肺・炎・記5(嵐の中の年末年始)
年末年始は、奇跡の9連休。だったらしい。
みんな、良かったね。
入院していると、平日が嬉しい。主治医が顔を見せてくれる。今の状況をしっかり説明してくれる。それを頼りに生きてゆける。
代診の先生は、指示を出してくれることは
あっても、大抵顔をだしてくれない。個室にひとりでいるのは、本当につまらないものだった。
いや。つまらないと思う気力も湧かなくなった。紅白歌合戦すら、見たいと思わないし
箱根駅伝を見続ける気力が無かった。
ネーザルハイフロー
強制的に、高濃度の酸素を体内に送り込む。
わたしを生かすための機械からは、
絶えず、ゴーゴーと風の音がしていて、
嵐の中に居るようなものだった。
この機械の登場によって、息苦しさからは解放されたのだが、お世辞にも快適とは言い難い生活だった。
ベッドからは一歩もはなれることができない。
膀胱には管が入ったが、しょっちゅうトラブルに見舞われた。
トイレも、寝た状態でせざるを得ない。看護師さん、ごめんなさい。そしてありがとう。
食事もしんどかった。
鼻から酸素をじゃんじゃん送るので、ごはんつぶが口から飛び出してきたりする。
プレドニンのおかげで食欲はある。食べて体力を維持するのが自分にできる唯一のこと。
だから意地でも全部食べていた。
長い年末年始も終盤なると、酸素の流量を減らせるようになってきた。
この頃はプレドニンは内服薬に切り替わり、免疫抑制剤も開始されていて
ナニの効果かは分からないけれども、
症状の悪化は底を打ち、
回復の局面にゆっくり向かってゆく。
ありがとう、ネーザルハイフロー。
でも、1日も早く君とはオサラバしたいんだ。
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![大場美津子(おーば)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/2445317/profile_9ca43d5a60a5bb0a64ef394f97dc25a1.jpg?width=600&crop=1:1,smart)