就活生のナナメの夕暮れ
こんばんは。
就職活動絶賛行き詰まり中のまです。
自分の得意な事、いや得意ではなくてもできることは何だろうと日々悶々しております。
先日ある会社の座談会兼選考会のような面接を受けました。
"学生時代1番頑張ったことは何ですか、その行動は誰のために、何のために行ったのですか"
就活生の方はわかると思うのですが、超絶オーソドックス質問です。私は準備していた答えを無理して笑顔でハキハキと言いました。内心上手く喋れたと思っていました。面接が終わり、学生に対して熱心な方だったため、丁寧にフィードバックと感想を伝えてくれ、ありがたいアドバイスばかりでした。ただ、1つだけずっと心に引っかかる言葉がありました。
"豆柴さんの答えは全て他人軸だから、環境によって行動が左右されるという印象を受けました。誰のため何のために行動したのか振り返るべきです。"
聞いた時は確かに!と納得し、面接後机にノートを開いて誰のためと書き出しました。1時間考えても、2時間考えても、私の脳から発信されるのは全て他人軸でした。部活動を頑張ったのは、親や先生などの応援してくれる人の期待に応えたいから、その他活動も頑張れた理由に自分が入っていることはありません。しかし面接ではそれは自分の意見がない人間と評価され、治さなければいけないと指摘を受けました。ずっとずっと考えました。なぜ他人軸によって評価が下がるのか、なぜ自分軸があることがその人の意志の強さと比例すると評価されるのか、なぜ皆にある志が自分にはないのか。なにせよ、なぜなぜを1つずつ丁寧に潰していかないと、次の議題に進めない面倒臭い性分なのであります。それでも自分軸が書けないとき、ノートから顔を上げると、『ナナメの夕暮れ』が目に入りました。
吸い寄せられるように引きつけられ、読むこととしました。若林さんの言葉には、温かさを感じます。プライドが邪魔をして素直な気持ちを吐露できなかった20代を赤裸々に刻む著書には人間味という温かさを無性に感じるのです。ナナメの夕暮れにはこのような一文がありました。
"内ではなく外に向かって生きた方が良い、良いというより外に大事なものを作った方が人生イージーだ"と。
腑に落ちた。
心がスーッと軽くなった。
自己成長という目的によって活力を得る人間が私の担当してくれたあの人であったというだけで、私はそのタイプではないから内に無理して作る必要ってないんだ、と。
就活をしていると自分自身を肯定するという行為を忘れます。就活という名の人生ゲーム中では、なぜか他人に評価されつづけるというクソ異常行為を当たり前に受け入れてしまうのです。絶対的は存在せず、誰も正解を教えてくれないのに。
しかし正解がわからない人生ゲームの中、外に向くことが悪いことではないと思っている人がこの世の中に自分以外にもいるという事実が、私にとって心の支えとなりました。長々話しましたが、結局は自分の考えを肯定してほしい、この結論に到達するのです。今日はよく寝れそうです。