が近いですから、後で電話してみます」

「あのう、――病院の跡地って特養になるんですよね」

 近所の総合病院が駅前に移転していた。
 レスパイトで個室料二万五千円のところで、先日、ネットで一般競争入札の広告を見つけたのだ。

 開業は来年の予定でコロナで遅れるのかもしれないが、入所できれば買い物のついでに寄れる場所だ。

「入れたとしても、開業したてだと職員は慣れてないでしょうね」

 ケアマネさんはいい、社会経験の少ない私は感心した。

「なるほどー」

 未完の施設は置いておいて、特養の申し込みを改めて聞いた。

「特養は公的施設なので市区町村の役所に申し込みます。こちらだと区役所の福祉課に記入した申込書類を提出します。施設の選び方は二種類で、施設を指定するか、しないで空いた施設に入所する」

「早いほうで」

「空き次第入所の方が早いと思いますが、これも一概にはいえないですね。たとえば介護度の重い人は設備のそろった施設でないと厳しいですし、認知症が多い施設で頭のはっきりした人は辛いでしょう。大事なのは入居者と施設が合うかです」

 それがどこだかわからない。

 施設に入れると決めたものの具体的にはなにも決まっていなかった。

「お父様は誰とでも話せるので理想的な利用者さんでしたね」

「理想?」

 父関係ではじめて聞いた。

「なかには気難しい方もいますから。それに小柄で。大きい方はそれだけで大変ですから」

(看護師さんもいってたな)

「反対に困るタイプは?」

「トラブルを起こす人でしょうね。こう、やたらに物が無くなるとか、ケンカごしとか。まあ、人が集まればなにかしらありますよ」

(他人と暮すのだなあ)

 父の未来を想像したらベッドから呼ばれた。

 今日は訪問診療も頼んでいて、デイサービスはお休みしたので私はすでにくたくただ。

「ちょっとお相手してきますね」

 私がぐずぐずしているとケアマネさんが腰を上げた。

 ありがたい。

 施設でもこんな風にしてもらえるだろうか。


「入所は大変そうなお宅が優先されます。一人暮らしで面倒を見る人がいない、いても無理と判断されると早くなる。ここのお宅は介護者が二人ですが、〈声だし〉が激しいので可能性はあります。そのへんを、こちらに記入してください。できたら私が区役所に提出しますから」

 ミーティングが再開し、ケアマネさんが申込用紙をしめした。

 父の声は業界用語で〈声だし〉というらしい。

 特養の申込書は二枚仕立ての四ページで、必要事項を記入し、罫線だけの最後のページに思いのたけを書く。

(余裕で埋まる)

 気力さえあれば。

「これ、いそぎますか?」
「まだいいですよ」

 ほっとするとチャイムが鳴った。

 ショートステイのスタッフさんでケアマネさんも交えて面接となった。
 私はいかにショートステイが必要かを滔々と述べた。


「状況はこちらのケアマネージャーさんからきいております。会議にかける必要がありますが、おそらく、お力になれるかなと思います」

 ショートステイのスタッフさんがいった。
 病院でも思ったのだが、受け入れる側は父の状態をとても気にする。

「お体が不自由な方が多いので、なにかあってもいけませんから、こちらも慎重になりまして。ご事情はよくわかりましたので、たぶん大丈夫だと思います」

 父は仮メンバーになり、私はいくつかの書類に署名とハンコを記した。

「お父様は個室がよろしいかと思います」

 とスタッフさん。

 費用は収入によるそうで父は約三千円。
 三食、おやつ、お茶にコーヒー、洗濯、オムツとティッシュペーパーにテレビもつくという。

「すごいですね!」

「負担限度額認定証が必要ですが」


 正式には介護保険負担限度額認定証で、本人の貯金一千万円、夫婦の貯金合計二千万円以内だと、介護保険の施設費用が減額される。


 対象者は四つの区分に分けられる。

 第一段階が生活保護と老齢福祉年金の受給者

 第二段階が年収八十万円以下で世帯全員住民税非課税

 第三段階が年収八十万円以上で世帯全員住民税非課税

 第四段階が住民税課税世帯


 父は第三段階だ。
 申請は区役所に必要書類をもってゆく。

「出張所でいいですか?」

 スーパーの隣にあった。

「区役所ですね」

 ケアマネさん。

 眩暈がした。
 いま思うと信じられないが、自転車で二十分の区役所がはてしなく遠く思えた。

「こんな状態で区役所にいくとかもうぜんぜん無理っていうか、なんでそれ入院中にいってくれないのか、いやきいたかもしれないけど」

 私は定番の愚痴をくりかえした。

 ゴミ出しのポスターは毎年もらえるし、出張所にもおいてあり、地域のごみ置き場にも張ってある。

 お役所は市民がやらないと困ることは実にきちんと教えてくれる。

「介護もそうして欲しいです。はじまってからいわれても、そんな体力ないですよ」

 私は虚ろにつぶやいた。

「――さんがやってくれると思いますよ」

 ケアマネさんが地域包括支援センターの職員さんの名前をだした。

「ほんとですか⁉」
「連絡しておきますね」


 話題は滞在日数になり、私はスタッフさんにたずねた。

「できれば父を家に帰すことなく施設に入れたいです。老健か特養が空くまで滞在できますか?」

「同じ部屋は難しいでしょうが、移動していただけるのなら大丈夫かと」

 部屋はあるらしい。
 しかしケアマネさんが電卓をたたいた。

「デイサービスは今月で辞めるとしても、来月はレンタル品とショートステイの費用がかかる。こちらに支給されている介護費用だと、四、五日は自費か自宅になりますね」

 それがあったか。

 介護保険では月ごとにサービス費が支給される。
 
 今月は十二日からなので枠内でおさまるが、来月は足りないらしい。
 父は一割負担なので自費だとショートステイは一泊三万円だ。

「いったりきたりはさせたくないですが、四、五日なら自宅でみます」

 もうそれぐらいは我慢する。

 チャイムが鳴り、訪問診療の先生と看護師さんがやってきた。
 はからずもカンファレンスになり、五人で遠巻きにこたつを囲んだ。


 居間のカンファレンスで、私は週末の大変さを語り、看護師さんが補足した。

「まあでも、とりあえずはお父様が入院できてよかったですね」

 看護師さんが私にうなずきかける。私はそれまでが心配で、いつものように父が落ちつく強い薬を先生にお願いした。


「〈強い薬〉とは、おそらく向精神薬や抗不安薬を指すと思いますが、そうした薬はまず精神科に入院して、時間をかけて調整するのが本来だと思います」

 先生はリハビリ病院の処方箋をながめ、父はすでにかなりの向精神薬が処方されているといい、辞書的書物で調べつつ、成分のカタカタ語をならべた。

「父の体を考えれば慎重になるべきでしょうが、その余裕がないですし、父も、赤い顔で大声を上げているのは苦しいと思います」

 私は医師の懸念を流した。

「じゃあ絶対眠れる薬をだします」

 などと先生がいうわけもなく、父の行き先に話しが向いた。看護師さんが先日の隣区の病院の顛末を先生に語った。

「こちらが無理だといわれたので、お断りいたしました」

 入院の打診ができていたように聞こえ、私は看護師さんに身をのりだした。

「あのう、その病院は入院できたんですか?」

「あちらには、まず診察をといわれていて、お話しの通りならありえると」

「私はてっきり断られる可能性が高いと思ったんですが、入院できたんですか⁉」

「お部屋はあるということでしたが、まず診察をといわれました」

 オーマイガー。

 私は大きな魚を逃したらしい。
 でもあのときは、とてもじゃないけど父を連れてゆく気力はなかった。

(一万千円)

 私はマスクの中で唇を噛み、先生が片手をあげた。

「先週の診察では、精神科の受診の話しはでていなかったと思いますが?」

 ご存じない?

 全員が白衣の医師をみた。

 ケアマネさんと看護師さんは私の電話をびしばし受けていて、ショートステイの職員さんはケアマネさんから状況をきいていた。

 先生の診察は父の退院直後で、そこで情報が止まっているらしい。

「すみません、先生」
「いや、それはいいんだけど、適切な診察には申し送りはしてもらわないと」

 やりとりに私は責任を感じた。

「すみません。私が帰るところを折り返してしまって」

 なにいってるかわからないが泣けてきた。
 座っているのも限界だ。

「ほんとうに、すみません」

 寝不足の恐ろしさ。
 私はすべてがつらくなり、箱のティッシュを引き出しさめざめ泣いた。

「いやまあ、もう入院できますし、ショートステイもありますから!」
「そうですね。お力になれると思います!」

 ケアマネさんと職員さんが声を励ます。

「おが―――さん‼」

 父が声をあげ、そこへ母が整形病院のリハビリから帰宅した。
 カンファレンスはお開きになり、先生と看護師さんは父の診察をした。

「お薬と精神科の入院をよろしくお願いいたします」

 私は彼らに頭を下げ、続いて、ケアマネさんとスタッフさんにも助力を請うた。

「日程が決まり次第、連絡いたします」

 スタッフさんがいい全員が帰った。

「おがーざん‼」

 後は夕飯とお風呂だ。

 眠れば明日。


(あと三日)

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