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肺・炎・記(器質化肺炎の記録 n=1)

まずは、自己紹介を。
一応看護師です。あと2年でカンレキ。
病棟経験は5年間あるけれど、入院病棟から離れて30年間も経ちます。
今の仕事は 介護保険のデイケア施設のパート従業員です。
(火曜・木曜・土曜にも1週おきに勤務している。)
あと、NPOで患者会を率いて、それなりに活動を続けてもおります。
コロナ明けて推し活に目覚め、歌舞伎だ相撲だとちょいちょい出歩くようにもなってまいりました・・・

今にして思えば、なのだけれど、2024年11月の初めころから
「なんとなーく、調子が悪い」のは、確かだった。
スパッと起きられない。なんとなくだるい。
毎日1時間のウォーキングが少しずつ億劫になっていく。
この時期、あっちこっちの私のまわりの人たちもまた、風邪気味だとか言っていたし、息子が熱を出した時もあった。

それでも
一日おきのお仕事や、NPOのオンライン交流会に影響をきたすことは無く、まあ、日々を過ごしていた。

おかしいな、と思い始めたのは11月2週目。
「息がちゃんと吸いにくい」と自覚するようになる。
そして、微妙に発熱。ただ、このころは時々頭痛の時に飲んでいる鎮痛解熱薬(市販薬)がよく効いて、飲めば体が楽になった。
若いつもりではいたけれど、私も還暦まであと2年。年をとったのかなあ。なんてことを呑気に考えていた。
NPOのほうでは、先日思い立った新たな計画を進めたくって、
web会議で他の理事たちにプレゼンする などの事もしていた。

しかし、この症状は軽くなってくることは無く、だんだん、悪化していた。
火曜よりも木曜がしんどく、木曜よりも土曜がもっとしんどくなっていて
声を張るのも難しいし、おひるの休憩時間も横になっていた。
自宅にあった『コロナ、インフルの検査キット』を使うが、ともに陰性。

日曜日は、ほぼ横になって過ごす。
この時期になって、やっと私も
これはただごとではなさそうだという事実に直面する。
呼吸器内科だ。これは耳鼻科じゃない。
とりあえず、週明けすぐに呼吸器内科を受診しよう。
さいわい自宅からほど近いところに呼吸器内科クリニックがあり、
日曜日のうちに翌日の受診予約をwebでとることができた。
このころになると、体温はますます上昇し、大量の発汗とともに一度下がってはまた上がるを繰り返していた。
それでも食事は摂れた。ごはんを作って家族とともに食し、後片付けは託して横になるを繰り返した。

11月18日月曜日。
時間を見計らってクリニックに行く(徒歩)
熱を測って、レントゲンを撮る。サチュレーションは測れない。
値が出ても88とかめちゃ低い。
喘息の検査もした。何度かくりかえし、喘息ではないという結果が出た。
医師の診察。肺の印影、心臓も大きく見える。
いますぐ大きい病院で診てもらって。紹介状すぐ書くからこのまま行って。
とのこと。
自宅から歩いて行ける市民病院に紹介状を書いてもらう。
普段なら歩いていくが、さすがにタクシーを選択。クリニックで呼んでもらえばよかった。タクシー探しながら駅前まで歩き、駅から市民病院へ。

朝10時。クリニックで言われたとおりに市民病院のERに、歩いて入る
一般外来もやっている時間帯にERに行くのはイレギュラーなこと。
なのでER受付の人には相当怪訝な顔をされた
クリニックの先生も、電話の一本入れてくれればいいのに。

それでも、肺のレントゲンを診てもらい、受け入れてもらう。
ERのベッドに横になって、酸素吸入2リットル開始。SPO2は、回復する。
やまほどの採血をして、CTを撮って、呼吸器科の医師を呼んで・・・
昼には呼吸器内科への緊急入院が決まった。

家族には、呼吸器内科の主治医から長男に電話を入れて説明。
細菌性肺炎疑い。1-2週間の入院期間を予定し、経過を見てゆく。
入院したのは4人部屋で、トイレまでは車いすという指示。
入院初日から抗生剤の点滴が始まるが、常時の点滴は、なし。

夕方、息子が取り急ぎ必要なものをもって、駆け付けてくれた。
この病院、面会の体制はコロナの後も結構厳しく。
15-19時のあいだ、家族2名まで、1日15分。

職場にはいくつか伝達手段がある。職場の公式の連絡アプリ。
スタッフ間の飲み会の時などに使うLINEのグループライン。
上司の仕事上の携帯番号も記録している。

直属の上司2名にLINEで状況を送ったつもりだったが、いずれも不達。
(やり方を間違ったんだろう。)
で、社長のケータイに「入院することになりました」とメッセージをいれて、社長からもお返事をもらい、やれやれ。


初日の夕ご飯が病院食の第1食め。・・・美味しく思いました。
全量食べました。お昼ごはんを食べられなかったから。
でも、ごはんはやたらたくさん盛ってあり、(200ブラム)
小鉢の副菜が多すぎるように思い、そして全体にびっくりするほど味が薄かった。

食事ごとに、おしぼりとガーグルベースンとコップを持ってきてくれて、マウスケアにも力を入れているんだなあ、とか感動したり。看護学生さんが実習にきているんだなあとか。初日は結構余裕がありました。夜も、ぐっすり眠れました。(その前まではずっと、眠れていなかったこともあって。)


11月19日(火)入院2日目

朝8時半すぎに、直属の上司からLINE電話。「おーばさん大丈夫ですか?」と聞かれ、「はい今ごはんをいただいたところです・・・」とお返事すると、「出勤、少し遅れる感じですか?」と言われる。

!!!私の入院は、職場に伝わっていなかった。
慌てて、今入院しているということを伝える。ああ、ごめんなさい。
これ以降は、職場の公式連絡アプリで、自分の状況を連絡している。
体調が悪いときは、正常な判断も難しくなるってことですよね・・・。

この日の治療は、日中1回の抗生剤の点滴のみ。

まず食欲がなくなった。
ごはん多過ぎる。副菜多過ぎる。そして味しない。
食べる量も、どん減ってゆくゆく。主食の量を半分にしてもらった。

熱が出る。
酸素をしていてもちょっと動くと苦しいのでどんどん流量が上がる。
のどが渇く。着替えもできないくらい、体がだるい。
正直、思い返しても、この日のことがあまり思い出せない。

いっこだけ覚えているのは、
脱水症状が進んで、親指の付け根が四角く凹んでいるのがわかった。
手の甲の皮膚はシワッシワになり、
終わってんなー、と思ったことだった。

病気の状態としては、「急性増悪期」になっていたのだと思う。
そして、病名も細菌性肺炎ではなく、間質性肺炎(と、その類縁疾患)だろうと、いうことになっていく。

11月20日(水)運命の、3日目。

予定の採血とレントゲンを一日前倒して、実施。
ここまでの治療経過の評価をし、今後の治療に結び付けた日。

入院後の抗生剤の点滴の効果は、症状を改善させるには十分ではない。
炎症反応も上がっている。肺の陰影は入院後も広がっている。

入院以来、リウマチの既往やたばこ酒の既往、ペットの有無などなど、間質性肺炎の原因になりそうな疾患、習慣については繰り返し質問され、私は否と答え続けた。採血の結果もそれを裏付けしてくれた。
しかしながら、私は今、間質性肺炎の状態になっている。
間質性肺炎とは」

治療法は、ステロイドパルス。
1グラムのステロイドを連続3日間、点滴で投与する。
個室管理となり、SPO2を常にモニタリングされることとなった。

私は最初の職歴が脳神経内科で。
このステロイドパルスはこの時何度も見聞きしている。
端的に言って、めっちゃ強い治療。効果が高いことも何度も実感している。自分の人生で、ステロイドパルスを受けることになろうとは思わなかった。

お昼前にはステロイドの点滴が始まった。
と同時に毎食前と就寝前の血糖測定がスタートする。
(血糖が200以上のときはインスリン2単位の注射の指示だが、
このたびの入院では、インスリンを注射される体験もすることになった)

お昼ごはんは、カレーライス。この私が、カレーを一口も食べられなかった。りんごゼリーと、牛乳だけは喉を通った。

夕ご飯。メニューは忘れたけど、びっくりした。
今までとは打って変わって、美味しく感じられたのだ。
ステロイドが力を発揮し始めてくれたと感じた。

しかし、肺の炎症はこの時ピークを迎えており、酸素は常時3リットル、食事時と動作時は6リットルにまで増えていた。


11月21日(木)入院4日目

尿カテが、入る。そして、床上の排泄も体験した。
でも、明らかに調子は上向きになってきた。
ごはんは、めっちゃお腹がすくようになり(これもステロイドの影響だが)
おいしくたべられるようになった。
熱も上がらなくなった。
でも、あいかわらず息苦しい。SPO2はちょっと動くと90を下回る。

ところで、
このころ私は「間質性肺炎」という言葉のインパクトにやられていた。
難治性の肺疾患。10年生存率が22%、調べれば調べるほどに、
これからの生活の労苦を思うと、暗澹たる気持ちになった。

職場には戻れそうもないし、どこまで日常生活が送れるようになるだろう。
それに、NPOのこと!
先天性眼瞼下垂の本を出す出すと言い続けて20年、わたしはついに成し遂げられずにおわってしまうのかな。
今回どこまで回復できるかわからないけれど、
退院することができたなら何よりもまず本をつくって出さなくちゃ。

推し活についても、考えた。
12月6日に一日歌舞伎座で観劇できるようにチケットをとっていて、
それが手もとに届いていた。
公式のリセールが使えるので、さっそくそれを使うようにした。

来年4月の大相撲藤沢場所も、正面タマリ席を1席ゲットできていたのだが、間質性肺炎の私に一日の観戦などできようはずもない。
これもキャンセルした。
相撲も、歌舞伎も、ことしはずいぶん楽しんだ。
なので、神様が「この辺にしておけよ」と言ってくれたような気がして。

この日の午後に入院病棟が変わった。ストレッチャーで移動した。
転棟しても患者としてやることは変わらないのだけれど、
病棟運営のやり方というのは、いろいろ違いもあるんだなーと思うなど。

11月22日(金)入院5日目

朝、採血。レントゲン。
その後に抗生剤の点滴と3日目のプレドニン点滴。

この日、家族(息子)を呼んで、病状の説明をすることになった。
まずはステロイドパルスによって病状が上向いてきていることの報告。

病名については、「器質化肺炎」と診断された。器質化肺炎とは何ぞや
器質化肺炎は間質性肺炎の1種で、治療方法も間質性肺炎と同じ。
だけど、器質化肺炎の場合は治療に対する効果がかなり期待でき、
元の状態に戻れるかもしれない、と説明された。

ただし、ステロイドパルスをおこない、
明日からは内服のプレドニンに切り替わるが、副作用も大きく、
急に薬を減量することもできない。
治療が一番順調に進んだとしても、
退院できるのは来年1月以降
と言われた。

今後は、リハビリを開始。
この日のうちに担当のPTさんが訪室してくれた。
明るく若く、元気な女性。


11月23日・24日 (入院6・7日目)

ごはんは、しばらくはベッドの上で食べていたのだけれど、
23日の夕食からはベッドから降り、椅子に座って食べられるようになる。
思い返せば入院初日はこんな感じだった。
少しずつだけれど良くなってきていることを実感する。

酸素は、安静時に2リットル。動作時に4リットルあれば苦しくない。
こちらも順調に減ってきた。

回復基調になってきて、一番に気になったのが、自分の身体の清潔のこと。
逆に、やっと清潔のことを考えられるようになってきたという感じ。

ヘアドネーションをするために、ズルズルと髪をのばしてはや3年。
正直いって、普段から毎日シャンプーしているわけではない。
でも、今回は入院の1週間前から一度も洗髪をしていなかった。
(入院前から体調が厳しかったということです)

入院後に真っ先に家族にお願いしたのはドライシャンプーで、持ってきてくれたシートタイプのドライシャンプーで頭皮や髪の毛を拭いていくのだが、
やらないよりは、マシ な程度。

これまでに、清拭(タオルで体を拭くこと)は何度かやってもらって
いたのだけれど、この長い髪を洗うのはスタッフだって、気合いが要る。

一方、病棟スタッフさんも土日は少ないのだが、検査が入ったり、指示受けをすることも週末はほぼないので「洗髪やるなら土日!」と言ってくれていた。ので、待っていたのだが、結局週末に洗髪はできなかった。

自分から、「野良犬の匂い」がするのは、やっぱりつらいですわ。


11月25日(月)入院8日目

朝に採血、朝食後にレントゲン。
検査の結果からも、しっかりと回復していることがわかる。

抗生剤の点滴は本日で終了。
尿カテが抜ける。以後は自力でトイレへ。(個室内にはトイレアリ)
と思ったら大部屋に移動。
病棟内歩行フリー!
そして、SPO2モニターも外れる。

そうそう!お腹がすいてしょうがないので
病院食の主食を200グラムに戻してもらう。(200でも足りない・・・)

酸素の必要量も減っている。夜間の安静時は酸素1リットル。

さて、私はもともとぐっすり眠れるタイプの人間ではないのだけれど、
プレドニンの副作用には「不眠」というものがある。
なので、眠れないでいるとNsさんに心配をかける。

なので、30年ぶりくらいに眠剤というものを服用するようになった。
ベルソムラというお薬で、比較的新しい薬らしい。主に、寝入りを良くするタイプのお薬。なので、一回目が覚めてしまうと
もうあまり効いていない気がする。一応6-8時間は効くようですが。


11月26日(火)入院9日目

夜の酸素を1リットルにさげたら、SPO2は93で、少し低い。

今日のリハビリは午前中に実施。
少ない酸素量でも行ける?と、慣らしながらの運動。

さて、私の安静度はどうやら昨日のうちに院内フリーになっていた。
シャワー浴や洗髪もひとりでオッケー
コンビニにもどうぞ行ってきてください。
順調すぎる、回復っぷり。

さっそく、酸素ボンベとともにコンビニまでお買い物にいってきました。

全身を洗えるボディシャンプーを買いました。
支払いはペイペイでできるのでありがたい。

で、午後にちょっと微熱が出ました。
体もだるいので午後に予定していたシャワー浴は 
明日以降に持ち越すことにしました。

昨日、今日でいきなり活動範囲が広くなったので
まあ、ちょっと疲れたように思います。
ここで逆戻りは、怖いです。
なので、今日はおとなしく過ごすことにいたしました。

夜も酸素2リットルで、休ませていただきました。


11月27日(水)入院10日目

治療上で変わったことは、
抗生剤(バクトラミン)の内服が追加になりました。
これもステロイドの副作用対策です。易感染性。
通常ではどうってことのないカビやら何やらにやられてしまわないように、予防的な内服です。

いままで、PTさんがベッドサイドまで来てリハビリをしてくれていましたが今日からは、リハビリ室でのリハビリになりました。
看護助手さんと一緒に、歩いてRH室に行きました。
歩くのは疲れないけれど、リハビリのレベルがどんどん上がってゆくので、ヒィヒィいいながら、なんとか頑張っている感じ。

そしてこの夜には、酸素減量 安静時1リットル 動作時3リットル。

11月28日木曜日(入院11日目)

気分だけは「至って、健康」な大部屋患者です。
今日も病院食はおいしい。温かいものは温かく、冷たいものは冷たく。
200グラムの主食もペロリと全量摂取いたしました。
(間食は一切していないので、大丈夫。)


酸素は常時1リットル、食事中と移動中、リハビリ中には3リットル。
リハビリをすこし頑張りすぎるとSPO2は簡単に80代まで下がるが
深呼吸しているうちに、95%くらいにはもどる。

いままで大部屋にいても他の患者さんと交流をもつことはなかったのだが
おむかいのベッドの方に声をかけると、とっても気さくに話をすることができた。私よりも20歳ほど年上だが、自営のお仕事を続けていらっしゃる。
年齢よりもずっと若々しくお見受けする。
そして、私と彼女が同郷ということもあってえらく盛り上がった。
彼女は週明けには退院するという。

わたしは、あと一か月以上退院できないので、
あと何人の方を迎え、見送ることになるのやら。
この部屋の主になっちゃいそうである。

夕食後に、リクライニングベッドをガンガン上げて、
PCを打ちやすい体勢を整える。なんかやりたい放題になってきたぞ。
タノシイ。

不謹慎な闘病記である。元来のいいかげんな性格がプラスになっているのか
薬の影響かもしれないが、入院生活をちょっとでも有意義にするために、
たのしんでやるぞ、エーコラ。


11月29日(金曜日)入院12日目

朝の採血も、午前中のレントゲンも、以前よりは遅い時間。
緊急性が低いって感じ?

今日の日勤担当Nsさんは、
「酸素もういらないよね」オーラを全開に
まず、安静時の酸素を1⇒0にした。
次いで、動作時の酸素も3⇒2にして一緒に病棟一周。
サチュレーションも下がらないことを確認した。

これにより、お部屋の中では鼻カニューレを外して過ごせるようになる。
おお~、もう私は病人じゃないぞ!
…って気分。

検査の結果を受け、主治医が説明に来る。
血液データ、それぞれ改善。肺レントゲンもキレイになっていて
病状は順調に回復している。
ということで
祝!プレドニン減量。
明日からは、朝35mg 昼10mg
血糖測定の回数も今日からは朝と昼のみとなる。
(これも、プレドニンが減ったから)
今週は、ほんのちょっとの引きもどしはあったけれど
いいぞ、いいぞ。順調な回復。

一方、リハビリの強度も増す。PTさん、容赦ない。
O2 2Lでの実施だが、ヒイヒイいいつつも対応できる。
もはや、酸素の問題ではなく、筋力低下の問題。

11月30日 (土)入院13日目

先週の週末は、個室で酸素療法して、尿カテが入っていましたが
この1週間で驚くほどに回復したわたしです。

午前中に、シャワー浴。洗髪できて、スッキリさっぱり。
そのあと歩行練習を兼ねて院内をウロウロしてみる。
でも、週末はカフェも床屋さんもお休みだし、
コンビニでお水を買って帰る。

食事の時と移動時には酸素を使っていますが
今日の夕ご飯、酸素を使うの忘れてました。
終わってから気が付きましたが、苦しくはなかったです。
(ごはんを食べるのに夢中になっていました。)
ありがたや。

こんな感じのだらだらした文章があと1か月半づづく予定なので
ひとまず「肺・炎・記」一巻の終わりにいたします。

お読みいただき、ありがとうございました。









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大場美津子(おーば)
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