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激動介護~人生半分引きこもり~6


「おがーがん‼ ぎでじょうだい‼ あが――がん‼」

 父は青年時代なにかの合唱団に入っていたらしい。
 車椅子になっても声量はなかなかで、母と、ときどき私を呼んだ。

「いかなくていいよ‼ これじゃ眠れない、お父さんにも慣れてもらわないと‼」

 私はキレて居間との境の襖にどなった。

「おがーあん‼ じょっど‼ おがーざん‼」

 声はますます大きくなり言葉もはっきりしてきた。

「お父さん、言葉ちゃんとしてきたね」

 襖の向こうから母がいった。

「リハビリになってるよ」私。
「じゃあ、しばらくほうっておこう」

 襖ごしにやけそくで笑い合う。
 父はおなじ調子で叫びつづけた。

 必死なのに明るくて『だめよ』が通じない子供みたいだ。
 やがてセリフも固まって暗い家に声だけが響いた。


「おかーざん、いっがいだけ、だずげてぐださい‼」



『お母さん、一回だけ助けてください』

 父の人生はこのセリフのくりかえしだ。

 現役時代はタクシーの運転手で、まじめに働いていたがそれ以上につかっていた。

 家族をほっぽりだして遊び、返済の電話が家にかかりはじめると無断外泊が増え、やがて帰ってこなくなった。

 母は勤めと育児、義母の世話の合間に父を探した。

 父は母に遺書を書いたこともあるが、いつでも家にもどってきた。

 うつむき加減でぼそぼそと、なにかのはずみで借りたお金がすごいことになり困った申し訳ないなどといい、どこにいたとか今後の展望、返済計画などはにごした。

 父は家を売ってもくりかえし、実母が死んでも連絡がとれなかった。

 私たちは、『お父さん、いる?』というどすのきいた電話や玄関ドアの張り紙に怯え、姉は高校を辞めそうになった。

 昭和は離婚や片親が当たり前ではなかったし、別れても、父が大人になった私や姉に金をせびると母は危惧した。

 父は私が中一の頃も〈帰宅〉して家族会議が行われた。

 うつむく父に私はたずねた。

『それで、いくらあるの?』

『二千万』

 私の体は震えだした。

 自分でも驚いたがどうやっても止まらず、なにかいおうとする声も震えた。

 父は自己破産をして、私たちはぎこちなく暮らしはじめた。

 物理的な暴力とは無縁の人で子供たちにも優しいが、母にはたまに小ばかにした態度をとった。

『お前なんか―――――じゃないか』

『お母さん』

 はセットで母の愛想は尽きていた。

 私が高校生のときは債務整理(借金を減額する法的手続き)になった。

 私は就職して退職し、引きこもりになり、姉は結婚して遠方に暮らした。

 父はまたまたやらかして、姉に電話で助けを乞うた。

 母の恐れていたことが起こったが、父は居所不明だったので私と母は知らなかった。

 姉は新幹線で弁護士事務所に通い、私と母は父を受け入れた。

 父は病気で真面目に働く借り手だった。

 年をとるとお金は借りられなくなり保険に入った。

 掛け金は月四万円ほどで、五年以内に死亡すれば高額な保険金がおりたが、父は心筋梗塞も生きのびて保険金はわずかになった。

 借金はつい最近まで払っていた。

 母が毎月、相手の口座に三万円振り込んだ。
 それに父がなにかいうことはなかった。



 父にとって家族は避難所だ。

 家族には嵐で、父を助けるたびに私たちは傷ついた。


「おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼
 おかあさん、いっかいだけ、たすけてください‼

 おかあさん‼」

 父は叫びつづけた。



「いいかげんにしてよ‼」

 とうとう私は怒鳴りこんだ。
 父がけろりと手をのばす。

「いっかいだけ」

 気楽そうな無表情に脱力する。

(そうそうこうだった)

 父は昔から、なにか決定的に通じないところがあった。

 呆れる私をよそに父は車椅子に身をのりだした。

「だめだって」
「いいがら‼」

 父はますます興奮し、私が手を貸さないので母を呼んだ。

「おが―――ざん‼」

 そばでどなられ私の呼吸が浅くなる。

(なにこれどうしよう)

 そのとき、姉のアドバイスを思いだした。

「お父さん、マキシム飲む⁉」



〈マキシム〉は姉と父のあいだでコーヒーを指す。

 姉夫婦はコーヒー党で父は向こうで毎日飲んでいた。

『『マキシム飲む?』って声かけてあげて』

 私はベッドテーブルに湯沸かしポッドをおいて、父の目の間で個包装を開けて、ソーサー付きのカップに淹れた。

「おいじい」

 父は嘘のように落ちついて、トロミ付きのイタリアンローストに目を細めた。私は様子をみにきた母を追いかえしてオムツを替えた。

 尿パッドはずしりと重かった。

(だからか)

 無理やりほっとした。

「じゃあ、寝ようか」
「でよう」

 父は穏やかな顔でうなずいた。
 私も布団にもどって目を閉じる。

「おがーざん‼」

 悪夢だ。

 なにをしても父はしばらくすると声を上げる。

 はじめはなだめると通じたが、真夜中すぎると目を吊り上げっぱなしで飲ませた薬は効いてない。

 私の方は効いてきた。

 普段は眠気だけの睡眠薬がこのところの寝不足で猛烈に眠い。

 車椅子に座っていられないほどで、毛布にくるまりベッドの下に横たわる。

 寒い。

 ストーブをつける。
 父が柵から叫んでいて私は下から訴えた。

「お願いだから、寝てください」

「いいがだでをかじで‼」

 父と私はそれぞれ闘っていて、どちらも劣勢で激怒していた。

「いいから寝てよ‼」
「はやぐ‼ おがーざん‼」
「静かにして‼」
「だでが、たずげて‼」

 父の声はだみ声になり、なにをいってもぎゃーぎゃーという絶叫になった。

 私は一、二分床で寝ては寒さと父の圧力に目をこじ開けた。真後ろのストーブは背中が熱くなるだけで体が芯から冷えていた。

「おがーざん、たすけて、ください‼」

「おかーさんは寝てるの! 寝ないと寝こんじゃうの! お父さんも寝てよ!」

「おがーざん‼」

 時間がありえないほど遅かった。

 母が何度か起きてきて父をなだめたが逆効果。

「お母さんは寝て、一人は元気でいないと」

 もはや闘いだった。

 敵は父で味方は母。
 劣勢の私はビニールの床で目を閉じた。

 寒い。
 
 風邪をひくのは確実で、ダウンや暖パンを着てくる気力はない。

 父はひたすら母を呼ぶ。
 私は体を起こして手をのばした。

「だいじょうぶ。お父さん、大丈夫だよ」

 なでる手も眠気で落ちる。

 奇しくも、柵から身をのりだす父と同じだった。
 
 父は起きあがる力もなくなったか、寝がえりを打って柵にぶつかっている。あざになるし尿漏れもするだろう。

 私はなんとか車椅子にもどった。

 父の頭や胸をなでて半開きの目で語りかける。

「つらいよね。くるしいよね。ごめんね。がまんしてね」

 父は血走った目で私をにらんだ。

「おばえばのうがきばっがりで、やぐぞくもまぼらだい‼」

(なんだと⁉)

 ぎくりともして、それでいっそう腹が立った。

「守ってるじゃない‼ お父さんの世話して、お母さんを寝かせて、守ってるでしょ‼」

 とりあわず、父は居間にさけんだ。


「おがあさん‼ だすけて―――――‼」



 私には夢がある。

 働いて、自立した大人になることだ。
 
 小舟のように漂い、流れに翻弄されるのではなく、舵をとって進む人間に。

 子供の頃は自然となるものだと思っていて、つまずいてからはお腹と汗がなんとかなればと考えた。


 なるわけない。

 ないものはないのだ。

 本当は知っていて、誰か助けてくれないか、奇跡が起こらないかと願って三十年。

 苦痛の先に夢を見た。

 これからだ。

 と思ったら介護ですよ。

『断ってもいいんだよ』

 無理だと思った。

『おが―――ざん‼』

 無理だ。

 嵐は努力で耐えられない。

 私はいいとこ大雨で、頑張れば傘を大きくできると自分にいいきかせた。

 ばかだなあ。

 いつものことで、私は穴に落ちて悟るのだ。


(こんなのむり――――――‼)



「無理。こっちがおかしくなる。お父さんは施設に入れる」

 翌朝の五時、私は母に宣言した。

 父は寝付いたところで私の目は冴えていた。

 母もろくに寝てないそうで布団の上からため息をついた。

「お父さん、すごかったものね」

「お姉ちゃんに電話するから寝てて。これからは休めるときに休まないと」

 私はきりりといって、こたつの自席でスマホをつかんだ。


 ステージは変わった。

 私は〈死ぬかもしれぬ〉モードに入った。
 最優先は自分と母。お金と父はあとまわし。

 壊れてからでは遅いのだ。

 父と暮せば夜は夜勤で、こちらの寿命が縮むだろう。

「もしもし」

 私は姉にすべてを語った。

「無理だと思ったんだよね」

 姉はいいにくそうに、私が聞く耳を持たなかったと語った。

(ならいってよ)

 私は座椅子の背もたれを倒して寝ころんだ。

 たしかに私は面倒だ。

 すぐに熱くなる完璧主義者で、実力不足で企画倒れが多い。

 父と私はわが家のトラブルメーカーで、〈まとも〉組の母と姉は後始末に追われてきた。

 姉は義父の介護をして施設に入れて最後を見送り、父の面倒も見て、やっと手が空いたら私が沸騰したものだから、つっこんだことをいう気力がなかったのだろう。

 理解はする。
 でも問題を見過ごすと後が大変なのだ。

「だって十五万だよ⁉ 無職の私が介護やだなんていえないよ!」

 私は泣きながらスマホに訴えた。

 無職のみじめさを語るつもりが貧乏自慢になっていた。

「トイレのお掃除シートも買えないんだよ! そりゃ買えるしずっと買えるけど雑巾使えばいいのに贅沢って思っちゃうし、そしたら真冬に水で雑巾洗うでしょ!」

 いまは姉からトイレの泡スプレーとトイレットペーパーの掃除法を教わっていた。

「介護するしかないのに『無理だよ』っていわれても、そうだよねー施設にしよっか、っていえる⁉ いえないでしょ⁉ 拒否権はないんだよ! お父さんを一番にしてたら死ぬっての‼」

 私は吐きだし、すっきりすると八つ当たりをなかったことにするため病院を悪者にした。

「カンファレンスじゃ、なんにもいってなかったのに」

 嘘だけど、『きいてないよ‼』といいたいほど父の状態は衝撃だった。

「あんなの自宅介護の域を越えてるよ。看護師さんは知ってるはずなのに『絶対無理ですよ』とはいってくれないんだね」

 締めにぼやいた。

「看護師さんの仕事じゃないからね」

 姉は、患者の様子を知りたければ、まめに見舞いをして看護師さんに話しを聞くのが一番といい、コロナの面会禁止を嘆いた。

 私は看護師さんと話す機会は山ほどあった。

 そのときの心配は父のシモで、声や眠らない件は医師に頼んで考えるのをやめていた。

 不眠は私の問題で父の分まで背負う余裕はなかった。

 結局、私の見通しの甘さが原因に思え、疲れて電話を終えた。


(また私か)



「あはよー‼ おかーさん‼ おあよー‼ おあよー‼」

 父は八時に元気に叫び、徹夜の私はぐったりした。

 引っ越す前は挨拶などろくにしなかったのに父はベッドから何度も声をあげる。

「おあよ―――‼」

 気がついた。

「あれ、起きたから来てくれじゃない?」
「やあねえ」

 母が息をはく。
 私は重い腰を上げ、父に冷めたお茶を飲ませた。ベッドの壁際に丸まったタオルケットは濡れていた。

(だよね)

 あれだけ転がれば漏斗巻きもほどけるだろう。

 シーツも当然濡れていて、私は割烹着をかぶり、オムツ替えセットをベッドテーブルにのせた。

「ごあん、まだ?」

 妙にはっきり父がいった。

「えっと、オム」
「ごあんまだ‼」

 いきなりどなる。
 私がなにかいう前に父はぐるぐるうなりだした。

「ごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあん
 ごあん、ちょ―だい‼」

(なにこれ)

 私は唖然とした。

「はいはい、お父さん、ご飯ですよ―‼」

 母がお盆をかかえて入ってきた。

「ごあん‼」
「騒がないの!」

 母は叱りながら朝食をならべ、父にグリップを付けたスプーンを握らせた。父は食べ始めたがすぐに手をおろした。

「よそっでお」
 よそってよ。

 ご飯と味噌汁は半分以上のこっている。

「まだあるじゃない」母。
「いーがらよそっでお!」

 あごをしゃくる父に私はぴんときた。

「食べさせてくれ、じゃない?」

 父は口をあけた。
 私と母はげんなりした。

「あやぐ、ちょ――だい‼」

 子供のようだ。
 声量は大人で見た目は老人だ。

「ちょーだいよ‼」

 もう、うるさいので食べさせる。

 それから母とオムツを替えた。
 尿は脇から漏れるようで父の腰には水滴がついていた。

「ぼういいよ‼」

 耳元でどなられ、動かれてろくに拭けず。
 使用済みオムツの重いこと。

「赤ちゃんは天使だよ」



 九時まで待てず、私はケアマネさんに電話をした。

「そんなにひどいとは」

 朝一で驚くケアマネさんに「おあーあん‼」は聞こえたか。

 私はこたつで片耳を手で覆いながら特養の即入居可をたのんだ。

「おあ――――あん‼ おあ――――あん‼」

 父は部屋で叫んでいた。


 父は食後は部屋で小型テレビをみていたが、飽きるとベッドにもどりたがり、車椅子に座るとベッドといった。

『じゃあ、もうベッドにいてね』

 私は父をベッドに寝かせ、テレビをつけて電話をしたがこのざまだ。

 母はパートを休んでいて家事に追われていた。

 食事の片付けに、父の部屋着とシーツとタオルケットの洗濯。
 羽毛布団は後でコインランドリーにもってゆく。
 替えの掛け布団をベランダに干して、使用済みオムツも捨てねばならない。

 合間に母は父をなだめ、居間に戻ると父に呼ばれた。
 父は母がこないと私を呼び、だめだとまた母にした。
 わりと明るい声で老人とは思えない声量だ。

「おが―――――ざん‼ あが――――あん‼」

 私は受話器に集中した。

「この前もお話ししましたが、いそぐなら他県の特養も考えたほうがいいでしょう」

 ケアマネさんはいった。

 区は特養の待機者を減らすため、都の西部や隣県の特養とも契約していた。

 人気は区内の特養で、遠方だと早く入れる可能性があるという。

「でも今日明日ではないですよね」
「そりゃそうですよ。まず申し込みの書類を提出して」

 手続きの説明をきく気力はなかった。

 母と姉の意見をきかねばならぬし、なにより今夜を助けて欲しかった。だがいますぐ預かってくれるサービスはないという。

「このあいだのお泊りは」
「ショートステイはいらないといわれたので断りました」

(なんで断った私‼)

 三千円が惜しかったからだ。

「薬で注意されたのは下痢と便秘ですよ。落ちつかないとはきいていたけど、ちゃんとカンファレンスでいってほしかった。泣いて頼んだのに薬も全然効かないし……」

 私はふたたび他人を責め、ケアマネさんはため息をついた

「お元気そうにみえたのになあ」

「それですよ‼ なんでケアマネさんが知らないんですか⁉ 病院のソーシャルさんとかはいってくれないんですか⁉」

「病院は病院、ケアマネはケアマネです」

「そんなぶっちぎりじゃあ自宅介護なんてできないじゃないですか⁉ こっちは阿呆な素人なんですよ。夜中父親が喚いて、薬なんか全然効かないときに頼れるサービスを教えてくださいよ‼ ケアマネさんが教えられるように病院とつながってくださいよ‼」

 興奮はふいに冷めた。

「すみません。昨日は全然眠れなくて」

「では、いそいでショートステイを探して特養の申し込み手続きをしましょう!」

 ケアマネさんは明るくいった。

「それで今晩なんとかなります?」
「なりませんて」
「じゃあ私はどうすればいいですか⁉」

 私は悲鳴をあげた。

「昼だけでも、デイで預かってもらいましょうか」
「今日⁉」
「いや……とにかく、少しでも休んでください。また連絡します」

 私はスマホをこたつに置くと座椅子を倒して横になった。

「コインランドリーにいってくるね」

 母が玄関に消えた。
 父の部屋の襖はあけっぱなしだ。

「おがあざん、どごいぐの⁉」
「しらんがな」

 なぜか関西弁がでた。



「それでケアマネさんに特養の入居を頼んだんですが、すぐに入居は出来ないといわれて、ショートステイも面接があるとかで、昨日、契約したデイケアに」

 私は区議にも電話した。

 区議はメモを取りつつ聞いてくれ、特養待ちの多さを語った。

「高齢のご夫婦の二人暮らしで、腰の曲がった奥様がご主人の介護をなさっているお宅もあり、そういう方より先に、腰痛を抱えながらもお仕事をしているお母様と、娘さんのお二人がいるご家庭を優先できるかというと、難しいかと思います」

 がっかりしたが正しくもある。

「順番をくりあげることはできませんが、区の福祉課に話してみます。大変でしょうが少しでも休んで、無理をしないでくださいね」

 訪問診療や包括支援センターにも電話した。
 訪問診療にはヘルパーの派遣を勧められた。

 包括センターにはショートステイを提案され、ケアマネさんに話しておくといわれた。他にも病院や思いつくところに電話して、同じような応えをもらう。

 緊急入院や一時預かりの施設を期待していたが、そのようなシステムはないようで、従来のサービスを紹介されただけだった。

 施設に申し込み、入居までヘルパーさんやショートステイの力を借りるというもので、その手続きもこれからしなければならない。

 私は落胆してスマホを置いた。

(あんなに忙しかったのに)

 準備に奔走した二ヵ月を思ったが、実は部屋の支度をしていただけだった。

 私は〈父を住まわせる〉準備をしていて、父が怪獣だった場合の備えはなかった。

 またショートステイを断ったのは、お金が惜しかっただけでなく家族を追い出すようで気が引けたからだ。

 いまは当たり前に思える。

〈悪い〉から〈当然〉へ、私の意識は一晩で変わったが遅すぎた。


「なんで誰もショートステイがないと死ぬって教えてくれなかったの? おかしいよね⁉」

 私は母や電話してきた姉に訴えた。

 もうすっかり壊れていた。

 耳鳴りの傷はぱっくり口をあけていて、寝不足で一刻の猶予もないと感じていた。

「お父さんは見てるから寝なさい」

 母にいわれて布団に入ると。

「なにか進展はありましたか?」

 助けを求めた相手から折り返しの電話がきた。

 いずれも進展はなく、私は他人の時間を奪って疲れはてた。

 昼食で父は大人しくなり、午後にうるさくなるとコーヒーを淹れた。

「おいじいねー」

 父は手をかけると大人しい。

「ぼういいお‼」

 でもスイッチはいきなり入る。

「はやぐはやぐはやぐはやぐはやぐはやぐはやぐ、してよー‼」

 こうなるとオムツ替えもままならない。

 なにか食べさせると静まるが、お腹をこわしたら目も当てられない。コーヒーも飽きられたら困るのでそうもだせない。

「お父さんこれ見る? 好きでしょう?」

 ハードな海外ドラマも不発。

『お父様が落ちつかないので、なにか集中できる趣味でもあれば助かるのですが』

『お元気な声で、スタッフがくるまで何度も呼びます。夜は人手が少ないので響きますが、と呼びかけると笑顔で『すみません』といわれます』

 やっと、私は理解した。

(大変だったろうな)

 病院は交代制だ。これが一人だったら?

(死ぬ)

 虐待や殺人、自殺が素直に理解できた。

 母は明日から仕事で午前中は私だけ。
 今晩は少しでも眠りたいが、コロナ渦で仕事の母を寝不足にするわけにはいかない。

(ワンオペはクソ)

 これも理解した。


 電話攻勢で知ったのだが、父の状態は〈不穏〉というらしい。

 リハビリ病院ではきかなかったような気がするが、私の記憶はあてにならない。父にあてられ私も不穏だが、夕方に朗報がとどいた。

「デイサービスに事情を話したら、送迎をそちらでしてくれるなら金曜日から毎日でもいいそうです。ショートステイはこれからですが、見つけ次第連絡します」

 ケアマネさんが電話をくれた。

「明日と明後日泊まれるから」

 姉も。

 ありがたくて泣けてきた。

 今晩をこらえれば楽になる。
 しかし、日が暮れると父はますます通じなくなった。

「ごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあんごあん」

 炊き立てのご飯がお気に入りで茶碗が空になるとうなりだす。

「これで最後だよ」
「ぼっど‼」
「お腹壊すから」
「ちょーだいよ‼」

 すごい声に折れると、食べさせくれと叫ぶ。

「よそっでお‼」

 食欲は旺盛だがポータブルトイレはいやがった。
 オムツも尿だけで、退院前から飲んでいる下痢止めが効きすぎているようだ。

「お父さん便秘だよね。もう下痢止めはやめたけど整腸剤を飲ませたほうがいいかな?」

「下痢の後は二日ぐらいでないものだし様子をみたら?」

 母と悩む合間も父が叫ぶ。

「おが――――ざん‼」

 こんなはずでは。

 それでも洗濯までこぎつけた。
 父はいっそう不穏になり鬼のような顔で喚いている。
 私は体温計を思いだした。

「36.7度」

 母と顔を見合わせた。
 わが家は全員、低血圧で低体温。
 7度近いと十分だるい。

「お父さん、具合が悪かったのかも」

 私は訪問診療に電話した。
 看護師さんは診療所を出たところで、引き返してカルテを確認してくれた。

「提携病院に入院したいのですが」

 私はずばり頼んだが、なんと提携病院でクラスターが発生していた。

 もうどこでもいい。
 私はまさに泣きついた。

「どうしようもない場合は、救急車を呼んでいただくしか」

 その手があったか。

「どうする?」
「こんな時間だしねぇ」
「じゃあやめる?」
「でも明日まで待って間に合わなかったら」

 ゆきつもどりつ。
 私と母は無駄に悩み、日付が変わる時刻に電話した。

「35、4度ですね。酸素濃度も99パーセントで正常です」

 救急隊員さんはいった。

 三名の男性で、父はすっかり大人しく、ベッドの脇でストレッチャーに寝かされている。

(なぜいま暴れない)

 私は舌打ちをこらえて食い下がった。

「でもさっきまではものすごくて、脳梗塞と心臓が」

 救急隊員さんは受け入れ先を探して電話をした。

 私と母はダウンコートにななめ掛けのバッグで見守った。
 入院支度は済んでいて、固唾を飲んでひたすら待つ。

 受け入れ先はなかった。


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