タオを求める人は毎日何かを忘れ去ろうとする

師: ひとたびタオの見えてきた人は、駆け回らなくても分かるんだよ。無理に見ようとしなくても、理解の光が届くんだ。特別何もしなくても。
 だから、とてつもなく大きなことが仕上がっていくんだよ。君の中にね。

私: タオの見えていない時、智識だけに頼って努力を重ねました。努力は実らず、何度も崩壊し、まるで砂上の楼閣でした。しかし、砂上の楼閣を何度でも建ててやるぞと頑張りましたね。いま考えてみれば、愚かとしか言いようがありません。

師: 確かに愚かだ。だけど愚かだったからこそ、今タオにつながったもだよ。なまじ賢い人はタオが理解出来ない。

私: それはありがたいです。タオにつながれば、とてつもなく大きなことが仕上がっていく。砂上の楼閣とは反対に、少しの努力で周りが連動して、いつのまにか巨大な楼閣になっています。タオの力は想像以上のものです。

師: 知識を学ぼうとするものは、毎日何かを知り、覚え込もうとする。タオを求める者は毎日何かを忘れ去ろうとする。何かを自分の頭から捨て、さらに捨てていくとき、はじめて無為が生じる。
 無為とは何もしないことではなくて、知識を頭の中に消化した人が、何に対しても応じられるベストな状態、そのことなのさ。
 世間のことも周りのことも、なるがままにさせておき、黙って見ていられる人になる。その方が上手くいくという計算さえもたずにね。

私: 私はすぐに忘れるので、これはお任せください。

師: いや、そのあとをよく読んでね。
「知識を体の中に消化した人」と書いてあるだろう。君は消化する前に忘れてしまっている。知識が悪いのではない。知識はタオにつながって消化する事が大事だということだ。

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