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短編小説:「ピンポンパン」

 タカシは緊張していた。

 初めてのアルバイトの初仕事の真っ最中だからだ。
 宅配業者の真新しい制服は、生地が少し固くてゴワゴワして感じた。
(とりあえず、さっきの社員さんに、とにかく制服をきちんと着てろって言われたけど。ボタンも上まで全部閉めたし、帽子も深く被っているし、マスクもしっかりとしている。鼻がムズムズするけど、マスクから鼻を出していたら、きっと、さっきの社員さんに怒られるんだろうなぁ)

 マンションの5階の家へ向かっているのだが、マンションのエレベーターが故障のせいで使用中止になっていて、5階まで階段で上がる羽目になった。その為に、階段を一段一段、一段ぬかしもせずに、慎重に昇っている。

 それには理由があった。箱を落としたり、激しく振るなど、大きな衝撃を与えないようにと、きつく言われていたからだ。

 タカシは両手で幅30センチ・奥行25センチ・高さ20センチほどの段ボール箱をしっかりと持っていた。そんなに重さは無いが、箱の中身の重心が箱の中央にあるのが感じられた。しかしながら、時々、中で重心の位置が微妙に移動するのも感じられる。
(粘度の高い液体なのだろうか?)
 箱の中身が分からない事もタカシを緊張させていた。

 そして、もう一つ、タカシを緊張させている原因があった。

 タカシの後ろをぴったりと、スーツ姿の男が付いてきているからだ。
 この男が何者なのかは、タカシには教えられていなかった。ただ、この男の姿が届け先の住人に見えないように、インターホンのレンズの前で、体を張って、盾になるようにと指示されていた。

 バイト先の事務所で社員さんに紹介されたその男は、くたびれたスーツを着ていて、背が高いというわけではないのに、ひょろっとした印象をうける体格だった。恐らく頭部のサイズが小さいせいで、八頭身くらいのバランスになっているからだ。そして、その頭が小さいせいで、マスクで顔のほとんどが覆われていて、目力の強さが際立ち、怖そうな人だという印象を醸し出していた。

 タカシは、階段の踊り場で進行方向を変える際に、後ろの男の顔をちらりと盗み見てみた。
 男は、少し俯いて(うつむいて)おり、眉間に皺を寄せて、タカシ以上に緊張している様子だった。
 タカシは、逃げ出したい気持ちだったが、その男がさっきからずっとスーツの内ポケットの中に片手を入れていることから、タカシが妙な行動をとった瞬間に、その内ポケットの中身で殺されるのではないかと考えられて、逃げる事は出来なかった。
(あーあ。時給がめちゃくちゃいいから応募しちゃったけど、やっぱり、便利屋って、ヤバい仕事じゃん。しかも、普通の便利屋じゃないし、俺の人生、今日で終わるのかもしれない。さっきの人も、社員だって言ってたけど、普通のサラリーマンだったら、あんなクセの強いスーツ着ないでしょ。顔も怖かったし、ガタイもデカかったし。俺も体はデカいけど、俺のただデカい体とは種類が違うし。どう見ても普通の人じゃなかったじゃん)
 タカシは泣きたくなった。

 そうこうしているうちに、5階に到着した。普段、階段を使用するとしても建物の3階くらいまでなので、階段に慣れていない疲れと、精神的な疲れが大きく、心身共にぐったりとした疲れに襲われていた。

 タカシは、共同廊下を歩いている時に、眼下に広がる景色をチラッと見た。遠くの空が夕焼け色を少しだけ残していたが、すっかり夜の景色だった。街灯や民家の窓の明かりが人の生活を感じさせた。普通の住宅街の景色だった。だけれども、それがとても美しく感じられた。平和そのものに感じられた。一瞬、気持ちが緩んだが、後ろを歩く男の足音で我に返り、タカシは再び緊張に包まれた。

 いよいよ現場の玄関扉の前に到着してしまった。
 タカシは胸を張って体を大きく広げるようにして立ち、後ろの男をちらりと見た。
 後ろの男は、背中を小さく丸めて、タカシに隠れるようにして、鋭い眼光でタカシを見た。男の額に汗がにじんでいるのが分かった。男の緊張がピークに達しているのが分かった。
 タカシは、ふーっと息を小さく吐いて、社員さんから言われた段取りを頭の中で復習した。
(インターホンを押して。「宅配便で~す」と言って。住民が玄関の扉を開けた瞬間に、しゃがむ。その後は、教えて貰えなかったけど、この状況から考えると、後ろの男が、『何か』をするのだろう。『何か』が起こった後、俺はどうなるんだろう)
 タカシが躊躇しているのを後ろの男が察したようで、タカシの背中を拳で軽く小突いてきた。
 タカシは、少しだけ首をひねって、後ろの男に小さく頷いてみせた。
 そして、両手に持っていた段ボール箱を右手に持ち替えて、左手でインターホンのボタンを押した。
 ‘’ピンポ~ン‘’
 一般的なインターホンの音が鳴った。
 すると、インターホンの応答ではなく、室内を急ぎ足で異動する足音がこちらに向かってくるのが分かった。
(ええっ?俺が「宅配便で~す」って言うところじゃないの?インターホンで確認しないで来るの?)
 タカシは、予想していたのとは違う状況に焦った。心臓がドキドキするのが分かった。
 直ぐに、玄関ドアの扉に家の中から人が触れるのが感じられた。そして、扉が動いた瞬間に、タカシは段ボール箱を両手に抱えて急いでしゃがんで体を小さくして、目を閉じた。
 タカシの頭上で
‘’パンッ‘’
と乾いた大きな音が鳴った。それと同時に煙の臭いが鼻についた。

 タカシは目を開くのが怖かった。
(目を開いたら、きっとそこには、血の海が広がっている)
と思った瞬間。
 小さな女の子の甲高い笑い声と、女性の笑い声が響いた。
 タカシは驚いて目を開けると、玄関には小さな女の子とエプロン姿のいかにも普通の主婦という雰囲気の女性が笑って立っていた。
 そして、タカシの視界の中に、タカシが被っている帽子のつばからヒモ状の物が垂れ下がっているのが見えた。
 それをエプロン姿の女性が、
「あらあら、ごめんなさいね」
と優しそうな声で言いながら掴み取ってくれた。よく見ると、それはパーティーなどで鳴らすクラッカーから放出された紙テープだった。
 タカシは後ろの男を振り返って見た。
 男の片手には、そのクラッカーが握られていた。男は緊張が解けてホッとした表情で小さな女の子を笑顔で見つめていた。そして、タカシの視線に気が付くと、
「あ、ほら、その箱。子供に渡すと危ないから、玄関の床に置いて貰えるかな?」
と言って、タカシに床に置くように指示をだした。
 タカシが指示に従って箱を床に置くために立ち上がろうとした瞬間に、箱がガタガタッと大きく動いた。
 タカシは驚いたが、落とすとトンデモナイ事になると思って、箱を丁寧に玄関の床に置いた。
 後ろの男が玄関の扉を閉じると、人口密度が高くなって、タカシは居心地の悪さを感じたが、場の空気から直ぐに立ち上がる事が出来なかった。
 後ろの男は、すっかり普通の優しいお父さんの表情になっていた。
 そして、タカシに優しい声で、
「君も気になっているだろうから、見ていくといいよ」
と言って、床に置かれた段ボール箱の蓋をしているテープを勢いよく剥がして箱を開けて見せた。
 中には、小さな子猫が入っていた。
 とても可愛かった。
 男の娘である小さな女の子は、
「キャー!ねこちゃん!かわいいー!」
と甲高い声で歓声をあげた。
 エプロン姿の、男の妻も、
「かわいい!」
と歓声をあげた。
 男は、タカシに言った。
「今日は娘の誕生日なんだ。いや。事前に君に中身を伝えた場合に、インターホンで会話をした時に『猫です』とか先に言ってしまうんじゃないかと考えてね。君には内緒にしていた方がいいだろうってことになってね。しかしながら、インターホンで確認しないで出てくるんだったら、君は必要なかったな。じゃあ、これで。お疲れ様です。ありがとうね」
 男は妻に子猫をしっかりと抱くように言って、玄関の扉を開いてタカシを外に出した。

 タカシは、玄関の外に出ると、振り返って玄関の扉を見つめた。
 玄関の扉の中から、男の家族の楽しそうな声が小さく聞こえてきた。
 タカシは、向き直って住宅街の夜景を見つめて独り言を言った。
「このバイト、辞めよう。最近流行りだしたウーバーイーツってヤツでも、やろうかな」

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