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短編小説:「行ってきます」

「おかえり~。疲れたでしょ?」
と、部屋に入ると、今日の遅番のマミーである海(まりん)マミーが、私を出迎えてくれた。
 海マミーは、私の憧れの人の一人。
 仕事でクタクタだから、海マミーの笑顔に癒された。私も思わず笑顔になった。

 私は、谷 太陽(たに それいゆ)。看護師一年生です。
 まだ入職したてなので、今はただ、ひたすらに、教育係をしてくれている先輩看護師にくっついて行動して、ひたすらメモを取っているだけですが、それだけでクタクタです。特に、脳みそが疲れます。

 私は、昔の児童養護施設に置き換わった『マミーズホーム』に高校2年の時に入所して、大学進学後もマミーズホームにお世話になって。そして、今年、就職して、1年以内に退所をしなければなりません。
 初任給からの給料を上手にやりくりして、引っ越し費用を捻出して、社会人一年生の入居者は、退所します。この1年の退所の猶予は、今の私にとっては、もの凄く、ありがたい時間です。
 大学を卒業した時点では、アルバイトで貯めた微々たる額の貯金しかないし、慣れない仕事で家事もままならない状況なので、大学卒業と同時に退所とか言われたら、直ぐに体がもたなくなって、せっかく就職したものも、体を壊して辞める羽目になったと思います。
 因みに、『マミー』と言うのは、『マミーズホーム』で働く職員のことです。

 私は、海マミーに憧れて、看護師になった。
今、私が働いている病院は、海マミーが昔働いていた病院で、勤続年数の長い先輩から、海マミーの過去の話を聴かせて貰う事があって、その話を聴けるのが楽しい。
 海マミーは、昔、『篠田主任』として、活躍していたらしい。そんな海マミーに育てられたことが、私の誇りの一つになっている。

「夕飯、食べるでしょ?」
という、海マミーの言葉が、とても嬉しい。
「食べる!もう、疲れちゃって、眠いんだけど、食べないと明日もたないから」
と海マミーに甘えて言った。
「そうね。食べないとね。看護師は体力勝負だからね!先に、お風呂に入ってきなさい。食事を温めておくから」
と海マミーに言われて、私はお風呂の準備をすることにした。

 こういう時に、私はふいに思う時がある。
 まるで、ドラマや映画で見る一般家庭の会話みたいだって。
 私がマミーズホームに入所したのは、父が亡くなって、母が精神的にまいってしまい、私の面倒をみることが難しくなったからだった。
 この海マミーとのやりとりを、父が生きていたら、私は母と父としていたのかな?って、そんなことを考えてしまう時がある。
 だけど、今の私が不幸かと言うと、そんなことはなくて、マミーズホームのマミーさん達は、皆さんが本当の親のように接してくれるので、一人で寂しくなることはない。
 同じマミーズホームに入居している子供達も賑やかで。勿論、入所したての小さな子は、始めは泣いていたりするけど、そのうちに皆(みんな)慣れて、楽しく生活をするようになる。子供達も、互いに気遣いながら、思いやりながら生活しているので、穏やかで楽しい関係性で。寧ろ、実際の兄弟よりも仲が良いのではないかと思う。私自身が、大学生の時に、マミーズホーム内の学習塾でアルバイトをしていたんだけど。その時は、「先生と生徒」という感じじゃなくて、『お姉ちゃんと妹や弟』という感じだった。それも楽しかった。

 お風呂からあがると、海マミーが、食卓に食事を用意して、席について待っていてくれた。
「わあ、美味しそう!いただきます!」
 私は、野菜がたっぷりと入ったスープを一口、口に含んだ。野菜が良く煮えていて柔らかくて、野菜の甘みが染み渡った。
 海マミーは、ニコニコしながら、私が食べているのを見守っていた。
 そして、だいぶ食べ進んだところで、海マミーが言った。
「ねえ。お母さんとの面会は、いつにするのか決めたの?」

 マミーズホームのルールとして、入所すると、親や保護者、親戚などと、一切連絡が取れなくなる。面会も禁止されている。それは、保護者からの虐待が理由で入所している子がいるからだ。しかしながら、退所後は、一緒に住むことは出来ないけど、入所中の時と違って、会う事は出きるようになる。勿論、虐待などがあった子は、親に合わないようにして社会に出たりする。
 役所のマミー制度担当者が、保護者の面談をしたり、マミーから子供の様子を聴いたりして、問題が無いと判断されると、退所前の準備として、面会を数回行うことになる。
 私と母は、問題が無いと判断された。

 私は、海マミーの質問に少し考えて答えた。
「んー。とりあえず5か月後くらいかな?引っ越しの費用の目途が立ってからって考えてて~」
 それを聴いて海マミーが言った。
「そうね。お母さんしだいだけど。近所に住むか、離れて暮らすか、考えたいもんね」
 私は、
「うん」
とだけ答えた。

 もう、何年も会っていない。母は元気なのか?それすらも私には分からないけど、面会の許可が出ているということは、元気なのだろう。それに、心も落ち着いているんだろう。そう考えると、ちょっとだけ安心というか、嬉しかった。

 そして、半年後。私は母と面会する日を迎えた。
 面会は、マミーズホーム以外の場所で行われる。今回は、結婚式や大きな式典などが行われる有名なホテルで行うそうだ。なんだか、お見合いみたい・・・。
 区役所のマミー制度担当職員と、マミーの1人が、一緒に立ち会う。
 立ち会ってくれるマミーは、小百合(さゆり)マミーだ。小百合マミーも海マミーと同じマミー第一号で、海マミーとは逆にほっそりとした印象の穏やかなマミーだ。小百合マミーの付き添いは心強かった。
 小百合マミーとマミーズホームを出る時に、海マミーが見送ってくれた。
 海マミーに、
「行ってらっしゃい」
と言われたら、なんだか、二度と会えないみたいな気持ちになって、海マミーの手を握って、涙目になってしまった。それを見て、海マミーは優しく微笑んでくれて、それで、海マミーも瞳がウルウルとしていた。
 小百合マミーが、呆れた感じで、
「ちょっと、今生の別れじゃないんだから。やめなさいよ」
と言った。
 海マミーと私は、笑って、手をギュッとしあった。

 電車の中で、小百合マミーが、
「なんだか緊張するわね」
と言った。
 小百合マミーの緊張は、傍から見ても分かるほどだった。
 だけど、私の方がもっと緊張していた。私の緊張が、小百合マミーにうつってしまった結果だった。

 面会会場のホテルに到着すると、ホテルの入り口に、区役所の担当者の男性が待っていた。
 小百合マミーと私と区役所の人で、入り口でペコペコと挨拶をした。
 区役所の担当者が、
「お母様は、もう、お待ちです。では、行きましょうか?」
と言って、私たちを案内するように先を歩いた。
 私と小百合マミーは、顔を見合わせて、コクリと頷きあった。

 それにしても不思議な感じだ。
 本当のお母さんに会うのに、こんなに緊張するなんて。
 それに、本当の親じゃないのに、小百合マミーの方がリラックス出来る。
 会ったら、どうなっちゃうんだろう?

 エレベーターに乗って、客室のフロアで降りた。
 区役所の人が、インターフォンを押した。
 少しして、内側から扉が開けられた。
 母は、客室の内側で、扉を開いていてくれた。
 役所の男性が、部屋に用意された4脚の椅子の方に進んでいった。その後を私が続いて部屋に入り、最後に小百合マミーが入った。
 母は、扉を開きながら、私だけをじっと見つめていた。
 私は、その視線に、怖さのような緊張感を覚えていた。

 4人はそれぞれの椅子に座った。椅子は、円形のコーヒーテーブルを囲むように置かれていた。
 時計回りに、母、小百合マミー、私、区役所の人、という並び方で、私と母は対角線上に向き合って座った。
 区役所の人が、
「さて、お二人とも、久しぶりの対面で、何を話していいか分からないと思うので、とりあえず娘さんの太陽さんの近況などからどうですか?」
と言った。
 母は、黙って私の事をじっと見ている。ジトッとした感じがして怖い・・・。
 私は、無理に笑って、
「えっと。私は、今、看護師として働き始めました」
と言うと、母が急に泣き出して、
「ごめんね」
と言った。
 私は、どう反応していいのか分からず戸惑ってしまって、そのまま、笑顔を引きつらせながら、話を続けた。
「マミーズホームでは、マミーさん達に本当によくして貰って、何不自由なかったから、安心して欲しい・・・」
 母は、泣きながら、
「ごめんね。ごめんね」
と言い続けていて、会話にならない。
 そんな感じで、私がどのように生活してきたのかを話している間、ずっと母は泣きながら「ごめんね」と繰り返すだけだった。
 小百合マミーが、時々、母の背中をさすったり、母に声を掛けたりして、落ち着かせようとしていた。

 1時間くらいが経って、区役所の人が、
「では、今日の面会は、このくらいにしましょうか。今日は一回目だったので、どうしていいのか心の整理が難しかったですよね。基本的には、あと2回の面会が出来ます。必要に応じて回数を増やすこともしますので、今日はこれで終了としますね」
と言って、締めくくった。

 帰りは、4人そろってエレベーターで下へ降りた。
 ロビーを歩いている時に、区役所の人が、
「せっかくだから、お庭でも見て帰りませんか?」
と提案した。
 小百合マミーと私は、
「いいですね!」
と声を弾ませた。母の重い空気から解放されたかったからだ。
 だけど、母は、相変わらず申し訳なさそうに少し俯いているだけだった。
 区役所の人が、
「では、私は、タバコを一服してきます」
と言うと、小百合マミーに目配せをした。小百合マミーは、それに対して、小さく2回頷いた。
 区役所の人は、喫煙所を探しに行ってしまった。その姿が見えなくなると、小百合マミーが、
「本当は、いけないんだけど、お母さんと2人だけで、少し、お話してみたら?私は離れているところで様子を見守っているから」
と言って、母と私の背中を押して、庭園に出る扉に向かった。
 私と母は、庭園に出て、2人きりになった。
 何も言わずに、2人で並んで歩いた。
 暫く歩いたところで、母が立ち止まって、私の両手を母の両手で包み込むように握った。
 私の手を握っている手は、骨が細く、肉付きもか細く、小さな手だった。
 そして、じっと私の顔を、何かを確かめるように見つめてきた。
 私も、母の顔を見た。
 昔は、天然でふわっとした印象の人だったのに、しぼんでしまったような感じになっていた。
 髪の毛は、白髪混じりで、パサパサして見えた。
 顔の皮膚は、皺が目立つようになっていた。
 
 そして、母の眼じりに、小さなホクロを見つけた。
(ああ!ママだ)
と思った。
 ママには、目じりに小さなホクロがあった。小さい時に、ママの笑った顔を見ると、そこにホクロがあって、いつも自然にホクロを見ていた。
 ママは、私の手を握って、何も言わなかったけど。私には、それで十分だった。
「そろそろ、行きましょうか~?」
と少し離れたところから、区役所の人が、呼びかけた。
 私は、
「は~い」
と返事をした。
 ママは、私の手を放して、私の事をじっと見ている。
 だけど、さっきのような怖さは感じなかった。

 区役所の人がママをタクシーで自宅まで送って帰るとのことで、ホテルの玄関前で別れることになった。
 私は、区役所の人に、
「今日は、ありがとうございました。又、次回も、よろしくお願いします。では、母をお願いします」
と挨拶すると、小百合マミーも区役所の人に小さく会釈をした。
 私がママに、
「じゃあ、また」
と言ったら、ママは、私に手を振って、
「行ってらっしゃい」
と言った。小さな声だったけど、はっきりと聞こえた。
 私は、一瞬、私の全てが止まった感じがあった。懐かしい気持ちになった。
 それから、笑顔を作って、
「行ってきます」
と言って、ママに手を振った。

 小百合マミーと私は、疲れた感じで歩いていた。
 駅までの道の途中で、小百合マミーに言った。
「私、お母さんの住む家の近所に引っ越す」
 私は、それだけを言った。
 小百合マミーは、
「そうね。それがいいかもね」
と、それだけを言った。

 私は考えていた。
 ママと一緒に暮らすことは出来ないけど、また、ママに「行ってらっしゃい」って、言って貰いたいって思った。

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